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【ミリオンスター・サンダーボルト】#1


 草木も眠るウシミツ・アワー。重金属酸性雨降りしきるツキジ・ディストリクトの港では胡乱な影が蠢く。黒いバラクラ帽を被った男達が密やかに停泊した漁船から木箱を下ろす。彼らは木箱の数を確認すると船に合図を送り、港から離れさせた。これが非合法な取引の現場であることは明らかである。

 男が中身を確認した木箱の蓋を閉める。その合間に覗いたのは、満載された赤い球体。ナムサン! 暗黒非合法薬物バトルキャンディである! その時、木箱をトラックに移そうとする男達の前に漆黒の影がしめやかにエントリーした!「ザッケンナコラー!」「スッゾコラー!」ヤクザスラングだ! コワイ! 黒いサングラス、ヤクザスーツの女は、グキグキと首、そして黒い手袋に包まれた指を鳴らし、アイサツした。

「ドーモ、グラップラーです。そいつをいただきにきたよ」

「アッコラー!?」「アイドルッコラー!」

 ヤクザが次々とチャカ・ガンを抜く!グラップラーは舌なめずりをした。

「イヤーッ!」「アバーッ!」「トカチツクスゾッコラー!」「イヤーッ!」「アババーッ!」ハリケーンめいたカラテによって密輸ヤクザ殴殺!銃弾など掠りもしない!「イヤーッ!」「イヤーッ!」グラップラーが三連続側転! その後をスリケンが立て続けに襲う!「イヤーッ!」「イヤーッ!」

 トビゲリをグラップラーは両腕をクロスしガード! 弾かれた桃色装束のアイドルは回転着地しアイサツした。

「ドーモ、グラップラー=サン。スプリングフューチャーです」

「ドーモ、スプリングフューチャー=サン。グラップラーです」

 アイドルが出会えばアイサツは絶対の礼儀だ。古事記にもそうある。スプリングフューチャーの胸には星形と桃のエンブレムが光る。

「ザッケンナコラー!これは協定違反ッコラー!」スプリングフューチャーが吼える。グラップラーは不敵に笑って拳を構えた。「それじゃあ守りな。カラテだカラテ」スプリングフューチャーが両手を大きく広げた。古代ローマカラテの構えだ!

 ネオカブキチョ。雨に濡れる奥ゆかしい枯山水の庭園を持つ屋敷は、ミリオンスター・ヤクザクランの本拠地である。屋敷の前には黒塗りのヤクザベンツが一台停車しており、トコノマは一触即発の危険なアトモスフィアに満ちていた。『魅梨音』『風林火山』のカケジクの前で不機嫌そうに座する少女。

 彼女の名はモモコ・スオ。ミリオンスターのオヤブンである。その側にはオオカミの毛皮を被ったアイドルがアグラをかき、牙を剥き出して唸る。「で、何の用?」アイサツを返しすらせず、モモコが尋ねた。「せっかく遊びに来たのにつれないねぇ」タタミ五枚ほど離れた所に座る少女がへらりと笑った。

 アルマーニのスーツ少女はヒナタ・キノシタ。ネオサイタマで急速に勢力を広げつつあるバッドアップル・ヤクザクランの首魁である。背後には二人の黒いスーツのヤクザが控える。彼らの外見は双子めいて瓜二つだ。

「今日はすっごいサプライズを用意したんだよぉ」「サプライズ?」「そうだべさ」

 凍り付いたトコノマにリンゴ・マーチが鳴り響く。ヒナタは通信機を取り出して通話をオープンにした。『ドーモ、グラップラーです』「ドーモだべさ。おつかいは済んだかい?」『終わったよ。今ウチの連中が港の倉庫に移してるとこ』不穏な会話にモモコの眉が上がる。「あんた達、もしかして……」

「ツキジのオミヤゲは戴いたよぉ」「ザッケンナコラー!」側近のアイドル、リトルウルフが立ち上がり獣染みて吼える。「マッタ。タマキ=サン」モモコはヒナタを睨みつけたままリトルウルフを制した。アイドルは不安そうに目を泳がせて再び座り込んだ。

「……護衛のアイドルがいたはずだけど」

「ノリコ=サン。護衛のアイドルがいたらしいねぇ」

『ああ、アタシが殺った』

 暗く冷たい炎めいた憎悪がヒナタの笑みを突き刺す。ゆらりと立ち上がったモモコは、はち切れんばかりの自制心を部下の手綱と共にギリギリのラインで保った。「分かってると思うけど、これは重大な協定違反じゃない?」

 ヒナタは笑みを崩さず視線を上げた。その手の者にしか知覚できぬ狂気がそこにある。「あのアメはうちが買い取るよぉ。後で代金を請求するべさ」「そんな横暴が……」「まぁ、チヅル=サンがいなくなってからこの辺も落ち着かないみたいだし、そろそろあたしらの下に入ってもいいんじゃないかなぁ」

「ザッケンナコラー!どの口が言ってコラー!」リトルウルフが吼えるが、主は背中で制する。「惜しい人を亡くしたねぇ。ミリオンのオヤブンが不幸なコロッケ窒息事故だなんてねぇ」「……ヒナタ=サン。アイドルの護衛も付けずに、無事に帰れると思ってんの?」モモコは手綱を手放した。

「GRRRR!」

 ヘンゲヨーカイ・ジツを露わにしたリトルウルフが駆ける! 「「ザッケンナコラー!」」間に入ったヤクザ二人は瞬く間に鉤爪斬殺! ナムアミダブツ! オオカミめいた耳と尻尾を備えたリトルウルフの黄金の瞳が喜悦に歪む。タタミに散らばる血液は鮮やかな緑色! 彼らは非合法なクローンヤクザだったのだ!

 ガガガゴゴゴ! 不吉な稲光が、タタミに捕食者と引き裂かれんとする犠牲者の影法師を描く。時間が停止したような一瞬、モモコは胸騒ぎを覚え叫んだ。「タマキ=サン!」ガガガゴゴゴ! 稲光に照らされた影三つ。隙間風めいてヒナタの前に舞い込んだ白黒の影は、雷よりも早くカタナを閃かせた。

「イヤーッ!」リトルウルフはアイドル第六感で危機を察知した。間一髪でイアイをブリッジ回避! モモコの元まで飛び退る! カタナを抜いたアイドルはタタミに片膝を着いたまま、ひっそりと呟いた。「……ライアールージュ・ジツ」そのカタナの切っ先がブレた。「ンアーッ!?」リトルウルフの肩が血を噴く!

「タマキ=サン!?」

 モモコが倒れる子分を抱く。傷はやや深い。だが手加減されている。ヒナタはようやく立ち上がり、白黒の着流しを羽織ったアイドルに並んだ。

「紹介が遅れたねぇ。ほら」

「ドーモ、ルーントリガーです」

 アイドルは無表情でアイサツした。「うちの新しいヨージンボーさぁ」「この……!」「ザッケンナコラー!」「スッゾオラー!」涙目のモモコが睨むと、ミリオンのヤクザ達が一斉にチャカ・ガンを構えた。ルーントリガーがカタナの鍔を鳴らす。張り詰めたアトモスフィアの中、雷鳴、雨粒が弾ける音すら虚空に消える。モモコの目の前のモノクロの影が泡立った。「キリステ……」

 ギャアアアアアアアン!

 一瞬の静寂を、雷鳴めいたエレキギターの騒音が切り裂いた。「待ちな!」隣接する部屋を仕切るフスマに人影。勢いよく開け放たれた向こう側には、ユカタ姿の女が立っていた。

「ドーモ、ルーントリガー=サン。ジュリアです」

 そのアイドルはアイサツした。「ドーモ。……貴様」ルーントリガーは殺意を剥き出しにし、柄を握り締める。ジュリアは構えもせずに空の両腕を組んでヒナタを見た。

「あたしはここでやる気はないぞ。カタナの柄に『ウバステ』の銘。白黒装束のルーントリガーときたら、ここらじゃ腕利きのヨージンボーだ」

「……余計なマネをするなら斬るまでだ」

「ボスが待てって言ってるぞ」「そうだねぇ。ルーントリガー=サン、こっちへ来るべさ」影はジリジリと退いた。「じゃあそろそろ帰るねぇ。……実は明日の夜、港の荷物をうちのビルに運び込むことになってるんだぁ。その準備をしないとねぇ」ヒナタはクローンヤクザとアイドルを伴い、消えた。

「……モモ、大丈夫か」

「うん、アリガト。助かったよ、ジュリア=サン」

「いや、いいんだ。それより……」

 ジュリアはモモコを見下した。「あれはつまり、そういうことなのか?」「……そうだね」「見込みはあるのか?」「あの荷物にはうちの未来が懸かってる。取り返せなかったら、潰されるだけ」「売られたケンカは買うってことだな」モモコは不安気に、上目遣いにジュリアを見た。「ねえ……」「分かってるさ。あいつらブッ飛ばして、筋を通してやる」「どうしてそこまで……」「なに、先代には世話になっただけさ」

 縁側に腰掛け、ジュリアは空の両手を独特の形に曲げ虚空を掴んだ。右手を振るとギターの音色が零れ落ちる。「あたしは行く当てもない根無し草。奔って消える流れ星みたいなもんだ」星を想う曲を爪弾きながら、ジュリアはまばらになった雨空を見上げた。「ここでなら、最後にぱっと一花咲かせてもいい」

 モモコはジュリアの隣に座り、空を見上げた。「モモコもだよ。ここを守るためなら、モモコも燃え尽きるまで頑張るから」「それじゃあ、あたしら二人で流星群だな」「うん」少女達は拳を打ち付け合い、笑った。雲の切れ間から、ネオサイタマの痩せた月が見下していた。

 この街が眠ることはない。病的な毒々しい灯りに照らされながら、人々は小雨の中を俯き歩き続ける。街頭モニタが流行のオイランドロイドライブ映像を流し、上空のマグロツェッペリンが無意味な広告文句を垂れ流す。けばけばしい光と音の雑多の中、ルーントリガーはPVCコートを纏い歩いていた。

 ルーントリガー……シホ・キタザワにとって、このケオスは何の意味もない。目深に被るフードの奥から白い煙が漏れる。それは違法ウドン粉末シガレットの溜息だ。彼女のニューロンはオーバードーズによって著しく傷み、もはや景色を正しく認識することは叶わなかった。いかなアイドルの身であってもだ。

 サツバツとした白黒のブロードウェイを歩みながら、煙に侵された脳裏に古びた映写機めいて回想が浮かぶ。この趣味も元は自分のものではなかった。クランの相棒の、あれは下らない、伸びたウドンめいたミッションだった。薬物中毒者のつまらないミス……ケチの付き始め……すべての終わりと始まり……

(((ミリオンを潰すだべさ。旧時代の遺物…)))
(((……シホ、私にはもう時間がないの)))
(((……復讐……必ず……)))
(((……殺すべし……)))

 朦朧とした足取りが止まる。一件の高層ビルに滑り込むと、シホは屋上直通のエレベーターに乗り込んだ。辿り着いた先には、街に不釣り合いな奥ゆかしい木造の屋敷。

「いらっしゃいませ。シホ=サン」

「ドーモ、エミリー=サン」

 出迎えたのはユカタ姿のガイジンだった。眼帯の少女は物憂げにアイサツすると、シホを奥に通した。チャノマに少女は正座しチャを点て、シホは円形の窓枠に腰掛けた。「ご用件は」短くエミリーが問う。「復讐を果たす」シホは短く答えた。
 
 エミリーは沈鬱な面持ちでチャを勧める。「チャよりもカタナの手入れをして欲しいの」シホはカタナを突き出した。「ネオサイタマ一のソードマスターに」刀匠は拒んだ。「私はもう……」そして月明かりに照らせれた友人の背を見て息を呑んだ。シホは上着をはだけ、サラシを剥がして素肌を露わにしていた。

 彼女の白い背には、おお、ゴウランガ! 拳銃とドス・ダガーを持つ荘厳な天女のイレズミ! それはかのレジェンドヤクザ、チハヤ・キサラギを単身で暗殺したという伝説のテッポダマ・アサシン、ハルカ・アマミの写し絵! なんたる決断的実行意思を表明する後ろ姿であろうか! エミリーは畏怖に打たれた。

「……分かりました。明日の夜までには」

カタナを預かったときには、既にシホはチャノマから消えていた。変わり果てた友の後ろ姿を思い、エミリーはハイクを詠んだ。「……ヨミの坂は/白と黒を跨ぐ」。窓の外を見ると、淀んだ空からネオサイタマの痩せた月が見下していた。

「インガオホー………」


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