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一日じゅう書いていたい。

「一日じゅう書いていたい。心に浮かぶ風景を書きとって、手が痺れてしまうほど、書き尽くしたい。羊水のなかで目を閉じているような仕方で、まどろむように、一日じゅう、書いていたい。

書くことは涙の海に潜ることに似ている。「私」は涙を文字に、文字の海に変え、自らそこに沈み、そのうちに、いなくなる。沈みゆく私の意識は、はじめぼんやりと、次第にはっきりと、眼下に、美しく輝く光の都をみとめ、瞬きのいつのまにか、私がその門前に立っている。私が私自身に違いないこと、ただそれだけがこの、厳粛で巨大な門の、通行証だ。門番はちらりと私を見、無言のままひっそりと通用口を開ける。私は潜水のせいで切れた息をようやく取り戻しながら、煌々と光るこの市街に、彷徨い入る。

私の心はあまりにも広大だ。

ここには様々の地形があり、風土があり、自然があり、道があり、建物があり、品物があり、現象がある。ここでは、私には計り知れない心を秘めた人々が、想像には難くない、けれども彼らだけしか知らない日常を、淡々と送っている。

この土地で私が見聞する風景や人々の生活は、ほとんどの場合、大変明澄で、幸運と幸福に満ちていて、非常に、美しい。書くことによってしか辿り着けないこの土地の、この圧倒的な、生命に溢れた、美しい数学のような、音楽的な光景を、やがて帰らねばならぬその時までに書き尽くそうと、私は歩き回り、必死で筆を動かすのだが、書いても、書いても無論、書き尽くすことができないまま、やがて帰還を命じる鐘が遠い陸地から聞こえてくる。書き殴った手帳を抱きしめたまま、私は精一杯、息を吸いなおし、しかたなく、再び気絶するような仕方で地上へと、帰ってゆく。そして水面から出た途端、私は暗い部屋、涙に濡れた寝台に、ひとりぼっちで、干からびた胎児のように不自然に体を丸めて、浅く弱い呼吸でやっと息を繋いでいることに、気づくのだ。…しっかりと守っていたつもりの手帳の字は、私の涙に浸されていて、もう、読めない。

一日じゅう、書いていたい。」

日記からの、引用です。

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。