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人間の見方って人によると思います。

こんばんは。

例えばサッカー経験15年ですという話を聞けば、その人物についてデブだと想定する人はかなり少ないと思います。

図書館司書になる人なら、学生時代、応援団長はやったことないだろうな。とか。

なんとなく偏見ってあると思うんですよ。偏見というか、自分が今まで生きてきた中での人生の統計みたいなもの。

まぁ人生って人殺しとか盗みや人を欺いたりしなければ好きに生きればいいと思うんですけど、イジメで自殺してしまう人もいるし、イジメられても生きていく人もいるし

何が良いってことはないと思うんですけど、自分ってなんとなく海外の人達ってオープンだなって思ってるんですけど、いろいろ海外の友達に聞いたら普通にブラジル人でも自殺する人はいるし、オランダでもスペインでもいることはいるらしいんですけどね。

直接的になんか性格明るく見える人って性格明るいと思うじゃないですか。でも実際本当に明るいこともあるし、そうじゃないこともあるわけですよ。

へんな言い方ですけど、たとえば就職するなら暗い人より明るい人のほうが採用されやすいと思うんですよ。でも明るい人が本当に心の底から明るいのかっていうとまた別だと思うんですけどね。

やっぱり世の中が明るい人のほうが求めてるわけですから。求人に暗い人募集って書いてないじゃないですか。そんで明るい人募集する理由も書いてないし。

私がなんか自分の性格と評価が乖離してるなって思い始めたのは小学6年の時で、クラスの人の性格の良い部分を書いていってくださいと。先生から課題というか、出されたわけですよ。

ほんでまぁ僕は純粋でしたから、クラス一人ひとりみんなに違う言葉で書いたんですよ。こういう時こういうことしてくれて助かる。とか、普段こうだけど、こういう時、ありがたいとか。

それをクラス人数分をそれぞれ切り取って、クラスみんなの分が各々届くことになるんですけど

クラスの人の半数以上のがもう「明るい」「頭いい」「真面目」「優しい」「スポーツできる」「おもしろい」とか、それの使い回しなわけですよ。

その時に自分は結局、何者なんだろうなって考え始めたというか。人間ってそんな人のこと評価したり出来んのかなって思い始めたんですね。

そんで今日水曜日のダウンタウン見てたんですけど、結構な人がダウソタウソと区別できてなかったんですよ。

なんか遠目から見たら、それはわかんないと思うんですけど、がっつり近くで話したりしても気づかない人いたりして、そうなってくると、ダウンタウン見て面白いって言ってた人達の世界って何が見えてんのかなって思ったりするわけですよ。

人間って目が受け取った光の刺激を、脳が想像しているだけだから、結局は人それぞれ脳が違う以上、見てる景色が同じだと証明はできないと思うんですけど、なんかショックというか。逆にむしろ安心するというか。

世間の評価なんか何も当てにならないんだなっていうのを見せつけられたような気分でしたけどね。

よく自分は自分の能力より50%過信していて、他人は50%低く自分を見ている。的な事をなんかの本で読んだ気がするんですけど。25%でしたっけ?

とりあえず、自己評価と他者評価の間にはものすごい差が生まれるっていうことを言いたいんですけど、実際そのギャップを埋められる人ってどれくらいいるんですかね。

そもそも評価の軸がその人によって違うから、なんとも言えないと言ってしまえばそれまでなんだとおもうんですけど。

私の性格ってなんかダメなんで、あんまりハキハキしたくないんですよ。今までハキハキして生きてないのに、いまさらそんな事しても何もないじゃないですか。

初対面の印象は大体ゴミだと思われてるんですけど、とりあえず話してたら、それなりに話し合うなっていう人がたまにいたり、あんまり私の見た目とかに抵抗ない人と仲良くなるんですけど

簡単に言えば、大勢にウケる人と、マニア向けっていうのはあると思うんですよね。人間関係って。それをなんか能力みたいなものでくくらないでほしいですよね。もちろん仕事の能力とかは別だと思いますけど。

正直、ダウソタウソと見分けつかない人って怖いですもんね。じゃあダウソタウソの見分けつかない人に、なんかの評価されても、なんとも思わないですもんね。実体のないモノになんか評価されてるみたいな感覚になりますもんね。

最初は全然好きじゃなかったんだけど、一緒にいるうちに、結構いい人かも。って思うようになって結婚したんです。っていうパターンあるじゃないですか。

あれも僕あんまり好きじゃなくて、なんでそんなよく知らない段階で人のこと嫌いになるんだろうって思うんですよね。もちろん食べ物でも何でも好き嫌いあると思うんですよ。虫、大丈夫な人もだめな人もいるし、犬猫だってそうですし。

人間をさ、そんな食わず嫌いみたいな感じで評価すんなよって思うんですよね。その人にとって大損害じゃん。っていう。それでその評価が間違ってたわけじゃないですか。結果的に好きになってくれたら、めでたしですけど、

だいぶ損してる人いるだろうなって思うんですよね。だから、自分の評価を上げてくれっていうことじゃなくて、もうちょっと人のこと見てほしいんですよね。



物事ズバズバ言ったり、目立ちたがり屋みたいな人が注目されがちだけども、言わなくても、面白いこと考えてる人いるしね。性格暗い人って、周りの意味分かんないことに脳内でツッコミまくってるから、意外とツッコミのレベル高かったりするからね。

なんかつまらないですよね。明るい人が、明るいと思われている世の中だと、精神と社会的評価が乖離して潰される人がどんどん出てくるんじゃないのかなって思うんですよね。

上っ面で人間関係済まそうとするのは楽だけど、仕事とかは人生に占めるウエイトが重いですから。そう簡単な評価とか辞めてほしいですよね。髪切ったから失恋したみたいな。眼鏡からコンタクトにしてモテようとしてるとか。

安直っていうか、いろんな人いるんですよ。社会ってやっぱりいろんな人がいて成り立ってるわけですから。そこの助け合いというか、もっとなんかあって欲しいですけどね。

ヤバいやつ多いから、やばいやつと関わらないっていう生き方を選択するのはなんとなくわかるけど、それなら評価の基準をだいぶ正確にしないと、かなり失礼だと思いますしね。

まぁそうこう言う前に、自分は社会から断絶されてる感半端じゃないっていう。ホントに社会に関わらないと、会話なさすぎて、発声練習必要になるレベルですね。笑

無駄に思えることを一生懸命やっていきます サポートありがとうございます。