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自己投資は、「投資」である

私は最近、ここ2年ほどで、特に自己投資をするようになった。

1か月ほど前に母親に言われた。

「いつまで投資してるの?」
「リターンがない」

なるほど。
言われた当時は、今夢に向かって頑張っているところだから、今動き始めたところだから、と思っているが、今ふと考えて思ったことが2つある。

・「自己投資」はあくまでも投資なので、リターンありき
・年金や積立系の投資は、長い間こつこつ支払い、時間が経ってから返ってくる、遅咲きタイプの投資もある

「自己投資」はリターンありき

自己投資だと思っていても、正しい努力が出来ていなければ、失敗に終わることも大いにある。

でも、実を結ばなければ、投資した価値はない。
趣味だと言えばそれで問題ないが、「投資」とは言えないのである。

例えば、
フランスで暮らしていくための自己投資として、「フランス語を学ぶ」は意味があるが、「タイ語を学ぶ」はかなり的外れである。
それで、実際にフランスに行ったところで、実を結ぶことは極めて難しい。

つまり、的外れな投資をすると、リターンはない。
ここで、どんなに「タイ語を勉強した!」「努力した!」と叫んだところで、だれも理解をしてくれない。

タイ語の勉強が趣味だったのか、投資だったのかは考える価値がある。

一方で、フランスで暮らしていく。フランス語は堪能である。加えてタイ語を学んで、フランスとタイをつなぐビジネスに成功した。
フランスでタイ人と仲良くなり結婚したとかでもいいが、
ここまでくれば、投資に対するリターンはあったと言えるんだろうなぁ。

なんのためにやっているのか、考える必要があるということ。

目に見えない縁によって、趣味が成果を得ることも大いにあるので、必ずしも「目的」「目的」と言うつもりもないが、あくまでも「投資」という観点で言うと、今やっていることの意味を理解する必要があるという話。

そして、遅咲きの投資もある

金銭系の投資にも何十年もしてからリターンがあるのと同じように、自己投資にも遅咲きのものがあるだろう。

まだリターンを得ていないからといって、この先もリターンがないとは限らない。

(私の場合、厳密にいうとハウスを作ってすらないので、リターンを得る段階に行ってない。ハウスを作る前からリターンを期待するのはおかしな話だが、学びにお金を使って、蓄えが十分でないことを母は危惧しているのだということを補足しておく)

もちろん、積立投資先が倒産したら返ってこないのと同じように、自己投資もリターンを得られず終了することもあり得る。


なんとも結論の出ない議論をしているが、人生というのはそんなもの。

ただ、「自己投資」というのであれば、その意味するところを意識したほうがいいんではないか?ということ。

まとめ

「自己投資」という言葉を都合いいように解釈してはいけない、お金も時間すらも「投資」だという意識を持とうと気を引き締めたと同時に、すぐに実らないからといって、諦めてもいけないと思った話でした。

はりねずみのひとりごと

私はいつも、趣味の延長線上だとしか思っていないので、「自己投資」という言葉を自分の行動の中に意識したことはあまりない。

でも、母は私がお金がかかることをするときには、「投資」だと言っていた。中学時代にさかのぼると、英検の受験費や、塾代、大学費用、留学費用など。

どちらの考えが正しいとかではないが、この記事を書くことで少なからず「お金」のありがたみ、両親への感謝の気持ちが湧いてきた。両親や多くの人たちの”投資”のおかげで、私が「趣味の延長線上だ」と思っていることが叶っているのだと。出来るだけはやく価値を提供できる人間になりたいと思うばかりである。


今日はなんか文体が違うので違和感ですね笑
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