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春が来るとそっと開ける、引き出し

下書きで置いておいたnoteをやっと書く気になりました。

ジンバブエの季節の感じは、まだよくわからない。
Facebookでいろんな友人による、花の写真の投稿で、季節が変わったことを知る。

そうか、日本に春がやってきたか。
私はいつもこの季節になるとそっと開ける引き出しがある。と言ってもこれは、心の引き出し。
冬を越せずに、春が来る前に、死んでしまった父を思い出すという作業のこと。
2/3の節分とは季節の別れ目。暦の上での春到来。
父は2/2のお昼前に、私と母がいた病室で、何も言わずにこの世界を旅立った。私がオーストラリアへ語学留学へ言って半年たち、一時帰国していた時の急な出来事だった。

4年前に食道にガンが見つかってから、闘病の末、1年で父はいなくなった。
その1年の間、私なりにサポートしてきたけど
抗がん剤治療で味覚は鈍感になってより濃い味を好むようになり、短気な性格は余計鋭くなって文句を言われたり、正直鬱陶しく感じることもあった。
後から母に聞くと、母もいろいろきつく当たられることがあり、父自身自己嫌悪になっていたようだ。

父の葬儀や四九日などを終えて、オーストラリアに戻ったら、私はなんだか燃え尽き症候群のようになっていた。

なんで私はオーストラリアにいるんだっけ?なぜ英語を勉強するの?

その時、他にも悲しいことがいろいろ重なり、何か無理に乗り越えようとしていた私を見て
「悲しみを塗り替えたり乗り越えようとしなくていい。引き出しにしまっておいて、時々そっと開けてまた閉じたらいいんだよ。」と言ってくれた人がいた。何か刺激的なことをして悲しみを誤魔化そうとしていたのだけど、妙に納得して、だから私は、時々そうしている。

父は、母より3つ年上で先に教職からの退職を迎えた。
父は旅行が好きで、ヨーロッパへ鉄道の旅に行きたかったけど母と一緒にいくために母が退職するのを待っていた。
直近では北海道や熊本に行っていたらしい。
北海道の広大な自然に感動して、「◯◯(地元の地名)なんてせせこましいわ!(狭くてごみごみしてるという意味)」と気が大きくなって興奮して話していたのを思い出す。
オーストラリアも昔家族で行ったことがあったので、自然の美しさを覚えていた。父はオーストラリアにも病気を直してもう一回行きたいと行っていた。結局それは叶わなかった。

私は、オーストラリアで燃え尽き症候群になった時、行っていた語学学校に長い休みをとり、行ってみたかった場所へ行ってみることにした。

シドニーからバスに乗ってバイロンベイ、ニンビン、ゴールドコースト。
そこからブリスベンへ行って、ランズボロ、マレニー。
そこからダーウィンへ行って、ティウィアイランドにボロルーラ、セブンエミュー。
環境に優しいエコビレッジの暮らしや先住民のアボリジニを訪ねる旅。

見たかったもの、見たことなかったものを全部見てやった。
特に聞いたことのない街は、先入観がないので、本当に新鮮だった。悲しんでいる暇なんてなかった。

交通が不便なところほど楽しかった。
マレニーという街まで一日3本しかないバスで向かっていた時、
窓から見えた美しいオーストラリアの山々を見ていたら、なぜか涙が止まらなくなった。
景色を見ていて泣いたのは初めてだった。

乗客は私と、ご婦人の二人だけで
バスが揺れて私のカバンが座席から音を立ててこぼれ落ちた時、彼女はチラッと泣いている私を見た。

ああ、世界はこんなにも美しいのに、この景色を父は見ることはできないんだな。
この日、この瞬間は二度と来ないから私も二度とこの瞬間には戻れない。
他の誰もこの瞬間を見ることはできない、私だけ。私だけがこの瞬間の中にいる。

そんな旅の刹那とともに、父のことを思い出して、私は目から流れてくる熱いものをそのままにしておいた。
バスは一瞬で通り過ぎたから、その風景の写真を撮ることもできず(撮ろうともしなかった)、私はこの瞬間のことを心で覚えておこうと思った。
父は母と一緒に行く旅行じゃないと意味がなかった。
旅は誰かと行くより断然一人旅派だけど、私もいつかは誰かと同じ景色を見てみたいなと思った。

なんだか取り止めがないので、この辺で。

父の死から学んだことは、

行きたいところには、すぐ行け。見てみたかったもの、見たことなかったものを見ろ。人生は短い。

ということ。他にもいろいろあるけど、今日はこの辺で。

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