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チッカリングとエラール

先々週、清里の「萌木の村オルゴール博物館ホール・オブ・ホールズ」というところで、チッカリング&サンズ社(Chickering&Sons、アメリカ)の大きなグランドピアノ(9フィート)に触れることができました。
1926年製で、アンピコ社(American Piano Company)の自動演奏装置が取り付けられているという珍しいもの。いわゆるプレイヤーピアノ(自動ピアノ)です。「チッカリング・9フィート・アンピコ・グランドピアノ」と呼ぶそうで、アンピコ付きのチッカリングのグランドは、世界中でこれ1台しかないということです。
わが家にあるのは一般的なアップライトピアノとデジタルピアノ。メーカーや機種と問わなければグランドピアノは借りやすいですが、こういう「ちょっと(?)昔のピアノ」を弾かせてもらる経験は大変貴重です。

ちなみにこのアンピコの自動演奏装置というのは、ピアニストが演奏したときの作動を記録したロールペーパーを用いて演奏を再現する機械です。記録はロールペーパーに穴をあけることで行います。演奏を再現するときは、その穴から空気を送ることでピアノを操ります。これも一種の「録音」といえるかもしれません。

このような自動演奏装置は、音の強弱やペダリングや微細なタッチまでよく再現されるので、ラジオ黎明期(初の公共放送は1920年アメリカ)でレコーディング技術もまだまだであった当時は、多くのピアニストや作曲家がこうした自動演奏装置のために記録を残しています。人間と共演したり、演奏旅行に同行したりと、活躍したようです。このチッカリングを弾かせていただいた当日は、ラフマニノフの演奏によるロールペーパーも聴かせてもらえました。

「ちょっと昔のピアノ」というと、昨年、100年ほど前に製作されたエラール社のピアノを弾かせていただく機会がありました。1918年製です。
エラールは、1777年にフランスのセバスティアン・エラールがピアノ製作を始めたのが起こりで、エラール社は1960年に同じフランスのピアノメーカーであるガヴォーに吸収合併されるまで存在しましたから、1918年製ということは、エラール社後期の製品ということになります。

エラールは、さまざまな発明が知られますが、一番有名なのはダブル・エスケープメント・アクションだと思います。これは打鍵後、指を上げなくてもハンマーが素早くもとの位置に戻り(落下する)、ハンマーが落下している途中で再びハンマーをたたき上げることもできる仕組みで、速い同音反復、トリルなどが、しかも弱い音でもできるようになって、演奏の可能性を広げたと聞きます。

エラールは、今のピアノのような交差弦でなく平行弦。一体成型の鋳鉄フレームではなく金属枠と金属支柱。支柱は4本のものや5本のものがあるようですが、これは5本でした。

エラール

この鉄枠や支柱は1820年頃に採用されたもので、ロンドンでブロードウッドが、パリでエラールが同時期に特許を取得しているそうです。鉄枠の採用により、より強い力で弦を張ることができるようになり、それに伴いハンマーが大きくなり、ハンマーの打弦する部分が皮革から分厚いフェルトになり、一音を鳴らす弦の数が増えたり、低温弦が真鍮の太い弦から巻き線になったり、木製ケースが大きくなったりと、ピアノが大きくなっていきます。これは当時の「産業革命」が関係しているという点でも興味深い楽器の進化です。

そして、今のピアノにつながる一体成型の鋳鉄フレームを持つグランドピアノを最初に作ったのが、このチッカリングだったと思います。

チッカリング

さて、音はどうかというと、あくまで私の感想ですが、エラールの音は今のピアノに比べると音量小さく、やはり薄い印象はあるのですが、言い換えれば、明るく、繊細でつつましく、気取らない優しさがある感じです。

フランスのピアノというと、エラールとプレイエルですが、その両方(とブロードウッドも)を持っていたショパンは、両者についてこう話したそうです。

大宮眞琴先生の『ピアノの歴史』からの孫引きですが、「《私は気分のすぐれないときにはエラールのピアノを弾く。このピアノは、既成(レディメイド)の音を出すからだ。しかし身体の調子が良いときはプレイエルのピアノを弾く。この楽器からは自分自身の音を作り出すことができる。》」(ウリ・モルゼン 編、芹澤尚子訳『ピアノ演奏の歴史』1986年)と。

体調の悪いときには寄り添ってくれるようなピアノ。そういう感じであったとすれば、そういうのもまた、いい楽器なんだろうなと思います。

また、ショパンは大きな会場より広くないサロンでの演奏が好きだったそうですが、そういうとき、エラールはよかったんだろうなと想像します。エラールを弾かせていただいての、あくまで私の想像ですが。

チッカリングは、やはり今のピアノに近いです。今のフルコンほどではないと思いますが、エラールに比べたら重厚で華やかで音量豊かで、同じ「ピアノ」といっても、やっぱりぜんぜん違う楽器なんだなあと思いました。

ともあれ、清里のチッカリングは、歴史を感じて、楽しいピアノ体験でした。