見出し画像

なぜか落ち着くコインランドリー

二、三年前に買ったユニクロのシームレスダウンをコインランドリーで洗おうと思ったのは、確か今年の冬が終わる頃のことだった。さすがにずっと着ていたので汚れが目立つようになってきたからだ。

しかしダウンジャケットのクリーニング代は高く(というかダウンの購入価格とクリーニング代の割が合わなかった。だったら新品を買うよと思うくらいだった)、家で洗うのも面倒だった。そこでネットで調べたところ、どうもコインランドリーでも洗えるとのこと。

ただし洗えるかどうかは素材によるらしい。シームレスダウンがどうなのかはタグを見ても何ともいえなかった(手洗い推奨にも見えた)。

まあ仮にだめだったとしても、十分着て元は取ったのでまた新しく買えばいいかと思い、試してみることにした。

それがなぜ今頃になって実行することにしたのかというと、そろそろやらないと、だめだった時に寒い日に着るものがなくなるという理由が1割と、単純に面倒だったからというのが9割だった。

早速(と言えるのかはわからないけど)近所のコインランドリーに赴く。
洗濯は400円だった。500円玉があったけど、機械が100円玉しか使えない仕様だったので、初っ端からつまづいた。辺りを見回すも両替機はない。もちろんQUICPayも使えない。

世の中もうQUICPayで支配されればいいのに、と思いつつ考えを巡らせていると、そういえば入口に自販機があったなと思い出す。いい商売してるな、と感心する。

おあつらえ向きにほとんどの商品が100円で買えるようになっていた自販機で、UCCのブラック無糖を500円玉で買う。お釣りがじゃらじゃらと出てきて、じゃらじゃら? と不審に思い釣銭口から硬貨を取り出してみると、100円玉が3枚に、10円玉が10枚で400円のお釣りが構成されていた。

そんなことある? 全然おあつらえ向きじゃないじゃん、と思うも、これは両替機じゃなく自販機だったことを思い出し、溜飲を下げる。

幸い100円玉は元々1枚持っていたので、洗濯はそれでできる。しかしそうすると乾燥機代がなくなってしまう。

しばしの逡巡の後、僕は洗濯機にダウンジャケットを突っ込み、近くのセブンイレブンに行くことにした。自販機で1000円札を入れて、今度は10円玉が90枚出てきたら堪ったものじゃない。

洗濯は39分かかるとのことなので、自宅で暇を潰した後、そろそろかなという頃合いにコインランドリーに戻った。どれどれどうなっているかな、とドラム式の洗濯機の中を覗くと、ダウンジャケットの姿が見当たらない。

からから、と洗濯槽が回っている。しかしダウンジャケットは見えない。

はじめは高速で回転しているために目で捉えきれないのかと思った。しかしあれだけかさばるものが影も形もなくなるとは考えがたかった。

そこでようやく、まさか盗られた? と思い当たる。

迂闊だった。こんな晴れの日にコインランドリーに来る人なんていないだろうし、その上洗濯中のものを盗る人がいるなんて全く想定していなかった。

ひとまず自分の甘さを悔いるのは後にし、今後どうするかを考える。このような状況が頻発するのか、壁には『当方紛失の責任は負いません』的な文面の張り紙があった。
まあそれはそうだろう。では警察か? 幸い監視カメラは天井にあった。事件の解決には役立つだろう。あれがダミーでなければ。両替機もないような設備なので、一抹の不安は拭えない。

などと、あれこれ対応方法を模索している時のことだった。洗濯機の中からかすかに「べちゃ」というような音がした。中を覗いてみると、何やら小さな塊が見えた。

あれ、これ僕のダウンジャケットか? と思って目を凝らしてみるも、よくわからない。水に濡れたとはいえ、こんなに小さくなるものなのだろうか。ついでに一緒に洗っていた手袋ではないだろうか。いや、それにしては大きすぎるか……。

などと判別がつく前に、洗濯終了のベルが鳴った。僕はおそるおそるドアを開ける。濡れて小さくなった僕のダウンジャケットがそこにはあった。

つまり盗られた云々は僕の早とちりで、実際はダウンジャケットが濡れて縮まっていて、かつ脱水中だったので、遠心力で洗濯槽の内周部に張り付いて見えなかっただけだったようだ。

僕は澄ました顔でそのダウンジャケットと手袋を乾燥機に放り込んだ。

乾燥機は10分100円だった。どのくらいかければいいかわからなかったので、ひとまず100円を投入する。待ち時間は10分だったし、一人心の中で騒いでしまったことを反省学習した僕は、今度は椅子に座って待つことにした。

背後でごうんごうんと乾燥機が回る音と、その中でかちんかちんとダウンジャケットの金具が当たる音だけが、コインランドリー内の全てだった。僕はiPhoneで株価を見たり電子書籍を読んだりして時間を潰した。

それはなぜかとても落ち着く時間だった。

僕は基本的に不特定多数の人がいる場所(いる可能性のある場所)では落ち着けない性質だ。だからカフェとかでの作業は集中できないのでしないし、電車やバスなども可能な限り乗らないようにしている。

その点ではこのコインランドリーも、不特定多数の人が訪れる可能性のある場所だ。にもかかわらず、僕は不思議と落ち着いて読書をすることができた。途中一人二人やってきて無人ではなくなったのに、その気分は変わらなかった。

なんでだろうと考えたら、この空間が徹底的に孤独の集まりだからではないだろうか、と思い当たった。洗濯する場所に団らんに来る人はいまい。そもそも洗濯という行為自体日々の生活において極めて個人的な行いだ。なので「ちょっとコインランドリーに遊びにいこうぜ」みたいな『連れコインランドリー』はきっと行われない。だからここは個人個人が集まる場所になる。

それぞれが洗濯をし、乾燥にかけ、終わるまで待つ。行動を共有しているようで全く共有していない、人生が交差したようで一切交わっていない、そんな圧倒的に無関心で支配された場所だからこそ、僕は落ち着きを得られ、いっそ好感すら抱いたのではないだろうか。

なんてしょうもないことを考えていたら、乾燥が終わっていた。一回ではなんとなくまだしぼんでいたようだったので、もう一回かけてみる。するとかなりふかふかになった。形が崩れることも、どこかがほつれて中身の羽毛がこぼれているということもなく、ピカピカになっていた。

どうやらダウンジャケットをコインランドリーで洗う挑戦には成功したらしい。少なくともユニクロのシームレスダウンは大丈夫みたいだ(もしこの記事を見てやってみようと思った方へ。当方は責任を負いかねますのでご了承下さい)。

600円ぽっちで最高のパフォーマンスを達成したことに、僕はだいぶ満足して帰宅した。

  *

なぜこんな何でもない日記めいた文章を唐突に書いたかというと、当社比でおもしろいことが起きてちょっと興奮したというのもあるけど、主に最近読んだ浅野いにおさんのエッセイに触発されたからだった。

noteを始めた当初は何らかの仕事や書籍化に繋がればという下心が多分にありつつ記事を書いていたけど、最近はそういったことは真面目に小説を書いて達成することにして、こっちはとりあえず何でもいいから発信して継続していこうと思っていた。なので今回の日記に関してもその一環だった。また暇があれば似たようなものを書くかもしれないし、書かないかもしれない。

そういえばいつの間にかnoteが一年続いていた。先日記事を上げたら59週連続の記事更新達成というポップアップが表示された(つぶやきでもその記録は継続されるみたいだ)。

たぶんあんまり読まれていない部類に入るだろうけど、それでも読んでくれる人は確実にいる。この一年間の累計であればきっと少なくない数の人達が。それって結構すごいことだなって思った。

その分活字を取り込んで吐き出します。