唯物論について

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レーニンのこの記述は、哲学用語を使うと、「唯物論による物質の認識論的概念」です。
我々は「弁証法的唯物論」の立場に立つと言っていますが、その「唯物論とは何か」について書いたことがなかったですし、ほとんど誰も適切な解説を与えてくれていないので、この場を借りてそれを試みたいと思います。

まず、唯物論が何かを考えるためには「物質」と「精神(観念)」という2つのカテゴリーが分からなければなりません。普段皆さんが、「物質的豊かさ」とか「精神的な貧しさ」などと言っているときのそれを明確に定義してみましょう。

①一般にある物の定義では、例えば「鯨は哺乳類の一種である」といったように「一層広い概念に包摂する」ことで定義するのですが、残念ながら物質と精神の定義ではこの方法は使えません。なぜか。それはこの世界に存在するものは、最も大きく物質と精神に二分されるからです。その2概念以上に広い概念はないので、「一層広い概念に包摂する」ことが出来ません。

②困った。ここで哲学の出番です。哲学はこのように考えます。「世界に存在するすべてのものは物質か精神かに分けられるのですが、そこで所与の対象を物質か精神かに判定するのは人間の認識によるのだから、人間の認識能力を感覚と知性に分けて、そのどちらに『まず』与えられるかを基準にする」と。
ここで大切な点は『まず』ということです。
『その次に』とか『最終的に』感覚又は知性のどちらに与えられるかは、ここでは問題にしていません。『まず』という事を頭に叩き込んでください。

③ 「『まず』感覚器官に与えられるもの」を「物質」と名付けます。いや、人々が無意識に「物質」という言葉で考えていることを哲学によって純化するとこうなります。
例えば、食べ物をいくら思考しても満腹感は得られませんよね。食べ物は『まず』感覚器官(口とか胃)に与える。すると脳はその信号を受け取り、我々はお腹がいっぱいだと思考します。
だから食べ物は物質の一種なのです。当たり前でしょう。

④ 逆に『まず』思考に与えられるものが「精神的なもの(観念)」です。精神的なものは文字とか絵画とか音楽とかいった物質に担われていますから、『まず』感覚器官に与えられると思うかもしれませんが、違います。例えば、○○の思想といった時、それは本や作品など物質で担われ、従ってまず目に与えられますが、目はその思想を理解する事が出来ません。つまり、思想そのものは『まず最初に、直接的に』思考に与えられ、そこで処理されます。

⑤ ここまでが、物質と精神の存在論的概念、言い方を変えれば「命名的定義」です。それぞれ「まず感覚器官に与えられるもの」を物質と、「まず思考に与えられるもの」を観念(=精神的なもの)と「名付け」ました。だから、この定義は命名的な定義と言います。

⑥ さて、このように物質と観念の存在論的概念、即ち命名的定義がはっきりした後に初めて、どちらからどちらが出てきたか、どちらが根源的かという問題が現出します。

⑦ 我々の立場、唯物論というのは物質が根源的で精神は物質から派生した、あるいは物質の機能でしかない、と考える考え方です。これはどういう事かというと、元々先に存在しているのは物質であり、その物質が色々な媒介を経て感覚や思考に反映されたものが観念の正体である、ということです。そして、この「元々感覚から独立して存在しており、感覚で反映されるもの」が物質の認識論的概念。より簡単に言えば、「物質」というものの内容上の意味を示す定義、即ち「概念規定的定義」です。もっと簡単に言えば、「物質」の「(性質の)説明」です。

*物質の「命名的定義」と「概念規定的定義」の違い、すなわち物質をどう「名付け」、どう「説明」したかを整理するとより明確になると思います。*

⑧ 逆に観念論者は観念が先で、物質が後と考えます。つまり、観念論によれば、何か抽象的な観念(精神的なもの)が元々どこかに実体として存在しており、それが物質という仮の形をとって働いている、と考えています。

⑨ ここまで読んでもらえれば分かるように、哲学とあまり関わりがない人は凡そ潜在的に唯物論者であるといえるのではないでしょうか。しかし哲学の伝統を受け継ぐことが出来ないのに哲学にかぶれたサラリーマン哲学教授には観念論、しかもその中でもさらに低い主観的観念論に留まっている人が多いのです。

誤解を招かないよう、一つ断っておくと、ヘーゲルを分かっていないのに知ったかぶりをかます人達はすぐヘーゲルを観念論だと言いますが、ヘーゲルの観念論とサラリーマン哲学教授の観念論は全く別物です。確かにヘーゲルは観念論から出発しますが、哲学を極限まで深めた為に往々にして事実上唯物論に立った主張をしています。

⑩ この事を問題提起されているのが、中井浩一さんのブログ論文「ヘーゲル哲学は本当に『観念論』だろうか」( http://nakai.2-d.jp/2010/02/11/237.html )です。興味があれば読んでみて下さい。

以上が、唯物論者による唯物論の解説でした。
疑問、質問等あればどうぞ。