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gmたべっ子水族館

おととい、大好きなお友達からやばいキーホルダーをもらった。
やばすぎる、狂ったデッサン、最高、

顔面の片側にすべての顔のパーツが配置されている、やばすぎる、意味わからなくてかわいい。泣
能天気な笑顔もまたキュート、抱きしめたくなる、なんて愛くるしいかれい(画像左)。

お友達曰く、たべっ子どうぶつのキャラクターマスコットは、水族館シリーズの方が趣があるらしい。その中でもかれいのキャラデザが群を抜いて奇抜な気がする、最高。おもしろすぎる。
あと、まんぼう(画像右)もいただいた。まんぼうも顔面のパーツが極端に左顔面に集約されていて意味わからない、最高、色味もビビッドで華やか。向こう側のひれが見えてるのもいい、思考停止してそうな笑顔もいい感じ。

さっそく通勤鞄にぶらさげた。今日4月8日はかれいと一緒に出勤した記念日になった。鞄を見下げたらずっと変わらない笑顔がそこに、心強い。

差し色になったかれい。


かれいという仲間が傍にいたからか、今日はやけに駅構内のキーホルダーが目に入った。思ったよりも人々はマスコットとともに生きている。黒ずんだシロクマと人魚のキメラとか、スモールライト(ドラえもんのひみつ道具)とか、いろいろ見つけた。
個々のキャラクターに、持ち主との絆、歴史があるのかなと、ぬくもりの世界に想いを馳せた。そこは喧騒からのサンクチュアリ。

「人間がありきたりの人生においてこのような偶然に目が開かれていず、そのために人生から美の広がりが失われていくことをまさしく非難しなければならないのである」

ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』千野栄一訳、集英社、1998年、pp.68-69。

私の好きな言葉を引用。つづけて補足。

「われわれの毎日の生活は偶然、より正確にいえば人びとや事件との偶然的邂逅、すなわち出会いに満たされている。出会いとは、二つの予期せざる事件が同時におこり、出会うことを意味する」

ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』千野栄一訳、集英社、1998年、p.67。


生きているといつもこの考えにつきあたる。はじめて目にした時から私をとらえて離さない一節。意味のみならず文章の美しさにも惹きつけられる。
私とかれいの出会いは、私の人生に新しい視点をもたらしてくれた。マスコットキャラクターを通して見ることで、ことさら世の中を愛おしく感じるように。
かれいにもお友達にも特大のありがとうを、たべっ子どうぶつキーホルダーあつめるぞ!

仲良く寄り添う2尾。

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