面白さの責任者

毎度おなじみ、ぴょん吉です。

毎度おなじみのミーティングが、毎度おなじみクソつまらなくて絶望しています。辛うじてつまらないと思っていないのはトップの一人のみ。トップの気分で全員が振り回される構図。開始時間に平気で遅れてくるのもムカつく。マジで価値がないなと思うので転職を決めて正解だったと再確認しているわけですが。

翻って。数人以上が集まる場で、会のクオリティを維持、上昇させる責任は誰にあるのか。集まること自体には否定的ではないケースに限ることとします。

まぁ何の面白みもない結論ですが、主催がいる会議・集会では主催者に責任があり、講演者が別にいる場合には主催者:講演者が7:3くらい。主催者がいない集まりでは参加者全員に責任があるかと思います。

会の責任者が責任を持って面白くするべき、という言葉の定義通りになってしまいましたが、じゃあその責任を全うするためには、主催者は是が非でも面白くしなければならない代わりに、参加者を選定する権利があるべきであろう。逆に参加者は主催者に問題があって面白くないし、面白くもならないと思えば拒否する権利があるべきなのだろう。

国会とか授業とか、誰に責任があるのか曖昧な集まりが多すぎることは問題かもしれない。

そもそも、より良くしようという意識がないと変えようとも思わないし、そのためにはチャレンジ精神とか開放性みたいなものが必要で、それがない人は主催側、マネジメント側に回ってはいけないということである。

その辺は維持が目的の組織と発展が目的の組織でも変わってきそう。維持が目的の組織はどんどん機械化が進んでいけばいいと思うけど。

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