パラレルワールドの君は僕と出会っていただろうか

気まぐれで書く文章です。


「親ガチャ」という言葉が流行っているらしい。

詳しくは調べきれてないが、生まれた家庭環境によって人生が勝ちゲーかどうか決まるというような旨の言葉らしい。
このような「たられば」的なことを考えて自分の人生を悲観するという考えは今に始まったことでもないと思う。

人間ならみんなそう考えるんじゃないだろうか、
「もしも自分があの時ああしていたら」ということを。

「親ガチャ」という言葉については、
格差が広がり続け、「震災」や「コロナ禍」という自分の行動ではどうにも覆せないあまりにも大きすぎる事象を経験した現代社会の流れを汲み取れば、
自己という存在を生み出したそもそもの根源である「親」に責任を転嫁する(そうすることで開き直りたい)という流れはまあ分からなくもない気がする。

「親ガチャ」という言葉を認めるわけではなく、
いつの時代でも人間にまとわりつく「たられば」の怒りの矛先が、自分自身ではなく他者に責任を求めるものにシフトしただけの一過性のものであると信じたい。


自分も同じことを思うことはある。

クリエイティブな仕事に就いている先輩のインスタグラムを見ていると、
日々、子供に無条件でLEGOブロックのおもちゃを与えていたり、仮面ライダーのおもちゃを与えている。

それは私自身が子供時代に望んでいたものだ。

もしも私がこのような「LEGOや仮面ライダーのおもちゃを無条件で与えてくれる親」の元に生まれていたらどうなっていただろう、
と今でも考えてしまう。

何故そんなことを考えてしまうかというと、高校生の時の両親との一コマが今でも忘れられないからだ。

高校2年生のいつだったか、親に話したいことがあると言って、
単身赴任の父親が実家に帰ってきているタイミングを見計らって食事に誘った。

当時、地方都市の地元に新しくできたサイゼリヤに行きたいと母親が提案してパスタやサラダを頼んだことも覚えている。

そこで私は「高校を卒業したら映画の専門学校に行きたい」という相談をしてサイゼリヤで家族と大喧嘩をした。

というのがこの話のオチである。

詳しくは語らないが、10代の青年が心からやりたいと思ったことを全身全霊で否定された瞬間だった。


30歳手前になり自分自身のキャリアに迷ってはいるが、いまだに映画だけは変わらない趣味として胸を張って言える自分自身のことを鑑みると、
あの時何を言われたとしても、映画の専門学校に行くという意志を貫いた方が良かったんのではないかという考えがふと頭にチラついてしまった。

無条件でLEGOや仮面ライダーのおもちゃを与える父親の元で生まれていれば、あの時サイゼリヤで喧嘩せずに映画の専門学校に行けていたのだろうか。

とは、考えるが結論はそうじゃない。


恐らく俺は、あの親の元に生まれたからこそ映画が好きになった。

親に全身全霊で否定されて諦めたなら結局その程度の覚悟だった。

そういうことだろう?

あの時ああしていれば、という世界線なんて結局どこにも存在しないのだ。

やらない後悔より、やる後悔。

後悔することばかりが大前提の”恵まれた世の中”なら、踏ん切りのつく後悔と寄り添って生きていきたい


21.11.26



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