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【 #ヒトシネマ】大いなる怪獣の王、その即位を見届けよ

こんにちは、ヒトシです。もう今回は前置きとか全部投げて話してもよろしいでしょうか。別にいいですよね。
それでは始めます。

まず「この映画のメインキャスト」は誰なのか。もちろん怪獣達です。繭を裂いて悠然と月光に羽を輝かせる「女王」モスラ、山を噴火させつつ飛び上がり市民に恐怖の影を落とす「空の大怪獣」ラドン、時に三つ首でじゃれ合い時に引力光線で全てを薙ぎ払う「僣王」ギドラ、そして海から姿を現し、地球を闊歩し、放射熱線で敵対するものを焼き尽くす「王」ゴジラ……!どの怪獣も「生きた」動きを存分に見せつけてきます。そしてこの勢いそのままに全身全霊でぶつかり合う、というのが既にどうかしている。その脚1本首1本の動きから激突する構図まで神話やイコンじみた神聖さが滲み出てくる。観客全員を「神話の目撃者」にしよう、というスタッフの意志がむき出しの構成には脱帽ものです。

そして怪獣たちに花を添える人間ドラマも「怪獣たちの闘いを主眼に据えた際の分量」をかなり意識して書いているのが今作のポイント。モナークの苦闘、暗躍するテロリスト、奇跡の装置「オルカ」と家族のドラマ、そして……芹沢博士。
芹沢博士にあの役割を背負わせたドハティ監督、本当にどうかしている。どうかしている……のだが、「ゴジラに対して己の信念を全うするために行動して命を落とす」のは『ゴジラ(昭和29年)』の芹沢博士と同じものがあり、更にそれをモナークの戦闘要員達も理解した上で送り出す……。最早完璧に観客が初代ゴジラを鑑賞していることを想定して用意されたシーンであり、本来やると賛否両論出るものかもしれない。だが、これをやったということにドハティ監督の「信念」の片鱗を感じずにはいられない。少なくともケン・ワタナベが「あの表情でゴジラを見た」という構図の重さが深々と突き刺さる。

そして最終決戦のシーン。一挙手一投足一個一個の展開全てが「東宝特撮を愛し過ぎた者」の意志てんこ盛りである。ゴジラをあの状態にしようとしたのも、モスラにあの行動を取らせたのも、ギドラにあの神々しくも恐ろしき光線を放たせたのも、ラドンに跪かせたのも、全ては"himself(herself)"である……と解釈したならばこの映画全体にどこまでゴジラシリーズへの深すぎるリスペクトが含まれているのか、その一端でも理解できるだろうか。いや足りないかもしれない。何にせよ戦闘終結後の咆哮、そして大写しのロゴには「ゴジラこそ真なる怪獣の王」という決断的な表明がふんだんに現れている。咆哮それ即ち王自身による即位宣言であり布告!祝え!祝え!祝え!頭が高い!この星の怪獣たちの上に立ち、ここに咆哮せし大いなる怪獣たちの王、ゴジラ!その即位の瞬間である!!

【まとめ】
人間ドラマ:3.5/5.0(怪獣映画としての分量を見極めた上で出された狂人達の物語)
リスペクト:測定不能(強すぎた愛、恐るべき理解度)
ゴジラ:King of the Monsters/怪獣王(全身から溢れ出る王の威厳)

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