アイドル・ホラー・ホテル


 ウシミツ・アワーを告げる鐘が、遠くから深い森に響く。痩せた月が屍めいた廃墟を照らす。ここはネオサイタマ郊外に存在するカネモチ・ホテル。かつては政財界の要人が足繁く通い、栄華の限りを尽くした絢爛豪華な建物も、ある事件を機に廃屋となり、今や見る影もない。取り壊されることもなく人々から忘れ去られたのだ。
 訪れる者は誰一人としていないはずであった。それがさほど歳も行かない少女であるなら、尚更だ。だがしかし、入ってすぐのロビーでは、今まさに一人の少女が埃にまみれた髪と衣服を叩きながら立ち上がったところであった。少女は困惑し、額に手を当て呻いた。

「ここは……?」

 その時、ロビーの奥からたどたどしい足取りで近付いてくる影あり。影は少女の間近で立ち止まった。ホテルの従業員であろうか。いや、ナムアミダブツ!
「アバー……」
 その男の眼窩は落ち窪み、肌は干物めいて恐ろしい! ゾンビーだ! 従業員ゾンビ―は両腕を突き出し少女へ迫る! 少女は頭を抱えしゃがみ込んだ!

「イヤーッ!」

 それは恐怖の絶叫であろうか。いや、違う! 凛々しいカラテシャウトを上げた少女は反動をつけて飛び上がると、高々と跳躍しゾンビーの顎を蹴り上げたのだ! ゴウランガ! これぞ伝説のカラテ技サマーソルトキック! 「アバーッ!」ゾンビーの頭部が胴体と別れシャンデリアに突き刺さる! ポイント倍点!
「……フウーッ」
 冷静にザンシンを決めた少女は周囲を見渡すと、入り口の扉を押した。ビクともしない。恐らく全力のカラテをぶつけても破壊はできないだろう。彼女は己の境遇を思い出そうとした。その時、奥の扉から更にゾンビーの群れがヨタヨタと寄って来るのを見た。シホ・キタザワは駆け出した。


【アイドル・ホラー・ホテル】


 ……次のイベントの企画でキモダメシを行うことになり、プロデューサーはロケのために少数のアイドルを伴い廃墟を訪れた。それから……どうなったのだろうか。気が付けばシホはロビーの床に倒れていた。しかし独り残された状況に恐怖はない。迫りくるゾンビーにも恐怖はない。彼女はアイドルだからだ。
「イヤーッ!」
 鋭い回し蹴りがゾンビーを蹴り飛ばす! 続いてアイドル装束から二挺拳銃を引き抜き撃ち放つ! 「イヤーッ!」BLAM! BLAM! ゾンビーは急所が少なく活動停止させることは困難だがヘッドショットが有効だ! 「イヤーッ!」BLAMBLAMBLAMBLAM! 「アバーッ!」 

「アバーッ」

 カメラを構えたプロデューサー似のゾンビーが前方から迫る! シホの脳裏に忌々しい小学生メイド写真撮影の記憶が過る! 直接殴り飛ばしたい欲求を押さえ怒りを込めてセオリー通りヘッドショット殺! 「イヤーッ!」BLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAM! 「アバーッ!」

「アバーッ」

 頭部にネコミミカチューシャを着用したプロデューサー似のゾンビーが物陰から姿を現す! あまりにも悍ましい狂気誘発的光景! ネコは好きだがその姿は万死に値する! ここでも容赦なきヘッドショット殺が重要となる! 「イヤーッ!」 BLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAM! 「アバーッ!」

「アバーッ」 

 更にウドン職人めいたサムエ姿のプロデューサー似のゾンビーが奥の扉から出現! もはや躊躇するところなし! 二挺拳銃の銃弾はカラテエネルギーのため装填は無用! 鬼気迫る非情なヘッドショット殺! 「イヤーッ!」BLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAM! 「アバーッ!」

 ロビーの敵を殲滅しシホは息を吐いた。……あるいは、彼女はこの事態を予測していたのかもしれない。腰のベルトに吊られている第三の拳銃『ソード・オブ・マリア』を見る。邪悪存在を感知すると淡く輝き出すというこのアイテムを託したアイドルは、どこにいるのだろうか。今はただ、カラテあるのみ。

 シホは両銃にカラテを込めながら、彼女を招く様に開いた扉を潜り、その奥の闇へ歩みを進めた。



 KRAAAASH! キッチンの扉を吹き飛ばしてシホが壁に叩きつけられる! 「ンアーッ!」その後を追い、大股で突進してくるのは頭にズタ袋を被った巨体ゾンビー! 「アババーッ!」「イヤーッ!」KRASH! 側転回避したアイドルのいた場所を大肉切り包丁が薙ぐ! 狭い調理場裏の通路を刃物が蹂躙する!
「アバーッ!」
 真横に振るわれる大肉切り包丁! シホの目に白い光が灯る! 「イヤーッ!」ダッシュから膝を着きスライディング! 上体を反らしスラッシュ回避!

「ファイナルトリガー・ジツ! イイイヤアアアアア!」

 KA-BOOOM! 二挺拳銃から放たれた光の束が巨体ゾンビーを飲み込み、上半身を消滅させた。
「……ハァーッ……ハァーッ……」
 傷だらけのシホは床に身を投げ、しばし目を閉じた。厳しい戦いだった。ゾンビーは目に頼らないのか、視覚を誤魔化すライアールージュ・ジツは用を為さなかった。ホテル内はゾンビーに次ぐゾンビーの出現により、託された邪悪存在を探知する拳銃は常に仄かに輝いている。「……でも」

 シホは巨体ゾンビーの残された下半身を見た。腐肉の腰のホルダーに鍵が一つ吊るされている。苦心して取り外すと、それには『大浴場』と刻まれていた。いなくなった仲間達の手掛かりになるかもしれない。シホは立ち上がり、見取り図を求めて歩き出した。



 ……壁に掛けられた図面を記憶したシホは、周囲をカラテ警戒しながら静かな廊下を進んだ。イクサでは気を抜いた者から実際死ぬ。昔観たホラー映画のシチュエーションを思い返しながら顔をしかめた。背後から複数の足音。ズルズルと肉を引きずる音は間違いなくゾンビーであろう。シホは身を翻し迎え撃とうとした。

「……?」

 すると、腰のソード・オブ・マリアがそれまでの淡い輝きが一変、毒々しき深い緑色に光り出した! これは一体!? シホは前方の闇を見た。アイドル第六感が警鐘を鳴らす! なにかまずい!
「イヤーッ!」
 BLAM! 近くの客室のドアロックを破壊し中に身を隠す! 果たしてゾンビー達がドアの前に群がった! 体重をかけドアを抑えるシホ! しかし質量差から今にも突破されそうだ! その時である。

 ドルン。ドルン。

 ドアの向こうから鳴り響く不穏な唸りはやがてけたたましい回転音に変わる! 

 チュイイイイン!

「「「アバーッ!」」」

 湿った切断音!

 「「「アバーッ!」」」

 一瞬の後、廊下は元の静寂を取り戻した。シホは必死にドアの向こうで息を殺す。重い足音がゆっくりと通過する。ジャラジャラと鎖を引きずる音。強烈なアルコール臭と微かな腐臭がシホの嗅覚を刺激する。「……っ」ドアの隙間から見える影が立ち止まり、またゆっくりと遠ざかっていった。銃の輝きが静まり、シホがようやくドアを開け辺りを窺うと、五体をバラバラに切断されたゾンビー以外には何も残されていなかった。



 ……『湯』のノレンの左右に男女に分かれた入り口がある。今更区別などつける必要もないが、シホは『女』のノレンを潜った。土足で脱衣所を通り抜け、浴場へのドアを引き開ける。
「……これは」
 干からびた空間の予想を裏切り、大浴場では浴槽から溢れる水が床を濡らしていた。中心には首のない女神像。反響する水音が溺れるような錯覚を与える。シホは注意深く観察し、やがて浴槽の中に光る物体を見出した。さしものシホも水の中に入ることは躊躇したが、決断的に足を入れた。「冷た……」水深は腰の高さ。シホは屈んで右手を差し入れた。「……?」水面に映る、髪の短い女の顔が無表情に見つめ返した。
「な……ッ!?」
 シホは体を引き戻すが手首に強い抵抗! ナ、ナムアミダブツ! 右手首が水面から伸びた半透明のユーレイめいた手に掴まれているではないか! 「イヤーッ!」BLAM! BLAM! シホは銃を水中に連射! 常人であれば失禁の後気絶は免れぬが、彼女はアイドルである! 半透明手首が吹き飛ぶ!
 右手解放! しかし次々と水面から現れる半透明手首がシホを捕獲し離さない! 足、腰、腹部と続き、遂に彼女は水中に引き倒された!
「ンアーッ!?」
 全身を掴まれ深淵へと引き摺り込まれるシホ! アイドルといえど窒息すれば実際死ぬ! 抵抗虚しくシホの意識が遠のいてく……

「全く、仕方のない子豚ちゃん達ですね~」

 KABOOM! 眩い閃光が浴槽を貫き水が爆ぜる! 冷水は蒸発し白い煙を上げ霧と化す!
「ゲホッゴホッ!」
 波打つ浴槽から飛び出したシホが噎せ、傍らに立つ少女を見て驚愕した。
「トモカ=サン!?」
「ドーモ~」
 それは共に廃墟へとやってきたアイドルであった。「無事でよかったです。しかし……」「そうですね~」ゴボゴボと泡立つ水面から、バイオアナゴの如く半透明腕が無数に突き出す。その奥からユーレイめいた白い影が浮かび上がった。ぼんやりとした表情で浮遊するのは……「やはりミズキ=サンでしたか」「どうやら何かに取り憑かれいているようですね~」バスローブ姿のアイドルが呻く。

「……ウラメシュ、」

「……」「……」「……ウラメシヤー」ミズキが恐ろし気に両手を揺らすと半透明存在が多数殺到! さらにサウナ室からゾンビー乱入! 装束を翻し、アイドル達はカラテを構える!
「「イヤーッ!」」
 BLAM! BLAM! BLAM! シホの銃撃がゾンビーを精密極まるヘッドショット殺! 射撃場標的めいて死体が散乱 !ナムアミダブツ! シホの横顔を閃光が照らす! トモカの両腕にオーラめいて纏わりつく黄金の光が帯となってユーレイを薙ぎ払う! ユーレイ達は瞬時に蒸発! これはトモカの操る神聖なる奥義、ディバイン・カラテだ! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」二人のアイドルによって大浴場はアビ・インフェルノ・ジゴクと化す!
「イヤーッ!」
 銃弾と閃光が入り乱れる中、背中合わせのトモカがゾンビーを塵に変えながら呼ばわった。「シホ=サン、そろそろミズキ=サンの目を覚ませてあげましょう~」迫るズンビーウェーブを押し止めつつ、シホは背後に叫んだ。「そうは言っても、敵の数が多くて……!」おもむろにトモカが振り向いた。

「仕方ありませんね~。イヤーッ!」

 KA-BOOOM!左手でシホの背を抱き、右手でディバイン・カラテを放射! 範囲内のオバケ焼却! 「道は開きました~。後は頼みましたよ~」耳元で囁くと、トモカはシホの背中を押し出した。シホはつんのめるようにして駆け出す。トモカの眼前には無数のオバケがひしめく! 「「アバー」」聖母は微笑んだ。
「うふふ、それでは……」
 トモカが祈るように両手を組み合わせると、その背後に十字架めいた後光が浮かび上がり神々しく聖母を照らし上げた! 逆光に翳るシルエットに壮絶な眼光! 「子豚ちゃん達~、まとめて救って差し上げますね~」両腕を大きく広げたトモカから極大の光が放たれた。その灼熱を感じる。

「イヤーッ!」

 BLAM! BLAM! シホはダンサブルにゾンビーを躱し銃撃! 射撃反動で跳躍しバスローブのユーレイめいたミズキに迫る! 飛び上がった一瞬でシホは次の一手を思案し、腰の銃、ソード・オブ・マリアを手に取った。ミズキは茫然と飛来するシホを見つめている。シホは引き金を引く!
「イヤーッ!」
 SPLASH! 「アイエエエ!?」ミズキの顔面に飛沫が散る! 水鉄砲だ! ミズキは糸の切れたマリオネットめいて浴槽に倒れこんだ! 「……水鉄砲ナンデ」唖然と銃を見つめるシホだが、すぐにアイドルを助け起こした。無事である。「それは除霊のカラテを込めた聖水ですよ~」残党オバケを退治したトモカが寄る。
 ミズキが身動ぎし薄く目を開けた。覗き込む仲間を見上げ、ゆっくりと起き上がり呻いた。
「……アバー」
 そして瞬時にキリングオーラを燃やしたアイドル達に頭を下げた。「ドーモ、スミマセン。実際目が覚めました」「そんなことだろうと思いました」「他の二人はどこだが分かりますか~?」
 他の二人。即ちジュリアとプロデューサーだ。「……そうだ。ジュリア=サンがプロデューサー=サンを連れて行って……どこに行ったのかは分かりません」ふとシホが顔を上げ、辺りを見回しざぶざぶと水底を漁って立ち上がった。拾い上げられた『特盛』のタグが付いた鍵。

「スイートルーム。行ってみましょう」




 廃ホテルの最上階、もっとも豪華な一室が、かつては最上級のサービスを約束されたスイートルームだった。今や朽ち果てるに任せた老朽ぶりからはその栄華を想像することすらできない。白いドアの前にはスモトリめいた巨体のゾンビーが番人めいて通路を塞いでいる。廊下にはアイドル達が並び、アイサツした。

「ドーモ、ルーントリガーです」「マリアトラップです~」「マジシャンドールです」


 巨体ゾンビーの残骸を踏み越え、アイドル達はスイートルームの扉の前に立った。「ここが……トモカ=サン。どうですか」「強力な怨念を感じますね~」「では行きましょう」ミズキが頷き返すと、シホはカラテキックでドアを蹴破り、室内に銃を突きつけた。

「イヤ……え?」

 目を丸くしたシホの顔を朝日が照らす。白い光が反射して輝く室内。窓際のカーテンが風に揺れ、美しいピアノの調べが耳朶を優しく撫でる。赤く柔らかな絨毯の上を純白のドレスを着た女が歩き、穏やかに微笑んでシホの口元に顔を寄せ……

「……ホ=サン! シホ=サン!」
「え……!?」

 シホの体はトモカに突き飛ばされ、ボロボロに腐った絨毯に転がった! 
「ンアーッ!」
 トモカの腕に組みついたのは赤黒い染みに汚れたドレスを纏うアイドル、ジュリアだ! その様子はミズキ同様尋常ではない! 「AGRRR!」「イヤーッ!」トモカの腕を神聖な光が伝う! ジュリアは身を引き離したかと思うと、大きく胸を反らして吼えた!

「AAARRRRRR!」
「ンアーッ!?」

 トモカは苦悶し膝を着いた。ディバイン・カラテの光は失せ、両手は力を失いがくがくと震えている! ゴウランガ! これは生者を衰弱させるネクロ・ウタ・カラテである! ウタ・カラテの使い手であるジュリアが悪霊に憑依されたことで、偶発的にこのジゴクめいたヒサツ・ワザが発揮されたのだ! コワイ!
「ウカツ……」
「イヤーッ!」
 項垂れるトモカにジュリアの断頭チョップ! アブナイ! その時、無数のトランプが飛来しトモカの姿を覆い隠すと、直撃したチョップでバラバラと崩れ落ちた。その向こうにトモカはいない! フシギ! 

「ダイジョブですか、トモカ=サン」
「ドーモ……お見苦しいところを~」

 弱々しく微笑んだトモカを抱えるのはミズキである。彼女がステッキを打ち振るうと、津波めいてトランプ札がジュリアに殺到した。「助かりました。後は私達に任せてください」シホがピストルカラテを構える。「必ず連れ帰って見せますから」トモカを床に下すと、ミズキはトランプ札を操るテヅマ・ジツが破られた驚きを、得意のポーカーフェイスで隠した。
 ジュリアの背後から無数の半透明腕が伸びカードを引き千切る! 千手観音めいた姿はアイドルといえど見た者の背筋を震わせる恐怖をもたらす! だがシホは決断的に踏み出しカラテを打ち込んだ! 
「イヤーッ!」
 BLAM! BLAM! 二発のカラテ弾丸と回し蹴りが襲い掛かる! ナムサン! 腕がすべてガード! 入れ替わりにミズキがステッキを操ると、ジュリアの周囲でカードが破裂、小爆発が巻き起こる! 「AAARRR!」ウタ・カラテ衝撃波が煙幕を散らす!
「「イヤーッ!」」
 左右からシホとミズキが攻撃! 千手観音めいた腕がガード! その奥でジュリアが血走った眼を輝かせ吼える! ネクロ・ウタ・カラテだ!
「AAARRR!」
 二人はカラテガードで飛び退る! 間近で受ければ最悪死に至る! 以前は聴く者の士気を高めるジュリアの歌は、今や生者をジゴクへ誘うバンシーめいた叫びなのだ!
「あのユーレイをどうにかしなければ」
「あの銃は?」
「使えてあと一回。見極めなければ……」
短くやり取りする暇もない。腕の大群が迫る! 「「イヤーッ!」」アイドル達は側転回避し広い室内を飛び回る。ルーントリガーが接近し銃撃! 「イヤーッ!」BLAMBLAMBLAMBLAM! ゴウランガ! 何たる連射か! 「イヤーッ!」ジュリアの千手観音腕がガード! その度に一つずつ腕が破壊されていく! 
「イヤーッ!」
 ジュリアの背後のクローゼットが開き、中からマジシャンドールが飛び出す! 摩訶不可思議な瞬間移動! ステッキを振り下ろす! 「ARRR!」振り向いたジュリアが短く吼える! ミズキは弾かれたように床を転がる。同時にステッキが爆発! BOOM! 爆煙から飛び出したのは白い鳩の群れだ!
 ジュリアは後方を振り仰ぎ射手の姿を求めた。だがそこは無人! 一体どこに!?
「イヤーッ!」
 今なお羽ばたく鳩の群れを突き破り、ルーントリガーが二挺拳銃を向ける! BLAM! BLAM! 幾重ものフェイントを仕掛けカラテ銃弾は、「イヤーッ!」ナムサン、半透明腕に防がれる! 
「イヤーッ!」
 ユーレイめいた腕がシホの首を締め吊し上げる。全身をカナシバリめいた悪寒が襲い脱出は困難! ミズキは虚脱した体を震わせ起き上がろうとする。ジュリアは邪悪に口元を歪めると深く息を吸った。コンマ数秒後の絶叫を予感し、シホは全身に力を込めた。だが拘束が締め付け逃れられぬ! 万事休すか!

「ソコマデ!」

 スイートルームに威厳に満ちた声が響いた。ジュリアが反射的に首を巡らせると、先までは身を横たえていたトモカがふらつきながら立ち上がっていた。彼女の周囲を旋回する小さな物体あり。『モーターミズキは賢くカワイイ!』ホバリングしながら胸を張ったのは小型ドロイドだ。
 ミズキに瓜二つの顔のドロイドはナース服のコスチュームをしている。抱えているドロイドの身長ほどの注射器からは謎の液体が滴る。スパークドリンク静脈注射によって僅かに活力を取り戻したマリアトラップが、大きく深呼吸を開始した。これはアイドルに古より伝わりし神秘的呼吸法、フクシキ!
「スゥーッ……ハァーッ……」
 聖母の背に十字架めいた後光が輝く。ジュリアは低く唸りながら警戒した。彼女もまたカラテを練る!「スゥーッ……ハァー……」そしてお互いの緊張が張り詰めた瞬間、爆発的なカラテエネルギーが放たれた!

「イイイイヤアアアアア!」

 突風が室内を蹂躙! 調度品が吹き飛び絨毯が暴れ狂う! 「ンアーッ!」ディバイン・ウタ・カラテとネクロ・ウタ・カラテの激突の衝撃からシホはミズキを庇った。二人の頭上を砕けた壺が行き過ぎる。嵐の中心のアイドル達は絶え間のない超常的歌合戦を続けている! やがて片方のアイドルが膝を着いた!
「グググ……オノレ……」
 ジュリアである! 苦悶する少女を守るように腕が展開する! その瞬間を見計らったように、マリアトラップは高々と声を響かせた!
「イヤーッ!」
「ンアーッ!?」
 防御形態のユーレイ腕が浄化され雲散霧消! ジュリアはガラ空きに! 「今です!」トモカの叫びに応じシホが走り抜ける! そして無防備ジュリアの顔面に水鉄砲を噴射したのだ!
「イヤーッ!」
「ンアーッ!?」
 ジュリアは白目を剥いて昏倒しかけ、不自然な姿勢から身を起こした。コワイ!
『グググ……オノレ……アバーッ……!』
 憑依したアイドルソウルの暴走か! トモカは仰向けに倒れ、ミズキも虚無感から立ち直れていない。シホは決断的にカラテを構えた。だが、亡霊は硬直しぶるぶると震えている。

『ヤメ……ロ……』

 ギャーン……一つの旋律が部屋に響いた。見ればジュリアの両手指が奇妙な形に曲がっている。やがてそれらは、激しいリズムでエア・ギター演奏者めいて踊り出した! ギャギャギャギャオン! ゴウランガ、弦もなく弾かれるロック演奏! これはジュリアの変則ウタ・カラテ! 魂を震わせるビートが聴く者に熱を与える!
『グオオオ……』
 取り憑いた亡霊、そしてジュリアの周囲に蟠っていたオバケが、激しい旋律に耐えかねたように雲散霧消した。スイートルームを支配していた瘴気が消え失せる。ジュリアは一曲引き終えると清々しい顔で辺りを見回し呟いた。

「……ん? 何かあったのか?」



 ……外に出たアイドル達は廃ホテルを仰いだ。空はやや白みを帯びて、光に照らされたホテルは入る前よりこじんまりとしているように見えた。よく見ると数か所に穴が開いている。「もうイベントには使えませんね」そうシホが呟くと、残りの全員が一様に頷いた。……全員? 違和感を覚えた皆が顔を見合わせる。

『………あ』

 廃墟に放置されたプロデューサーが事務所に帰ってきたのは、それからしばらくしてからのことだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?