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春を謳う鯨 ⑦

◆◇◇◇ ⑥ ◇◇◇◆

なに…?

ううん、なんでもない。私、せっかくだから、旗艦店で指輪、選びたいな…。

楢崎くんは鈴香を見た。鈴香が楢崎くんを見つめ返して、ねえ、私にもすごく、決心がいることなんだよ、大切に、してね、と、呟くと、楢崎くんはしかめ面になって、これ以上、どうやって大切にしろって言うの。わがままも大概にしなよ、と、ため息をつくように、苦笑した。

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鈴香は昼が近づいてきたのを感じながら、キングサイズのベッドの上をずるずると移動して、ティッシュをゴミ箱に投げ入れた。楢崎くんは浴槽にお湯を張りに行っていて、土砂降りになった窓の外の夏の夕立のような、遠い水音が、部屋に響いていた。鈴香が横たわって休んでいると、ゴムを外した時に零れたのか、どこかからほんのりと、楢崎くんの匂いが漂ってきた。



楢崎くんは、夜は鈴香のバスローブを脱がせてベッドに招き入れて、ところどころ撫でたりはしていたけれど、結局そのまま、鈴香を抱きしめて眠ってしまって….鈴香は、額と顎を抑えられて、目が覚めたのだった。息苦しいと思ったら、下着姿の楢崎くんが、鈴香を跨いで鈴香の胸元にいて、鈴香を見下ろしていた。

おはよ。おさまんなくなっちゃった。口、貸して。

な、に…。

楢崎くんは鈴香の頭を抱えて、そのまま捻り入れてきた。

乾いてるよ。鈴香の口は鈴香だけのものじゃないんだから、口内環境、気をつけないと。

寝起きというのはそんなものだと言いたかった。鈴香は楢崎くんを噛まないようにとっさに舌を広げながら、楢崎くんの鼠蹊部を押して、顔を離して、口を拭った。

こういうの、…困る。

鈴香の寝顔見てたら、催しちゃったんだよ。すごく、そそられた。じゃあ、無理矢理しない。ゆっくりね。舐めてるうちに濡れてくるから、準備にも、ちょうどいいよね。

それは、…自分の体を守るためだ。楢崎くんとしたくて盛り上がってるからじゃない。鈴香は楢崎を見上げた。楢崎くんはうっとりした表情で、昨日は、緊張して飲みすぎちゃって、できなかったんだ、目が覚めたあとは、待ちきれなくて。と、鈴香の頭をまた、引き寄せた。

鈴香はなにかを、諦めた。なにか、とても大切なことを諦めているような気がしたけれど、もう、どこからどこまでが「お互い様」なのか、鈴香には、わからなかった。わからないというより…鈴香だけが考えても、答えの出ないことなのだ、本当なら二人で考えることだと、鈴香は思うのに、いつも、どのタイミングで言いだせばいいかわからなくて、いつも、いつも、…気づくと、鈴香は、楢崎くんの下で呼吸を止めて…嫌がっている自分を責めて、感じている自分を責めて…本当なら、溢れる愛おしさを吸い込んで過ごすこともできるはずの時間を、息を殺して、ただ、耐えている。

鈴香が漏れ出てきた楢崎くんにえずくと、楢崎くんはそれを無視してもう一度深く突き入れて、小さくため息を漏らしてから身を引いた。楢崎くんは、コンドーム持ってきた? と、涙目の鈴香に尋ねた。

…ポーチの、中…。

つけて欲しいなら、昨日のうちに、枕元に出しときなよ。手際悪いなぁ。

枕元に出していたら、それはそれで、情緒がないと鈴香を非難していたに違いない。鈴香が忘れてくることを、楢崎くんは期待していたろうなと、鈴香は思った。でも…まだ、本当に籍を入れたわけでもないし…籍を入れた後だって、鈴香は鈴香だけ汚れたり、不安になったりするのは嫌だと思う。いったい…どこから話せば…? ううん、けど、楢崎くんはぶつぶつ言っても、つけないで無理矢理というわけじゃないんだから…違う…どうして鈴香は、そんな当たり前のことを「お願い」しなければいけない…?

戻ってくるなり、鈴香を裏返してうつ伏せにし、鈴香に割り入ってきた楢崎くんは、背中をそらして起き上がろうとした鈴香の両胸を、寄せるようにみっちりと掴んで、鈴香の前の壁を容赦なく打った。鈴香は抵抗できなかった。白んでいく意識の向こうで、どうして恋人を相手に、感じないでみせる必要がある?  という、素朴な感情と、もっとちゃんと、向き合ってじっくり愛し合いたいのに、という、ごく真っ当な思いが、行き交う雲のように、重なりあってはゆっくり、通り過ぎた。

あ…おな、か…いっぱい…っ。

うん、いっぱいだね。鈴香。大好き。…大好きだよ。ずっと。ね、鈴香も好きでしょう。こんな体して…。鈴香も、もう俺じゃないと、満足できないでしょう…? ほら、脚締めて。もっと、俺を、感じて。

鈴香の両胸を鷲掴みにして抱きしめたまま、耳元で囁きながら、楢崎くんは鈴香の右耳を噛んだ。鈴香は迸るような快感に、悲鳴をあげた。鳥肌立った鈴香の腕を頬ずりして確かめて、腰は止めずに、楢崎くんは鈴香の耳の上から下まで、齧りとるように、じんわりと、けれど強く、歯を立てた。楢崎くんが力を込めるたびに、鈴香は言葉にならない声を、濡れた吐息に乗せて送り出した。

お祝いだよ。いっぱい、しようね。

振り返って目が合うと、楢崎くんは鈴香に微笑みかけて、激しく唇を重ねてから、体を起こして鈴香の腰を抱え上げ、鈴香の膝を開いて、自分の脚にかけた。

いい眺め…鈴香。俺、いますごく、盛り上がってるよ。今日は悦すぎて漏らすまで、やり込んであげる。覚悟しなよ。

噛み付かれていた右耳が、熱かった。鈴香は、反り返った体の自重を頰と肘に感じながら、期待なのか、恐怖なのか、自分でもわからない、震える唇で小さく、楢崎くんの名前を呼んだ。


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今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。