ハーマンの言葉メモ その3

この記事に引き続いて,第三弾となりました。ハーマンの言葉メモを書いていきますね。

ハーマン「私にとって問題となっているのは自然学でも神学でもなく,理性と啓示の母であり,それらのアルファでありオメガである,言語です」

ハーマン「私のひどい弱さにもかかわらず,神の証しに背を向け,その同情心に背を向けてきた,いままでの私の長きにわたるこの反抗にもかかわらず,神の霊は神の愛という秘儀と恵み深き唯一の救い主への信仰とのありがたさを絶えず,いっそう強く啓示し続けてくれたのだ」

ハーマン「この書物[聖書]の霊感は,父の創造の業と子が人となったことと同様に,きわめて偉大な神の自己卑下とへりくだりである。それゆえ,心の謙虚さは聖書を読むときに唯一必要な気持ちのあり方であり,聖書読解に欠かせない準備である」

ハーマン「もし最も小さな草でさえ神の証であるならば,人間の働きで最も小さいものの意味がそれに劣るなどということがあろうか?その書物[聖書]は,神の摂理と知恵とをそのなかに覆い隠し,形象を用いたこれらのへりくだりによって啓示をもたらすため,最もとるにたらず,最も悪く,最も軽蔑すべき行いをした民を選び出したのではないだろうか」

ハーマン「子供のための哲学書は,人間のために書かれた神の書物と同じくらい単純で愚かで無粋に見えなくてはいけません」

ハーマン「子供のための方法で最も大いなる掟は,彼らの弱さへとへりくだることです」

ハーマン「虚栄心を抱く存在は,気に入られようと仕事をします。でも,誇りをもつ神はそのようなことを考えていません。よいものであれば,どのような外見となってもかまわないのです。気に入られなければ気に入られないほど,それはよいものです。創造とは虚栄の産物ではなく,へりくだりという謙虚さの産物なのです」

ハーマン「自明の理は,ある仮説より優先されるべきです。しかし仮説も退けるべきではありません。ただ,それを礎石のようにではなく,足場として使わなくてはいけないのです」

ハーマン「この神と人との属性の交流は我々の認識や目に見える経済性すべての根本法則でありマスターキーである」

ハーマン「語りたまえ,汝を見まつらんがために!ーこの願いは,被造物への被造物を通しての語りである創造によって叶えられた。昼は昼にそれを述べ,夜は夜にそれを知らせるからである。その合い言葉はあらゆる風土を越えて世界の果てまで駆けめぐり,あらゆる国のことばでその声が聞かれる」

ハーマン「語ることは翻訳することだー天使の言語から人間の言語へと,すなわち,思想を言葉へ,ー事物を名称へ,形象を記号へ。その記号は詩的であったり,非可訳的であったり,歴史記述的であったり,あるいは象徴的であったり,象形文字的であったりーまた哲学的であったり,あるいは特徴記述的であったりしうるのだがーこの種の翻訳(語りと理解せよ)は,他ならぬタペストリーの裏側にあてはまる」

ハーマン「あなたがたの生命とは,私がそれであるものー息なのだ」

ハーマン「「まだ目が見たことのなかったもの,耳が聞いたことのなかったもの,どの人間の心にも思い浮かばなかったもの」ーここに,至高の存在にふさわしい唯一の宗教がある。また,神は彼を愛する者たちのために,その宗教を整えたのである」

ハーマン「言語のごとく精神的なことにおいては「明白な誤りの改善」が実行可能であろうとも,福音書にでてくる主人にそなわった経済的な賢さや寛容や節制をわたしは好ましいと思う。はびこる雑草を性急にとりあえず取り除いたりせず,ゆっくりいそいで刈り入れの時が来るまで成長させておくのだ」

ハーマン「読み書きにおける綴り方は,目と耳,記憶としたとの単調な練習によって学ばれなくてはならない。手足(Glieder)と力とをめぐる兄弟間の嫉みは,ひとつのシステムが兄弟間の壁を飛び越えることによって調停されるべきではない」

ハーマン「皆が自分の言葉を理解したが,他人の言葉は誰も理解しなかった。デカルトは自らの理性を,ライプニッツは自分の理性を,ニュートンは自分の理性を理解したが,そのため,自分たち同士ではよりよく理解している。彼らの概念を区別するためには,我々は彼らの言語を理解しなくてはならない。我々は彼らの素材を精査しなくてはならない。我々は彼らの教説という建物や彼らの基礎や彼らが目指している結末や彼らが切り上げようとしている出口を調べなければならない。これは彼らが我々に原則や経験や経験として背負わせるような期待や予断にしたがってではなく」

ハーマン「真の哲学と対をなす健全な理性とは,いま流行っているような教えや方法など関知しないものだ。歴史と自然と啓示こそが,お前の悟性が実りある洞察をたっぷり汲み取ることのできる三つの源泉であり,お前は真理を見つけ出そうとするときに決してそこから目を離してはいけない」

ハーマン「真の哲学とは,最古の時代に遡り,我々の時代にまで立ち戻ってくるものだ」

ハーマン「古今の懐疑家たちは,ソクラテスの無知という獅子の皮をまといたがるが,その「声」と「耳」とによって本性を現してしまう。彼らが何も知らぬというのであれば,どうして,世をあげてそれを学問的に証明する必要があるのか。彼らの欺瞞は滑稽であり,不埒である」

ハーマン「読者こそは,著作家という光軸の焦炉であり,批評家が求め,見出すべき焦点である」


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