最近噂の献血ポスター

毎度おなじみ、ぴょん吉です。

献血ポスターが盛り上がって、いや、燃え盛っていますね。

立場としては主に公の場に出すポスターとして不適切と思います。どちらの陣営にも逆張りで足を引っ張るの、もはや人類は議論に向かないのではないかと思っています。

それはさておき、最近気に入ったフレーズに現代アートは「新しい見方、考え方など、美術史上に新たな一歩を踏み出す意図」があるかどうか、「何を表現したくて作ったのかという背景がとても大事」というのがあります。以下から引用しています。https://omocoro.jp/kiji/152982/

この背景や文脈が重要になるというのは、人類が積み重ねてきた叡智である科学にも共通するわけです。余談ですが、僕がクラシック音楽があまり得意ではない理由であり、僕がハロープロジェクトが好きな理由でもあります。膨大なバックグラウンドを理解しないとクラシックを楽しめないの!?と思って心が折れた、ただの食わず嫌いです。今やメンバーのほとんどはLOVEマシーン発売後生まれであるが、メンバーに憧れて入ったり、名曲が歌い継がれたり。長くなるので止めます。

女性差別的文脈で言えば、女性の権利が認められずモノとして扱われており、特に日本では改善の兆しが一切見られない。献血啓蒙ポスターという比較的広範に掲示されうるものに女性の胸を強調した性的商品としての絵を乗せることは不適切である。一方、コミケに献血カーが来て賑わうみたいなのは適切なゾーニングかと。それは内輪ネタである限りにおいて許容されるものであり、それを逸脱する行為は体育会系ノリを強要されることや、ヲタクが詳細に話しすぎて辟易とさせることの強化版として批判されて然るべき行為である。

ただ当然オタクにも文脈があり、アニメ文化についてはもうしばらく主流から遠ざかっているため正確かはわかりませんが、宇崎さんは「性的対象として魅力的な特徴を揃えている、なのにウザい(=人間的魅力に劣る)」というキャラだと思います。だから性的特徴が当然誇張されているし、思い通りには消費させないというアンチテーゼの含まれた文脈があります。どこかで見かけたとき、マジでウザくて耐えられなかった記憶があります(褒めてます)。

あらゆるものが文脈から切り離されて評価されるとき、制作側にとって予想外の評価を受けることが当然あります。文脈から縁遠い人にとってもわかりやすく説明する技術は非常に重要ですが難易度の高いことです。本質的に表現者は文脈から独立にはなれないので、結果として文脈の外に対して不適切であるなら取り下げることが必要だし、二度と表現するなではなく出直してこいの姿勢が必要です。

で、最も言いたいことは、みんなもっと文脈から愛そうよ、ということ。情報があふれることによってスピード感が増して、一見してわかりやすいことが求められすぎてやしないか。その文脈切り離したら面白くないじゃん。もっと文脈ごと知ろうとすること、文脈ごと説明/売っていくこと。それぞれが専門家しすぎてしまうんだけど、まぁ良いじゃん。あと批判するなら相手の文脈から批判しないといけないから、かなり勉強が必要なんだよね。表面だけ否定しても、それは文脈の一部だから当然伝わらない。

というか、文脈を無視する人に議論の資格はない。主張する側も批判する側も等しく。

覚悟してみんな専門家になって、文脈から愛そうよ。

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