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46才のババアに何が出来る?自立への挑戦!!〜私の反抗期。おじーが私にしてくれた事。~㊱話

皆さまごきげんよう。
お陰様で、台湾から戻って参りました。
終えてみれば、今回の旅は食べること以外は台北の人たちの精神性の高さ。そして日常を知ろうがテーマなように感じました。
だから自転車を足に使って台湾の交通文化にも参戦。

台湾に着いた初日、
「ゆかりこれで台北101周辺をサイクリングすると気持ち良いよ!」
ってエイミーのご主人、二オンからお借りした、ヨウヨウカー。
日本でいうSuica。二オンがこのボタン押して、ここにヨウヨウカーを翳してレンタル出来るからね。って私に教えてくれて。
でもその時。二オンのヨーヨーカー身分登録されて無かったから、その時はエラー表示。
皆で笑って。で、後日直ぐ身分登録してくれました。
流石です二オン!!
台北はバイク人口が半端なくて。
街の至る所でバイク、バイク…自転車を漕いでいる人も偶に見かけるけれど、圧倒的にバイク社会。
自動車は高級品のようです。
しかも日本車よりも欧車の方が高いと言っていました。(でも普通に自動車も走っています。)
沖縄は自動車社会。
だから私は自転車は子どもの遊具だと思っていました。
東京に来て本当に驚いた事が自転車が普通に人々の足だという事でした。
私の東京で培われた自転車社会の文化が台北で発揮される時が来ました!!
ヨシ!ワタクシは自転車で台北交通文化へ参戦。
ブンブンブン~日本代表ここにゆかり在り。笑。
大きい交差点で左折しなければならない時は、流石にバイク軍と流れて左折する勇気が無くて。
自転車を降りて、自転車を押して横断歩道を渡って、合流出来るところで合流して車道に戻りながら。
無事、目的駅のバンジャオ駅(板橋駅)に到着しました。
嬉しくて。ついつい自転車整理していた方に記念写真をお願いしました。
この後調子に乗って、悪天以外は自転車を利用するようになりました。
籠の中のグーグルマップがきちんと固定出来なくて道を外れて。迷ったりすることもあって。
そんな中雨が降って来たり。
困難を経て帰宅出来た時は達成感が最高で。笑。知らない土地だからこそ出来る経験。
そして、困難に直面にした時ほどゆかり、落ち着いてって何度も自身に言っていました。
英語の通じない人もいたけれど。
私が迷っていて尋ねると、ファーローミー!ついてきて。って案内してくれたり。
後ほど私が経験した。若者たちの親切な心。ゆっくりと書いていこうと思います。

私が滞在中、晴天の日は二日ほど。
だからPCバン(ピーシーバンは韓国人の言い方です。(エイミーに聞いてみたけど。中国語過ぎて難しかった。)ネットカフェ、漫画喫茶のことです)を利用したり笑。

エイミーも利用したことの無いPCバン。
ゆかり凄いね!って笑って私の話を聞いてくれていました。
東京の漫喫は利用したこと無くて。

沖縄では母と叔母が常連だから知った世界。笑。
でも、沖縄の漫喫はかなり昭和レトロ。
アットホーム感満載。なので。
東京と台湾のものとは違います。

台湾では。
今なら書ける!って分かったから、PCバンを検索して。
ドキドキしながらも行ってみた~
書けて本当に嬉しかった~( ;∀;)
大枚叩いて。台湾まで行った甲斐がありました。

台湾のPCバンとても綺麗で。
私は個室を利用。
飲み物にアイスクリームは無料でした。
1時間300円くらいかな。
5時間くらいは籠っていた。二日間通いました。笑。
二日通うと分かりましたが、スーツケースを持った観光客もホテルを取らず利用しているようでした。
なんとも魅力的だったのが、韓国ドラマが放送されていて。笑。
けれど中国語の吹き替え。
だから意味が分からない。
&ワタクシは執筆しに来たのよ!ダメダメゆかり!と自身の尻を叩きました。
で、執筆するにも文字が日本語じゃなくて。
スタッフ(英語が通じました)に言って。
日本語入力をインストールしてもらいました。
おにぎりにえびの天ぷらは前日の残り物。
留学時代を思い出しました。笑。

今回の台湾の旅も学ぶ事が多く。
そして、娘が3才の時の母子旅行の写真を振り返ると。
貴重な経験をさせてもらっていたのでその事も併せ後ほどゆっくりと書いて行こうと思います。

さて本日の本題です。
本日の沖縄は風が強く強風で。。。
ウォーターサーバーのお水代をサーバー機に置いていたら。。。
¥100は床に落ちていて。
千百円の千円が風に飛ばされ無くなっていました、、、

風に飛ばされた千円。
で私は小学生。
めちゃくちゃ反抗期に入っていた自身を思い出しました。

過去の私の人生で一番、ワル(悪)だった自分です。

正直自身の嫌な思い出を書くことは辛い。キツイ。

でも、私が発信することで世の中が少しでも良い方向へ変わるのなら書こうと思います。

小学5年生。
担任の先生に問題があったようで変わったし。
(後任は新人のとても可愛らしい女性教師でした。)
転入生に対してもイジメが始まったし。
二クラスしかない、アットホームな学校だったけれど…
嵐のよう。。。
不協和音が流れていました。

東京生活。

「お世話になっているご近所さんだから掃き掃除の際は三軒先両隣りまでやる心を持つんだぞ。」
とお義父さんから教えられていたので。

自身を楽にしよう。大切にしようと。

朝の仕事を辞めてからは4時に起きて我が家始め。
(冬の寒い時期を除いては)掃き掃除をする事が日課になっていました。

朝の空気といい。
日の光を浴びるのがとても気持ちよくて。 
 
東京は住宅が密集していますが、
朝の空気が格別。
素晴らしく良い。
何故だろう。

その流れで頼れるご近所さんとも出会い。
今はご連絡出来ていませんが。本当に本当にお世話になりました。
私が東京で住んでいた家のご近所さん(既にリタイアされた方々)は温かい方たちが多くて。
本当に感謝しています。

小学生の私。過去を振り返ると、何故だか。
荒れる前の私は良い子ちゃんを演じるかのように。
ある一時。
学校へ行くと、校門前を掃き掃除して校長先生によく褒められていました。

私が5年生だったか、6年生だったか。
父が自死したことが大きかったのかな。
母も私たちに関心の無い人だったし、満たされない何か。
不満が爆発したかのよう。
表では良い子ちゃんに見せて、
シンナー、イジメ、金銭恐喝はしなかったけど。
マセガキだったな。
お金、お金って母にもしょっちゅうお金を無心していました。
目つきも悪い。
言葉使いも悪い。
その時の私は自身が悪い方へ行っていることにも気づいていなかった。
何が嫌なのかも、分からないから言えない。
悪くなった自分は。
その時の今の自分が正しいと思っているから。 

若いということは、
経験、失敗を知らないからこそ。
怖いのもの知らず。

自分の思うことが全て通ると勘違いしていました。

ある日、
母からもらった千円だったか、いくらだったか。

捨てたと嘘をつきました。

すると、祖父母と叔父叔母、母は

とても動揺して、

「お金を捨てるって事はあんた赦されない!!バチ(罰)が当たるから、どこに捨てた?探しに行こう」

って。
私も何で捨てたって言ったかも分からない。
ただ、嫌な自分を全て見せて大人たちを困らせたいって気持ちが多きかったと思います。

探しに行こうと言われ、正直に嘘をついたことを話、お金を見せました。

周りの大人たちは安心していましたが、おじーは違ったようでした。

いつものように母に無心をしていた私。

おじーはとうとう私にブチ切れました。

ハンガーを手に持ち
「いくら欲しいのか!」
とお金を私にばら撒き
これでもか、これでもかと私を叩いてきました。
私は吃驚して、毛布で体を覆って抵抗すると、
何度もおじーの足蹴り。

兄弟とか従兄弟。
子ども同士では偶にやり合っていたけれど、
大人から手を上げられたことがお尻ぺんくらい。
ほとんど無かったのでとても驚いたし、手を上げられた痛さよりも心が痛かった。

そして私は初めて、憑かれていた悪いものが落ちたかのように…
やっと目が覚めて。
次第に落ち着いて行きました。

おじーはタクシー会社の社長をしながら町議員もしていて。
北谷に引っ越してきたばかりの時。
従姉が「おじーほとんど仕事してないよ」って言うから。
会社にいるおじーを覗いてみました。
そしたら、従姉が言ったのが本当だー!って分かりました。

事務所ではおじー以外は働き蟻のように皆せかせか働いているのに。
(ちょっと皆から離れた、)おじーは自身のデスクにでーん!と
両足を乗せて煙草をふかせていて。
どうやらオジーの仕事は銀行への入金と、経営不信の時のお金の調達くらいで。
そんな社長。 

けれど、
偶には草野球チームのユニフォーム姿のおじー。
選挙やお祝い事があると金の扇子を広げて我先に琉球舞踊を踊る。
エイサーでは三味線を持って、地域の行事にも率先して参加。

国会の時間になると、おじーが国会国会言って、チャンネルを変えられるから。
テレビ権はおじーに移ることが不満だったし、私は国会で話されている言葉は難しいし。聞いていても意味がさっぱり分からない。
NHKは真面目な番組で面白くない。って。
だから結婚した後も息子にはNHKは一切見せていませんでした。

少し話は脱線しますが。
息子が小学校受験を経験するにあたって、
私が普通に知っている童謡や日本の四季や行事。
日本の文化を息子に教える事が出来ていなかったと。
その時お教室の先生にも知らなすぎって呆れられてました。

今の報道の在り方とか、テレビ番組の編成も私は大いに不満がありますが。
朝ドラは日本の文化を知れる良い機会。
娘には朝ドラを見せるようになりました。

話は戻ります。
私はよくおじーと会話していて。
世の中で何が起きているのかをおじーを通して知る事が多かったです。

夜は、おじーはセブンクラウンっていうウイスキーをコーラ割で飲むから。
「どんな味?ゆかりにも飲ませて(のんでみたい!)」って。
味を知ったり。
私のお酒好きもおじーの影響 笑。

私が虫歯が多くなったのは、
おばーが自動販売機を持っていて。
何故か、その自動販売機のことをビーボーと呼んでいて。
(何故ビーボーなのか、書いていて笑える。)
だから、よりにもよって寝る前私はビーボーのジュースをよく飲んで育ってしまい。

おばーは歯磨き、歯磨き煩く言うから。
毎朝綺麗に磨けたか子どもたち一人一人チェックをしていました。

けれど、従姉のワル知恵というか…笑
「前歯だけ綺麗に磨いていればおばーの歯磨きチェックはクリア出来るよ」って。

だから私は子どもの頃はおばーのチェックが通りさえすれば良いと、きちんと磨きませんでした。

おばーがとてもおじーに尽くす人だったから温かくて。
母が私たちに対しての愛情不足はとても不満だったけれど、
夫婦というものはこうあるべきを、周りが見せてくれていて。

だから、日頃から冷たい人たちでは決して無くて。

自身がされて分かったから。
暴力を振るわれることがどんなに痛いことか分かる。

でも、
この人の為を思っての(暴力)行為だったら、私は肯定派。

手をあげる方も
覚悟を持って叱らなければならない。

私は息子の子育てには
私が見てきた大人たちの全ての役を一人でやらなければならなくて、
本当に疲れた。

通報も何回もされたし。
その度に自己嫌悪になったし。

でも、私の息子、本当に良い子に育っていて。
私が沖縄に帰ってくる前の彼の口癖は
「僕は世の中の模範です」って。

私は
「だったらオマエ、家の中でもきちんとしろ!!散らかして!!どこが模範だ!!」って返していたけれど。

私自身の経験から
子どもたちは絶対に
多くの大人の目、
コミュニティーで育てる方が心正しく豊かに育つと私は思います。

物事の善悪が自然と分かるようになるから。

子どもの社会でイジメが行われるのは、
彼ら彼女らが、狭い社会で間違ったルールで育てられてしまったから。

小さい時から子ども同士、
何回も何回もぶつかると怖くなく なってくる。
ぶつかるうちに痛みを覚え、優しさも覚えるだろう。

家庭だけでは駄目。
広い世の中を見せてあげて、色々な人種、世界では何が起きているのかを話して聞かせる必要がある。

今の日本の社会は健全さを求め過ぎるあまりに、
マイナスなことを法律や規則で排除していて。

人が豊かに育つ過程では時にはマイナスな過程を経験させないと人は豊かにはならない。

だから今一度、法律やルールを見直す必要があると私は思う。

今、嫌な思いばかりして。
ストレスいっぱいの皆さんへ。

明日大きな天災が起きて、
いつもの日常で無くなったとしましょう。

ストレスを抱えていた自分の生活、
その生活が有難かったんだと感謝するのでは。。。

今、この瞬間が平和であるという事は
今の世の中の流れからすると奇跡なのです。

私は東京で20年生活して、
日本の首都東京なのにこんなに人々の心が疲弊していて大丈夫か?
って。 

多くの人たちと関わる事で生まれる。
人の情だったり、
楽しみを知らない人たちが多いと感じました。

息子と海外を旅行したことは今となっては良かったと本当に思います。

何故かって?

今のままの東京の人たちの子育ての環境、社会だったら、
日本という国の将来は明るくないから。

今は文明が進化しているからこそ。
人々が世界に出易い。
オンラインで世界中で世界の人たちと仕事が出来る。

言葉は翻訳機でも使えばどうにでもなる。
だから自身が豊かに、心がしっかりしていないと。

世界の仕事は得られない。

ストレスを抱えていることもある意味幸せなんだよ。

陰と陽が二つあって物事が成立する。

今という瞬間に心から感謝!

どれくらいのあなたが出来てるのか?

46才のババアに何が出来る?自立への挑戦!!㊲話につづく










































































































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