知らない場所へ移ること/年末に書きそうな話の準備


いつからだろうか。大好きだったあの場所から苦しい感情しか産まれなくなってきたのは。

いつからだろうか。十代の頃とは同じ目線であの場所にもういれなくなってしまったのは。

ここ数日、頻繁なペースで車で遠くに出かけたいと思っていた。

今まさに呼吸をしているこの場所から走ること2~3時間、いや、1時間もあれば十分かもしれない。

都会の街並みを抜け、日が落ちるとともにどこまでも続く人影も街灯もない暗闇が続く山道。

ポツンと佇むコンビニに車を止めて、温かい飲み物を手に入れるために店の中に入る。

こんなに都心から離れたにも関わらず、店の中を支配するのはどこに行っても変わらないフライヤーの油と安っぽいコーヒーマシンから出たコーヒー豆のカスが混ざり合った鼻を突くにおい。

その匂いに嗅覚を麻痺された分、飲み物を買い終えて外に出たときに自然の、森の、その土地の土と緑の混ざり切ったどこか懐かしい匂いが頭の隅々まで染み込んでくる。

そんな経験。地方の暮らしを手放すとともに置いてきたこの懐かしむべき感覚を、最近、再び味わいたいと思っていたのだが、
いつから俺はこの感覚を忌むべきものとして思うようになってしまったのだろう、とふとしたことをきっかけに考えた。

多分答えはずっと前から知っていて、ただ言葉にしたことがなかっただけなのだろう。

新卒で入社したあの会社で色々な景色を見てから嫌になってしまったんだと思う。

それまで、開拓するべき場所、面白さを自分たちで作っていくものだと思っていた場所が一気にスケールダウンしてしまった。

「きっとあの場所はあの人と繋がっているだろうから、素性を明かしたくは無い」

「あぁ、そこなら聞いたことあるよ。〇〇ってとこが◆◆みたいなことがあってできたらしいよ」

とか。

どこに行っても付きまとう「素性を出して喋ればたぶん知り合いの知り合いにぶち当たるかもしれない」という感情。

しかもその知り合いというのは楽しい大人や、ミレニアル世代とZ世代の狭間に生まれた特有の感覚を共有できる同世代ではなく、
汚い汗と脂にまみれた醜い醜い懐古主義者たち。

ごめん。こんなこと言っても理解してくれる人は誰もいないのは分かってるんだけどね。

どこに行っても新しい発見や驚きを得れる彼らのことが少しだけ羨ましくなってしまった。

キングヌーじゃないけれど、もう戻れないよあの頃のようには。

別に俺がそこで何かを楽しんだり、失った感覚を取り戻すために奮闘しなくても、そこで楽しんで新しいことをしてくれる人達はたくさん出てくるから。

だったら俺は、その間に他の誰もが知らないものや見たことのないものを見ておきたい。

そんな気分なんです。何年か前から。


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早いもので年の瀬。

物理的な距離ができたことをきっかけに生まれてしまう衝突やすれ違いもあれば、

物理的な距離がどれだけあっても分かり合える心があることや確かに巡り合う同じ心意気がある。

そんなことを学んだような気がする1年だった。

まあ、俺は皆が大好きだよ。


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