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日記2

12/5
力を入れすぎて実験で使っている石英管を壊してしまった。

 もっと壊すために筋トレした。冗談。ベンチプレス70kgをクリア(5rep5set上げ切る)できなくて悔しい。

 家に着いたのは午前2時半だった。自分の意志で大学に通っているとはいえ気が滅入る。目減りする余白を丁寧につないで自我を守っていこうと思う。もう自暴自棄のふりをして目を背けることはしない。
 NewDadというバンドが良い。アイルランドのインディーバンドらしい。


12/6
 二週間に一度くらいのペースで進捗報告がある。教授だけでなく、共同研究先の研究者の方にも意見をいただけるのが凄く有難い。その方(一度だけお会いしたことがある)は、仕事のはずなのにいつも楽しそうに話す。二言目には「○○を××にしたら面白そうだねえ」と言う。面白い。いまは違くても、研究を本心からそう思える日はいつか訪れると確信している。予備校の恩師の言葉を思い出す。めんどくさいことでも嫌なことでも、一歩踏み出して自分の意志で動いたら見える世界が変わる。
 オンラインで行われたその報告会の後、学生の居室に来た教授と与太話をした。教授はよく「加藤は積んでる経験が人と違うから将来が楽しみだ」みたいなことを大真面目な顔で言う。世の中に無駄なことなんてない、どんな経験でも糧に変える要素はある、と。嘘や冗談であったとしても救われる気持ちになる。真意を勘ぐるのは無粋だ。貴方ほどの人にそう言ってもらえることがどれだけ嬉しいことか。一歩でも二歩でも踏み出していってやろう、そう思えてくる。


12/7
 江國香織「神様のボート」読了。江國の文はこころの奥にすっと浸透してくる。クライマックスは武者震いがした。

 それはそうと、読み終えた次に別の作家さんの本を読み始めるときってなんか読みにくく感じる。最初の20ページくらいは繰り返しながら読まないと頭に入ってこない。そのあとは楽なんだけどね。

12/8
 夜、大学を出るなり友達に電話して家に押し掛けた。飲んで、散歩して、飲んだ。おれが酔って巻いたくだをさらに巻いてくれるような友達。音楽と本の話をたくさんした。大好きだ。ありがとうね。

12/9
 昼過ぎに友人宅のソファで起きる。帰宅してシャワーを浴びて大学へ(575)。22時、街中をふらふらしたい欲をなんとか抑えて帰宅。

 神様のボートを読んで以来、ひとつの場所に留まっていることへの恐怖がより強くなったように感じる。縛られていること、溜まっていく淀みを横目に生活を続けることが不快で仕方がない。退屈とも違う。これが満たされ始めていることのサインなのだと思う。トレーニングをして、SNSをやめ、本を読み、思うが儘に研究をする。あの頃思い描いていた姿にどんどんと近付いていく。それは同時に空虚が生まれることを意味する。元来生きることに天賦の意味などなく、自分で仮の意味をつけてそれをガソリンとして動いていたことを今一度突きつけられる。

 事象のほとんどにおいて明確な正解など存在せず、それを受け入れるため、都合のいい解釈で自分と世界の関係がこれ以上歪んでしまわないため、「大丈夫、大丈夫」と呟き続ける。同じように、理想の自分もない。近付き続けている感覚のみがある。だから不安だ。大丈夫、大丈夫、大丈夫。明日も生きよう。生きていていいよ。そんな聞き飽きた言葉を今日も自分に浴びせる。ずっとこうなんだろうという諦観。諦観。諦観…。


12/10
 大学に行った後、街中を散歩した。たくさん考えてたくさん歩いたが、もう覚えていない。

 柚木麻子「BUTTER」読了。今読んでよかった。作中のトキシックマスキュリニティの表現に自分にも潜んでいたぞ、潜んでいるぞと突き刺される。結末、不格好でも前向きな未来を描く選択をした主人公に共感する。
 巻末の解説よりひとつ引用する。「必要とされるときは、汲めども尽きぬ無尽蔵な適量である。」私も熱を持つ人でありたい、そう思った。


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