生と死は本質的には一体のものだと思うんだ

あなたは生きてますか?

この質問にNOと答える人はお調子者か狂人だということになるのでしょうか。
もしくは、生きることに絶望している人でしょうか。
もしかしたら、オカルト的な、霊的な存在者かもしれませんね。

では次の質問はどうでしょう。

あなたは死んでいますか?

これにYESと答える人は、大概が先程の質問にNOと答えた人だろうと思います。
もしくは、狂人か。

おそらく多くの人は、生と死を対立した概念として捉えていると思います。
そして同時に、死ぬことはあっても生き返ることはない、生から死への移行は不可逆的・一方的なものだと捉えていると思います。

しかし、筆者は必ずしもそうであるとは思いません。
生と死は、哲学的に突き詰めていば同一性に帰着することになると筆者は考えています。

だから筆者であれば、先程の2つの質問のどちらにもYESと答えます。
因みに筆者は狂人ではありません。

私たちは生きながら死んでいる、そして死にながら生きている。

これについては、2つの観点から考えなければなりません。

1つ目は、肉体の観点です。
私たちの肉体は出生時から大人になるにつれて成長していきます。
しかし、その成長はある時を堺に止まり、同時に老いに転じます。
これが通俗的な肉体についての理解だと思いますが、これは表面的な理解に過ぎないと筆者は考えます。
実際のところは、私たちの肉体は始めから死に向っているのです。
細胞レベルで見れば、細胞は絶えず死に、同時に自己を再生産して(ある意味では生き返って)います。
そして細胞の死と再生産の循環は、だんだんと緩やかになっていきます。
この循環が止まったとき、私たちの肉体は朽ちてやがてなくなります。
私たちの肉体は絶えず古い自己を捨てながら新しい自己を産み出しています。

2つ目は精神的な観点です。
以下の事柄について考えてみると、それは露わになると思います。
今日のあなたと明日のあなたは同一の存在者ですか。 
もしくは今日のあなたと10年後のあなたは同一の存在者ですか。

多くの人はYESと答えるでしょう。
それは、私たちには未来の自己と現在の自己との同一性について素朴な確信を持っていて、それは結局のところ習慣的なものです。
今日のあなたは昨日のあなたと同一だと思うから、明日のあなたと今日のあなたも同一だと思う。
それは時間間隔を拡張してみても同じことです。
しかし、本当に同一ですか?

きちんと比較してみればわかることですが、価値観や自己認識はと現在とでは往々にして違っています。
絶えず新たな経験をして、新たな知識を得て、価値観を更新する。
この変化は急激なこともあれば、知覚できないほとに緩慢で漸進的なこともあります。
しかし、やはり絶えることのない変化こそが本当です。
だから厳密に言えば、明日のあなたは今日のあなたとは違うのです。
私たちの精神は古い自己を捨てながら新しい自己を産み出しています。

生と死の循環、言い換えれば古い自己から新しい自己への絶えることのない移行が私たちだ。

こう考えると、死とは身近なものに感じられてきます。
死の恐怖も少しは薄らぐかもしれません。
私たちは死を退けることで日常に平穏を見出している気がします。
でも、実際のところ死とは常に私たちの側にあるものです。
生と死を一体として捉えることが、本来的な生に繋がっていくのだと思います。

もっとも、生とは何か、死とは何かということには、それこそ色々な答えがあるとは思いますが。

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