ハーマンの言葉メモ その2

この記事に引き続く形で, ハーマンの言葉をメモしていく.

ハーマン「学問の歴史的な構想は, 論理的な構想よりもまさっている」

ハーマン「観察の精神(霊)と預言の精神(霊)とは人間の霊の翼である. 前者の領域には全て現存するものが, 後者の領域にはすべて不在のもの, 過ぎ去ったものと将に来たらんとするものが属す」

ハーマン「<一にして全>の出典は私にも不確かです. シラ書の有名な箴言はギリシャ語で別な述べ方をしており, さらに一層スピノザ的です. <全なるかな彼は>と」

ハーマン「感性と歴史とは基盤にして大地である」

ハーマン「『神学・政治論』は『遺稿集』とともにすでに私の机の上にあります. しかし私は彼の『デカルトの哲学原理』もまた見なくてはなりません. なぜなら私は, ライプニッツ同様, スピノザの立場を極端なデカルト主義と考えるからです」

ハーマン「数学の確実性の全体は, その言葉, またその記述の本性に依存しています. しかしながら全ての証明において不可欠なことは, 物理的には不可能な形而上学的点, 線, 平面の詩的恣意について考えることです」

ハーマン「貴兄の問題は, 私の『言葉と理性の純粋主義の再批判』の焦点となりましょう.ーなぜなら, 私はスピノザと我らがカントの全ての曖昧さの鍵を見出したと, あるいは少なくとも, その正しい跡をたどるに至ったと考えるからです」

ハーマン「私の見るところ, 数学的形式に対するスピノザの迷信は, 既に一つの眼眩ましであり, きわめて非哲学的なまやかし(幻想)です. 十五の定義と公理とを探求すると, エチカの第一部全体はひっくり返ってしまいます. そのような撒き砂は, どんな建物も, 紙づくりの建物ですら支えられません」

ハーマン「カントは, 神を理想 Ideal としましたが, 彼の純粋理性がまさに同じものであることを知りません. スピノザにとっても, カバラ的なアダムやデカルト的な実体の概念に関して, 事情は全く等しいものとならざるをえませんでした」

ハーマン「我々の理性, その反定立と類推の全秘密は, 自然が結びつけんとするものを分かち, その分かたんとするものを切り縮めて再び縫いつける, 他ならぬ<詩的恣意>の内にある」

ハーマン「人の神格化よりは汎神論の方がまだ信じられる. 不信もまた宗教, きわめて強固な自然の宗教だ」

ハーマン「信仰が理性を必要とするのは, 後者が前者を必要とするのと同じです. 哲学はイデアリスムスとレアリスムスから成る. 我々の自然(本性)が体と魂(心)から成りたつように. <よく分かつ者は, 最もよく定めることができる.>そして両者は自己を教えることにも, 人の教師になることにも必要なことです. レアリスムスとイデアリスムスとが, 理性の, つまり学校のわざとらしい分派的理性の内容を正しく包摂するとは, 私には思われない. むしろ反対です. 学校理性がイデアリスムスとレアリスムスに分かれるのです. 正当で真正な理性は, この作り物の区別に与ることがありません. この区別は, 事の素材に基づいており, 我々の全概念の根底にある, もしくは根底にあるべきとされる統一に矛盾しています」

ハーマン「哲学はどれも確実な認識と不確実な認識から, イデアリスムスとレアリスムスから, 感性と論証から成り立っている. どうして, 単なる, 不確かな認識のみが信仰と名指されなければならないのか. 理性の根拠でないものとは何なのか. 知性を欠いた感性が可能ではあり得ないのに, 理性の根拠を欠いた認識は可能なのか. 寄せ集められたものは, 単純な実感を導きはしないし, ましてや認識を生ぜしめることはない. 人間の本性(自然)において, 理性を感性から分けられないのと同様, 実感を理性から分け隔つことはできない」

ハーマン「実感は理性の根拠によって制限されねばならない. 信仰による認識は根本的に, <知における無>と同一である」

ハーマン「理性は, 全ての真理, また全ての錯誤の源である. それは善の認識, また悪の認識の木である. それゆえ, これを神化する者, またこれを冒瀆する者, いずれの側も正当でありまた不当である. 信仰もまた, 不信と迷信の源である. 一つの口から, 賛美と呪詛とが出てくる. ヤコブ書三章」

ハーマン「信仰は万人向きのことではありません. また, 商品のように伝えられるものでもありません. それは, 我々の内なる天の御国にして地獄です. 一人の神の存在を信ずることと, 神が存在しないことを信ずることは, 一つのことの表裏です」

ハーマン「私においては, 自然学も神学も問題ではありません. それは言葉, 理性と啓示の母, そのアルファにしてオメガなる言葉です. 私が事柄をこの側からばかり掴まざるをえないのを, 笑ってはいけません. それは我が古き竪琴です. だが, これによって全てがなされたのです」


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