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してもらって初めて気がつくこと

今までの私は
自分がどう与えることが出来るかをたくさん考えてきたんだけど

何かをしてもらって
受け取る体験をすることで、初めてわかることもたくさんあるよなーって最近思った。

例えば、優先席。
席を譲った体験はあっても、席を譲ってもらう体験ってしたことなかった。

妊娠してからというもの、お腹がまだ出てきていなかった時期も、つわりがひどくて、出来れば座りたい…というかもう、席が空いてないならいっそのこと今すぐ座り込みたい…みたいな状況も多々あったけれど、優先席のエリアに立っていたとしても、みんな携帯ばっかり見ていて、そこに席を必要としている人がいるかを気にしている人はいなかった。

席を譲ってもらえないという事実よりも、そうやって他者を思いやる余裕のない現代社会の日本に対して、すごく残念な気持ちになって、私は人に優しくするとか、思いやりたい気持ちとか、忘れないでおこうって思った体験だった。

ところがある日、電車に乗った時のこと。
たまたま優先席が近いドアから電車に乗ったら、私より少し若い女性2人が、優先席に座って喋っていたのだけど、チラっとこっちを見て、「どうぞ」ってサッと立ち上がった。全然そんなことは予期してなかったし、私の中ではむしろ譲る人がいない「優先席」と書いてあるだけの席と化していた中で、本当に予想外でびっくりした。

私、その時涙ぐんでしまって。
知らない人で溢れている社会の中で、人の優しさに触れる機会って本当になくなってしまっていて。私が憂いていた社会の中に、こんな人の温もりがあるのかって。優しい世界に触れて、今まで悲観していた気持ちが溶かされる感じがして、嬉しい以上の暖かさを感じた。


他にも、受け取る体験があって。
私はこの4年半ほど、毎月松山(愛媛県)に飛んで、心のことやヒーリングを学ぶために研鑽してきたのだけど。妊娠してから、松山に行くのが物理的に難しくなって、おやすみが続いてた。
そんな中で感じるのは、やっぱり世界と切り離されている感覚。

今まで毎月浴びていた高い次元の周波数が、当たり前になっていた自分に気づいて。
今までずっと学び続け、自分の内側に向き合って、深みを増していくことが当たり前になっていたことに気づく。
すると、その環境にいることがすごく幸せだったこととか、大好きだった気持ちを、いつの間にか、より一層強く感じるようになっていた。
でもそんなに、寂しいとか思わなかった。

でも、現地でみんなには会えなくても、またみんなと触れ合いたいな。って気持ちは素直にあって、それをクラスの先生に伝えたら、クラスの初めの時間を使って、Zoomでクラスの全員1人ずつと話す時間を作ってくれた。
みんなの顔を見て、5分くらいで終わりかなーと思ってたから、みんなと1人ひとりと話せる時間があって、1時間弱も時間を割いてくれて、すごく温かい時間で、その心遣いがとても心に沁みた。

みんなが温かい眼差しを向けてくれていることや、私の体調を気にかけてくれている気持ちや、一緒に赤ちゃんの誕生を楽しみに待っていてくれること…。
書きながら思い出して泣いてるけど、そのくらい、嬉しかったし、ほっとした。

居場所があること。
繋がりが持てること。
誰かに想われること。

自分が今まで「与えたい」と思ってきたことだったけれど、こうして100%も200%も受け取るという体験は、もしかしたら初めてだったかもしれない。

数年前、ヒーリングのクラスの中で、「祈る」とはどういうことなのか?を実験したことがあった。
その時に、純粋な祈りのエネルギーとはどんなエネルギーなのかを体感した。

みんなとZoomで触れ合ったあと、祈られているエネルギーを感じた。

みんなはZoomが終わってから、すぐに講義を受けていたかもしれないし、実際のところはわからないけれど、でも祈られている感覚、みんなのエネルギーの輪に入れてもらえている感覚を感じた。

私も、時々祈ることがある。

自分が自分の命をよりよく使って生きられるように。
私の周りの家族や友人が、今日も幸せや愛を感じられていますように。
少しでも世界の痛みが癒やされて、平和に向かいますように。

幼稚園から大学まで、小学校以外全てミッションスクールで育った私にとって、そもそも祈るという行為自体、身近なものではあったけれど、エネルギーを学ぶようになってから、祈りが人に与える影響を、より肌で実感するようになっていた。

だから、祈る。

けれど、祈られる、というのは、あまりなかった体験だった。

祈られる、というのは、

どれだけ孤独の牢獄にいても
どれだけ真っ暗で死にたいほどの気持ちであっても
どれだけ痛みがあったとしても

そこに光があることを教えてくれる。

祈りというのは、

地獄の底まで、救い上げるために迎えにきてくれる行為ではなくて、
どれほどの地獄にいたとしても、底に光がなかったとしても、「ここに光はあるよ」と照らしてくれるもの。

そういう意味で、「祈り」と「待つこと」はとても似ていると思う。

クラスのみんなとZoomで話をした日以来、ものすごく頑張らなきゃ!と力んでいた気持ちが楽になり、1人ではない温かい気持ちを自分の中に取り戻した感じがしてる。


今日も今日とてヒーリングをして、ついさっき、いつもヒーリングを受けてくださる方たちの顔が浮かんだ。

自分が祈られた時に感じた感覚があるからこそ余計に、ふと祈りたくなった。

私に関わる人たちがみんな、自分の光を取り戻しますように。
幸せや愛の感覚を、感じる瞬間がありますように。

受け取ることを通しての学びは、とても大きいと思った。

こうしてたくさん受け取って、自分の内側から上がってくる感覚を待つことが出来る時間が、とても豊かで、満たされてる。
ムクムクと上がってくる「やりたい」という気持ちが出てくる。
頭で考えるのではなくて、自分の感覚に従いやすくなる。

受け取れるだけの心のスペースや、
たっぷりと感じられる人生の余白を持つことが

私にとってはすごく大切で、価値のあることなんだと思った。

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