平凡太郎

何者にもなれない、何者でもない。 群衆に埋没し、個性はない。 平々凡々な私のどこにでも…

平凡太郎

何者にもなれない、何者でもない。 群衆に埋没し、個性はない。 平々凡々な私のどこにでもある世界。 何者かになりたいわけでもなく、生きているから生きている、そんな人生。 絶賛、モラトリアム中。

最近の記事

生と死は本質的には一体のものだと思うんだ

あなたは生きてますか?この質問にNOと答える人はお調子者か狂人だということになるのでしょうか。 もしくは、生きることに絶望している人でしょうか。 もしかしたら、オカルト的な、霊的な存在者かもしれませんね。 では次の質問はどうでしょう。 あなたは死んでいますか?これにYESと答える人は、大概が先程の質問にNOと答えた人だろうと思います。 もしくは、狂人か。 おそらく多くの人は、生と死を対立した概念として捉えていると思います。 そして同時に、死ぬことはあっても生き返ることは

    • 自由という名の不自由

      はじめに「自由」という響きは素敵だ。 人は誰でも自由を欲している。 自由の獲得を巡って歴史が展開されていると言っても過言ではないだろう。 私たちは自由を愛している。 そして現代日本社会においては、自由は私たちの権利として認められているし、おそらく多くの日本に住む人々が自分は自由だと思っているのではないだろうか(勿論、一定程度の不自由を感じている人々もいるだろう)。 しかし、それは嘘だ。 私たちは自由ではない。 自由という名の不自由なのだ。 本稿では自由についての筆者の考

      • 「私」とは何者か。

        はじめに「私」とは何者か。誰しも一度は考えたことがあると思います。 この問いに対する筆者の到達点を簡潔にお伝えしたいと思います。 思惟する存在としての「私」「私」とは何者か、という問いにおいて、既に「私」の存在は所与のものとして暗黙のうちに承認されています。 近代哲学の父であるR.デカルトは「我思う、故に我在り」と言って精神、つまり「私」を実体的存在として考えました。 その「私」とは思惟する存在としての「私」です。 しかし、筆者の言う「私」とはそんな抽象物ではありませ

      生と死は本質的には一体のものだと思うんだ