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ケネディ暗殺の翌日に『東スポ』が一面でプロレスネタを報じたからといって、「さすが『東スポ』!」とか思うのは間違っている [『東スポ』都市伝説三部作 その①]

 「ケネディ大統領が暗殺された翌日、『東スポ』は”ブラッシー血だるま”を一面で報じた」という都市伝説をご存じでしょうか? (※プラッシー:力道山との抗争で知られる往年の悪役レスラー、フレッド・ブラッシーのこと)

 この伝説自体は、2021年に当の『東スポ』の公式Twitter(なのかな?)が「この時、本誌が一面で報じたのは”力道山不覚! 新兵器も不発”です」と調査・報告したことで、「プロレス関連の一面だったけど、ネタになったレスラーはブラッシーではなく力道山」と、微妙(?)にガセネタだったことが判明しています。

(『東京スポーツ』は夕刊紙なので、店頭に並ぶ日より1日早い日付となります。よって、ケネディ暗殺翌日・11月23日発行の『東スポ』は24日日付です)。

 で、この件に関してWikipediaの『東京スポーツ』には

ケネディ大統領暗殺事件の際、他の新聞全てでこのニュースが1面に掲載された中、唯一「ブラッシー血だるま」を1面に掲載した、という都市伝説が存在する(実際の日本時間11月24日付紙面見出しは「力道不覚!新兵器も不発」であった。とはいえ、話題が他社とずれていることには変わりない

Wikipedia「東京スポーツ」より(引用中の太字は筆者による)

と書かれているのですが……。実はこの「話題が他社とずれていることには変わりない」って、思い込みだけで書かれた明らかなデタラメなんですよ。

 なぜ僕が、このWikipediaの記述について「デタラメ」と断言できるかというと、国会図書館で1963年11月23日付のいろんな新聞の一面を確認してきたから。その結果、たしかに読売・朝日・毎日など一般の新聞はケネディ暗殺を一面にしていたけど、スポーツ新聞はどこもケネディのことなんか報じてないことが判明したんですよね。ということで、さっそく国会図書館でコピーしてきた、『東スポ』以外のスポーツ新聞の「ケネディ暗殺翌日の一面」を紹介していきましょう。

日刊スポーツ「栃の海、柏戸も倒す」

1963年11月23日付『日刊スポーツ』

デイリースポーツ「栃の海 賜杯へ前進」

1963年11月23日付『デイリースポーツ』

報知新聞「栃の海、大鵬きょう決戦」

1963年11月23日付『報知新聞』

 今回5つのスポーツ紙を調査したのですが、そのうち3紙は「栃の若、優勝を目前に」という大相撲ネタを一面で取り上げています。なお、のちほど少し詳しく触れますが、この日のスポーツ新聞各紙は、いずれも『ケネディ暗殺』について1行も触れていません。

スポーツニッポン『不運!空手命中 吉村、マット上に失神」

1963年11月23日付『スポーツニッポン』

 『スポニチ』が一面で取り上げたのは「オースチン、パウロ組vs力道山、吉村道明組」というプロレスのタッグマッチ。これって、『東スポ』が一面で報じたのと同じ試合なんですよね。『スポニチ』と同じ試合を報じているんだから、『東スポ』は全然ずれてません!(キッパリ)

サンケイスポーツ『国鉄新監督に 新鋭・林義一氏」

1963年11月23日付『サンケイスポーツ』

 『サンスポ』は「国鉄スワローズの監督人事」という野球ネタ。国鉄スワローズは前年(1962年)から、実質的にフジサンケイグループが経営していたらしいので、そのあたりの事情があっての一面なのかな、とか思ったり。

 ということで、「ケネディ暗殺翌日」のスポーツ新聞の一面は「相撲…3(日刊・デイリー・報知)、プロレス…2(スポニチ・東スポ)、野球…1(サンスポ)」という感じでした。つまり、ケネディ暗殺翌日に一番ズレた報道をしたスポーツ新聞は『サンスポ』ってことですね(適当)。

 あと、「『東スポ』と比較するなら朝刊スポーツ紙ではなく、他の夕刊紙では?」という疑問を持たれた方もいるかもしれないのですが、『夕刊フジ』『日刊ゲンダイ』はこの時点では創刊されておらず、またこの時期の『内外タイムス』は残念ながら国会図書館には所蔵されていませんでした。ということで、いわゆる「夕刊4紙」間の比較は不可能です。個人的には『内外タイムズ』が何を報じていたのかもすごく気になってたのですけど、超残念なり。

 で、「栃の海」のところで少し書いたのですが、この日のスポーツ新聞各紙では、一面以外でもケネディ暗殺について一切触れていない……というか、その後数日間の紙面を見ても、「ケネディ暗殺」について触れた記事はまず見当たらないのですよね。11月25日付(24日発行)の『東スポ』の「大木金太郎インタビュー」くらいじゃないかなぁ? 「ケネディ暗殺」に関する報道においては、むしろ『東スポ』が日本のスポーツ新聞のトップランナーだったのかもしれません(23日以降については、国会図書館で各紙のマイクロフィルムを流し見しただけなので、細かい記事を見落としてしまっただけかもしれませんが)。

  暗殺とは関係ない記事だと、事件翌日・11月23日付の『スポニチ』に「きょう宇宙放送第一号 ケ大統領のメッセージなど」という記事でケネディ大統領の名前が見られます。

1963年11月23日付『スポーツニッポン』11面より

 実は1963年11月23日って、日本・アメリカ間で初めての衛星中継が行われれた日なんですよね。で、予定ではケネディから日本国民へのメッセージが海を越えて届けられるはずだったのですが、実際に届いたのは『ケネディ暗殺』のニュースだったという……。

11月23日早朝、世界の放送史上画期的な実験、太平洋を越えたテレビの宇宙中継が行われた。午前5時28分、モニターテレビに史上初めて太平洋を越えてきた映像が鮮やかに映し出された。ところが、この歴史的な電波に乗って送られてきたのは、ケネディ大統領の悲報。中継のアナウンス「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念」と伝え、衝撃は全国に広がった。

NHKアーカイブス「初の日米宇宙中継 大統領暗殺の悲報」

 さて、ここまで読んでくださった方の中には「なぜスポーツ新聞はケネディ暗殺を扱わなかったのだろう?」という疑問をもたれた方もいるかもしれません。……が、スポーツ各紙がケネディ暗殺をスルーしたのは、実は当然なのです。というのは、この時期のスポーツ新聞には社会面的なものが存在せず、スポーツと芸能以外の記事はほぼ載っていなかったのですよ。だから、『東スポ』だろうと『日刊』だろうと『スポニチ』だろうと、ケネディ暗殺の記事を載せるわけがなかった、みたいな感じだったのでは(もともと一般紙だった報知にも載っていなかったのは、個人的には若干意外でしたが)。ちなみに、Wikipediaの「日刊スポーツ」によると「1977年、スポーツ新聞で初めて『社会面』を掲載」らしいので、スポーツ紙が一般的な記事を本格的に扱うようになったのは、これ以降なのかもしれません。このあたり、興味を持たれた方はぜひ調べてみてください(他力本願)。

 とか、そんな感じですが、今回はこんなところで。次回以降の「『東スポ』都市伝説シリーズ」では、「『東スポ』が『ケネディ暗殺翌日にブラッシー血だるまを伝えた』という都市伝説は、どのようにして生まれたか?」について書いていこうと思います。乞うご期待!


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