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厄は落ちた。

「出会ってから今までで、今日が1番ええ顔してるわ。」

知り合ってから10数年になる割烹料理店の大将に言われた。食事とお酒を出してくれる度、まじまじと僕の顔を見て2度、3度。繰り返し呟いた。

そうでしょう。と口から出そうになったのを堪えて、

「そうですかねぇ」

と、とぼけた笑顔で謙虚を演じた。

去年は本厄だった。

何色を身につけると良いだの、ラッキーナンバーはいくつだのといった神頼み的な占いの類は全く興味が無いのだけど、厄年や四柱推命のようなものは結構信じているところがある。人生には好調不調の揺らぎがあって、その時々で心がけるべきことがあるような気がする。
厄年は自分の半生を見直してこの先を考える機会で、その為の何かしらの試練が起こる年だと覚悟していた。

一昨年のうちから、長年自分が勤務していた部署の売却が決まっていて、2021年は大きな転換期になることは覚悟していたが、いざ始まってみるとこれまで経験した苦労を集めて煮詰めたような、想像を超えた苦労の日々が続いた。

転籍先の会社への大規模なWEBサービスの移行作業から始まり、落ち着く間も無く、経験の無い新しい事業の立ち上げを任され、プレッシャーとハードワークで文字通り目の回るような毎日。気がつけば体重は10キロ落ちていた。

それでも幸いなのは、良い同僚と上司に恵まれ、ハードながらも前向きで活気ある職場に入れたことだ。久しぶりに働きがいを感じられている。この会社で認められたい、と素直に思える。失敗だらけで、たくさんの人に迷惑をかけながらも、何とか昨年の目標である新規事業の立ち上げを実現し、年末の最終営業日を迎えた時には、達成感に少し涙腺が緩んだ。

ここ10年近く、何をしても若い頃のようなやりがいを感じる仕事ができず、悶々とした感情を抱えながら生きていた。

今年の元旦、朝陽を浴びた時に感じた体の軽さ。余計な脂肪が落ちたからだけではない。昨日よりも陽が透き通って見える。吸い込む空気が美味しく感じる。今年、仕事の責任は益々増え、より苦労する日々が待っていることは間違いないのだが、不思議とやる気はみなぎっている。

憑き物が取れる、とはまさにこの感覚のことだ、と思った。厄は落ちた。厄年は私にとって大切な転換の年だった。

今年は、これからは、きっともっとやれる。今、そんな根拠の無い自信に満ちている。

久しぶりに大学時代からの友人を誘って食事をした。

友人はお店の大将に

「こいつも、昔は今みたいにいい感じだったんですよ」

と言った。

失礼な話だ、とツッコミながらも、自分が変わった事が客観的にもみんなに認められていることが嬉しい。若く、自信に満ちていたあの頃の雰囲気に、少しは戻れたのだろうか。

この日は、愚痴を肴に悪酔いするいつものパターンに陥ることも無く、楽しかった昔話に華を咲かせて遅くまで楽しい酒を飲んだ。


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