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ついさっき終わった話と自分の能力について(11)

今日は19時からオンラインでとある意見交換会に参加していました。

子育てや教育の政策に関する意見交換会。

地元の議員を囲んで僕含む計6名。僕と議員以外は学生さん。「どんな立ち位置やねん…」と思いながら参加しましたが、楽しかったです。(誰としゃべってても結局楽しい男)

子育てと教育ということで…まぁ僕は多少「専門家」っぽい立場でしたが、それよりも父や夫、奨学金を返してる元学生という部分でのお話が多かった。

いつもながら結局話しすぎてゴメンナサイ。(いや、場的にはよかったんだと思いますよ、たぶん。でもね…。)

んで…思った事がまず1つ。

僕、どんな話題振られても大抵そこらの人の何倍もしゃべれるんだけども…それはしゃべる技術の前に思索の量から違うんじゃないか…。

いや「世間の人が考えてない」と言いたいわけじゃないんです。

ただ、僕は何をするにしてもやりながら「これってなんでこうなんてんの?」とか「もっとよくするにはどうしたら?」とか、なんかアレコレ考えるわけで…

それは仕組みや商品に対してだけじゃなく、「お金」とか「言葉」とか、ちょっと抽象的なものに対しても自分なりの意味や価値、機能を考えてるから、「語れること」が多いんだと思った。

自由に発言を振られると大抵し〜んとするのだが、黙ってるとほかの人が口を開いてくれることもある。んで、さらっと何かを言ってくれる。

その発言を受けてまた言いたいことが山程出てきて…そんなことの繰り返し。人の話にはたくさん共感できるし、共感した上で言えることがたくさんある。

場の誰かの発言がつねにこちらの引き出しを開けてくれるから、話したいことがたくさんたくさん湧いてきてしまう。

思索の量、たぶん僕多いんだと思います。

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それからもう1つ。

今日の会に限らず、僕はオンラインで会議などに出るとチャットをかなりたくさん使う。

それは1つには主催者を盛り上げたいという意図もあるのだが…これ、実は結構難しいことらしい。

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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。