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舞台ウマ娘をより楽しむ為の副読本~史実の1991年における登場人物たちを取り巻く環境など

 

主旨

 大好評のうちに全公演を終了した舞台ウマ娘「Sprinter’s Story」をより深く、楽しく観劇する為に1991年の競馬事情等を改めてまとめてみました。ウマ娘というコンテンツは史実を知っていることでより魅力が増し、各キャラクターの言動や性格により理解度が深まるようにできておりますので、ザッと読んで頂くことでその一助となればと思います。
 「もうアーカイブ見られる時間ほぼないじゃないか!」というご指摘もあろうかと思いますが、その場合は舞台のBlu-rayが発売される8月にでもお読み頂ければ…。


1991年各登場人物の出走状況(そのままネタバレです)

  ※年齢表記は当時のもの、1歳引くとイメージしやすいと思います

赤枠部分は舞台で描写あり、水色=G1・黄色=G2・緑色=G3・紫色=OP・黒色=準OP以下

 上図を見て頂いても分かる通り、登場人物4名が全員揃ったレースは1つもありませんでした。翌年安田記念を制することになるヤマニンゼファーはデビューしたばかりでもあり、なんとかスプリンターズSに出走できたというのがこの時点での立ち位置です。ストーリーとしては年内に5回も対戦しているダイタクヘリオスとダイイチルビーが中心、新興勢力の外国産ケイエスミラクルがこれに絡んでいく形となります。

 また参考として、今回の舞台では名称が出てこないものの出走しているバンブーメモリーとイクノディクタスの戦績も載せておきます。前者はオグリキャップと死闘を繰り広げた名馬であり前年のスプリンターズSの覇者でもありますが、流石に衰えが見えています。後者は…いや、なんですかねこのローテーション。当時もいつもレースしているイメージでしたけども。

 1991年はアニメ2期及びメインストーリー1章の舞台でもある為、王道路線を走るメジロマックイーン、クラシックを無敗で駆け抜けるトウカイテイオーも併せて載せておきました。今回の舞台となった短距離路線と同時進行していたという事実も知ると、より興味深くなるのではないかと思います。


当時の短距離路線について

 舞台中でルビーが王道路線に戻り結果を出したい旨の発言をしますし、ヘリオスの育成シナリオ上では短距離路線が重視されていないということも描写されていますが、これは当時の空気そのものです。まず短距離を軽視しているのはJRA自身でもあり、いまだにマイラー・スプリンターの表彰が「最優秀短距離馬」一つにまとめられていることからも分かりますね(注:2024年度からようやく分けられることになりました)。私自身は競馬を見始めた頃から短距離路線が大好きだったので、偏見はないんですけれども。

 本題に入ります。当時の短距離路線ですが、これが全く整備されていませんでした。まずとにかく出られるレースが少ない。スプリンターのG1は年末のスプリンターズSのみ、マイラーのG1も春の安田記念と秋のマイルCSのみでした(3歳限定G1と桜花賞は除く)。つまりこの年はダイイチルビーとダイタクヘリオスだけで、全てのG1を取ったことになりますね。

 能力が高かったとしても中距離及び長距離が適性外である場合、マイル・スプリントの短距離路線に向かうことになる為、同じ馬達による死闘となることが多くレベル的にも高い激戦となりました。蟲毒のような世界です。ですので、「この時代に短距離G1を1つでも勝つというのはかなり難しかった」ということを知っておくと、登場人物への敬意も深まるかと思います。

 翌年になるとヤマニンゼファーが安田記念を制し、ダイタクヘリオスがマイルCSを連覇します。スプリンターズSはクラシック路線を歩んできた天才少女ニシノフラワーが方向転換して臨み、これを制しています。後の歴代最強級スプリンターであるサクラバクシンオーも、頭角を現してきます。以降も激しい戦いが続きますが、スプリント最強の名を欲しいままにしたバクシンオーがまだ衰えていないのに出るレースがなくなって94年に引退した後、短距離のレースが整備されていくこととなる訳です。

快速馬ケイエスミラクル


心優しきおれっ娘ケイエスミラクル

 この馬の実装が決まった時は、本当に驚き思わず声が出ました。ダイイチルビーの名が出た時は「これでダイタクヘリオスの実装が近づいたな」くらいの気持ちだったのですが、こちらはまさかと。思えば同じようにレース中の事故で命を落とすことになったサイレンススズカやライスシャワーをウマ娘として実装したコンテンツなので、可能性は十分あったのですが…。

 4歳(現3歳)の春に現れ、圧勝と複数のレコード勝ちを記録しながらもその年末に散ってしまう、あらゆる意味で速すぎる馬でした。結果だけ見ればやはり短期間にレースに出すぎた消耗(連闘や中1週など)、高すぎる性能に対して体が耐えられなかったなどの推測をしてしまいますが、実際どうだったのかは我々には知る術がありません。使ったレース数というだけならダイタクヘリオスやイクノディクタスも大差ないですし、そういう時代でもあったということは押さえておきたい所です。
※当時の芝コースは今よりも傷みやすく、高速化が進んでいる現在よりも故障の発生率が高かったというデータはあります

 レースを詰めて使わざるを得なかったのは、体調不良等でデビューが遅れ、早期に賞金を稼げなかったことも大きいと考えます。当時の外国産馬は出られるレースがとても少なく、短距離馬であれば4月のG3クリスタルカップ、6月のG2ニュージーランドトロフィー辺りが目標となるのが普通でした(G1のNHKマイルCは1996年開始)。これができなかったとなると、秋の短距離重賞に出走する為にも、どうしても賞金を稼いでおく必要があります。もう少し余裕のあるローテーションだったら、違う未来が待っていた可能性も…もしかしたらあったのかもしれませんがこれも妄想にすぎません。

 血統的には父がStutz Blackhawk、当時血統辞典を好んで読んでいたような私も「?」となるような血統ではありますが、快速のMr.Prospectorの直仔でありそのスピードをミラクル自身が十分発揮していたことを考えれば、もし種牡馬になっていても大成功していたかもしれません。今でこそ日本でも珍しくない系統ですが当時は全然いませんでしたので、特にそう感じますね。

 ただ種牡馬になることが必ずしも幸せな訳ではありません。人間にも言えることですが誰かの心の中に残り続けることこそが、生き続けるということなんじゃないかなと個人的には思っています。今回の舞台で佐藤日向さんという素晴らしい役者さんが「ウマ娘」としてのケイエスミラクルに魂を入れてくれたことで、今まで知らなかった人たちの心の中にもきっとその存在が刻まれたんじゃないかなと思います。
 舞台でもヘリオスの育成シナリオでも、復活はしたものの大きな怪我をしてしまっている事実はありますので、願わくは怪我無く皆と走ることができる幸せな本人の育成シナリオをお待ちしています。

最後に(反省込み)

 ここまで書いておいてなんなんですけど、これケイエスミラクルの部分だけ分けて一本の記事にした方が良かったんじゃないのという反省が残ります。無駄にクソ長い長文になってしまい、誠に申し訳ありません。それでももし、面白かったという方がいてくれたら幸いです。時代背景とかは感じ方がずれる部分もあるかもしれませんが、概ね合ってると思いますので…。舞台を現地で見た及び配信で見た感想も気が向いたら書くかもしれませんが、その時はもう少し見やすくしたいです、はい。


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