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褒めてもらえる世界

僕がはじめて触れたゲーム機はファミコンだった。おじさんの家にお邪魔した時に父と一緒に遊ばせてもらった記憶がある。記憶がある、と言うくらいに幼かった頃のことだ。そのファミコンはコントローラーのA・Bボタンがゴム製で四角かった。後で知ったが、それは初期ロットの仕様で流通量が少なく、今では10万円くらいで取引されるレアなものらしい。

その後、両親が麻雀をやるために買ったのか、姉と僕がねだったのかは忘れたが、気がついた時にはうちにはファミコンがあった。ソフトは麻雀の他に確か、ベースボールとテニス、それとゴルフがあった。A・Bボタンは丸いプラスチック製に変わっていた。

父はボンバーマンが得意で僕よりも先に全面クリアし、エンディングで判明するロードランナーにつながる世界設定を得意げにネタバレして僕を泣かせた。母とはドラクエの攻略を競い合った。バラモスを先に倒された僕は、母の「ぼうけんのしょ」をコピーして、ズルはするなとビックリするくらい叱られた。だから僕がはじめて魔王を倒した勇者は父の名前だ。

当時は夜8時か9時頃には布団に入る約束になっていたのだけど、夜中に両親がファミコンをしている気配を感じると布団を抜け出し、寝ている間に進めるのはずるいとよく駄々をこねたものだった。

両親はゲーム音楽のオーケストラコンサートに連れて行ってくれたり、レアで入手が難しいゲームソフトの入荷日には一緒に気合をいれながら抽選の行列に並んでくれたりもした。学校の成績やテストの点数によってゲームで遊ぶことを制限すると脅されるようなこともなかった。

ゲームに対する見方は家庭ごとにそれぞれで、友人の家でゲームを遊んでいる時にはその両親や祖父母から嫌味を言われたり、叱咤されて一緒に外に追い出されるようなこともしょっちゅうあった。そうしてだんだんとうちは恵まれた環境なんだと理解する。

家庭用ゲーム機、アーケード機ともに活況の黄金期で、何百万本も売れるソフトがどんどん出てくる時代だったけれど、ビデオゲームを遊んだ体験がなく、その面白さが共有できない世代との断絶は大きかった。世間ではゲームで遊ぶことに対して冷ややかな目を向ける人の方が多かったように思う。いくらゲームが上手くても、それは友達同士でしか通用しない勲章だった。


小学生のころ、母とスーパーで夕飯の買い出しをして帰る途中、近所に住む若い夫婦とばったり会い、立ち話になった。母が、最近スーパーマリオに夢中になっている僕の話をすると、お兄さんの表情がパッと代わり、どうしてもクリアできないところがあるから手伝って欲しいと僕に言った。

とっくに門限を過ぎている時間だったが、母は「やっておいで!」と快く送り出してくれ、僕はその夫婦の家でスーパーマリオのテクニックを披露することになった。問題のステージをあっさりとクリアしてその後は攻略方法のレクチャーをした。お兄さんは僕のプレイ1つ1つに驚き、すごい。天才だ。師匠になってくれ。とおだてた。後で思えば、とても上手に僕をあやしてくれただけなのかもしれないが、ゲームをしていて大人に褒められた経験というのはそれが初めてのことで、役に立てたこと、認められたことが嬉しくて、あの時の気持ちはまだ覚えている。

家に送り届けてくれたお兄さんは玄関先でも両親に僕のことを恥ずかしくなるくらい褒めちぎってくれた。家族の食事はすでに終わっていて僕ひとりの夕飯だったが、一緒に席についてくれた両親からはいろいろとインタビューをされ、それが誇らしかった。この経験を今でもはっきり覚えているのは、自分が得意なことを肯定されたことの心地よさが胸に刻み込まれているからだと思う。


先日、さいたまeスポーツ協会が主催するイベントで、僕が熱心にプレイしているNintendo Switchの「ARMS」を種目とした小学生以下の大会が行われると聞き、スタッフとして手伝いをしてきた。会長を務めるきこぴのさんとはARMSを通じての知り合いである。

「ゲームが得意な子どもを、勉強や運動が得意な子と同じように褒めてあげられる場所を作りたい」

という活動目的を彼女から聞いた時に、この自分の体験を思い出したのだった。

「eスポーツ」の呼称で競技としてビデオゲームが世間に認知され始め、当時よりもゲームが市民権を得てきているように思える。一方でスマートフォンや携帯機が普及しどこでも遊べる環境ができたことで依存症が心配されたり、表現力があがったゲーム機の暴力的な描写から受ける影響を懸念する声もある。ビデオゲームを遊んで育った世代が親となっても、ゲームが子どもに与える悪影響を心配する家庭は以前と変わらず多くあるだろう。

それぞれ家庭の事情があるので、どのようなルールでゲームと付き合うのが正しいのかはわからない。

ただ、得意なことが周りから認められ、褒められることは自分に自信をつけるためにとても貴重な体験だ。その機会が、学業やスポーツではなく、ゲームでしか得られない子がいたとすればどうだろうか。

そんな子のための場所をつくろうというきこぴのさんの活動は意義のあるものに思える。わからないからとりあえず制限する、ではなくゲームとのよい付き合い方を親御さんとお子さんが一緒に考えられるきっかけにできたら素晴らしいことだ。

うれしいことに、はじめてのイベントには多くのご家族に来場いただき、そしてみんながゲームの良い部分、楽しさを共有できたようだった。

後日、参加された親御さんからTwitterでメッセージをいただいた。夕食の団らんでもイベントやゲームの話題で盛り上がったという嬉しい報告を読みながら、あの日僕だけが食事をする賑やかな食卓を思い出していた。


日本各地でゲーム大会やイベントが立ち上がっている。eスポーツを高校生の部活動として認める学校も出てきたらしい。

こうした流れの中で、きこぴのさんの活動のように小さな子どもやその家族がゲームを通じてポジティブな関係になれる活動も増えていくと素敵だと思う。


イベントの様子は個人ブログでオフレポにまとめているので、読んでもらえたらうれしいです。





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