バズるとバズらないのあいだ

最近、佐久間さん手掛けるNOBROCK TVがバズり始めている。

一般的に何回視聴されたらバズなのかわからないが、こちらの動画は現在の当記事執筆時点で730万再生を超えている。

システムとしては、ゴッドタンのマジ歌みたいなもので、牛乳を含んで笑ったらアウトになるわけだが、どぶろっくのネタなので基本的に下ネタになる。

なぜこれほど急激にバズったのかを考えると、まず「歌」というのは強いのかもしれない。歌は何回も聞きたくなる中毒性があるので、リピーターが何度も視聴している可能性がある。

レストランなどでも、新進気鋭のレストランより、地元密着の町中華が根強く生き残ることがある。それは町中華にはリピーターが多いからである。そういう意味では、YouTubeの世界もリピーターは必ず必要なのかもしれない。

誰でも最初は新参者なので、新参者をリピーターにする工夫が必要になると思う。ワールドカップなどはにわかファンが増えるが、それで本格的にJリーグなどのファンになってくれれば良いわけである。

そして、シンプルにどぶろっくの本気ネタをテレビで見ることが難しい世の中なので、YouTubeだとどうなるのか、シンプルなネタ見せではなく、笑ったらアウトというオマケ付きでエンタメ性が増したのかもしれない。

ただ、佐久間さん(この動画のチャンネルNobrockTVの運営者)の話によると、なぜこれがここまで伸びているのか謎で、この動画が伸びたことで、他の動画も急激に伸び始めているとの事だった。

おそらく登録者100万を超えたとのことなので、100万を超えると、Googleのアルゴリズムが何かおめでとう的なモードに入るのかもしれない。

バズを狙わないで動画を作るということは、営利目的でバラエティのYoutubeを作る上であり得ないのだが、狙ってはいるけど異常値になると、なかなか怖いものがある。

私も規模は全然違うがnoteを書いている以上、多くの人に見られる記事と、見られない記事がある。あまり見られないけど、細々と継続的に見られる記事もあれば、一瞬だけヒートアップして、その後音沙汰ない。という記事もある。

私としては、その日にテレビやYoutubeを見た感想や、大事なことが頭に浮かんで「これは書き留めておこう」と思ったことを書いたりしている。多くの人に見られたら良いなとは思うが、戦略的にアルゴリズムのバズを狙っているわけではない。

Youtubeと似たように、noteでも自分がフォローしているアカウントとは別にオススメ記事のようなものがトップ画面や記事を読んだ際に出てくる。急に自分の記事のアクセスや過去記事に急にスキが付いたりすると、「あぁ、オススメに表示されたんだな」と思うときがある。

”目立つ”という事は、良いことも悪いこともある。目立ったことで人生が台無しになることもあるだろうし、不本意な形で目立ってしまうこともある。ファンの中だけでバズっている場合、否定的な意見は出にくいが、一般大衆に知られると、ネガティブな意見が増え始める。

世の中の人はそんなに目立ちたいんだろうか。なんとなく目立ちたがり屋というのは、学生時代に隅っこの方に潜んでいた人が、大人になってその鬱憤を晴らそうとしている気がする。学生時代にモテなかった人が、勉強して医者になったら、遊びまくるみたいな感じに似ている。

基本的には私の記事を多くの人に見てもらいたいと思っている。ネガでもポジでも、率直な感想があれば嬉しい。noteというのは、Youtubeのように見られたらその瞬間で金になるものではない。しっかりクリエイターにお金を渡したいという意思表示があって、振り込まれることになる。そこには熱量がある。

動画はワンクリックで勝手に音と映像が流れ始めるが、文章はそういうわけにはいかない。だからこそ、文章を読んでくれる人というのは、それなりに主体的とも言える。

動画はワンクリック後に寝ていてもわからない。だが、文字は読まれなければ、快感も感動も得られない。そのくせに、文字のほうが市場価値が低いような扱いになっている。楽な方が求められるからだろう。

個人的には教科書で勉強するより動画で勉強したほうが定着率が高いと思う。ただ、文字を読むのもまた別の脳の領域を使うんじゃないかと勝手に考えている。

バズるということは、一般的に面白いとか、見やすいということだろう。でも、作者の本意とは違う形で実現してしまうと、その作品の価値を測りかねるような気もする。

バズる要素の第一に、実力より以前に「人に認知される」ということが必要になる。最近では「バズる=実力」ということになっている感もあるが、果たしてその認識が正しいのか微妙ではある。

例えば多くの人に見られた映画があるとする。興行収入何億と聞けば、それだけすごい作品なんだと思う。確かにすごい作品だから何回も見に行く人もいるだろうが、大概の人は1回見たらそれきりだと思う。その中での満足度を正確に測ることはできない。

それだけ大きなムーブメントになるということは、普段映画を見ない人まで足を運ばせる要因が何かあったと考えるのが妥当かもしれない。そうなると、見ることが最終目標であって、映画ファンじゃない人もたくさん入り込むことで、他の映画と比較して面白いかどうかの真価はわからない。

YouTubeには、勝手にレコメンドされて、ユーザーに合った動画が勝手に露出するシステムになっている。映画の場合であれば、口コミやCMで知る人が多いのかもしれない。

結局はバズる事を目標にしてしまうと、中身がなくなるということは何となく分かる。ただ、中身をしっかり作っておくと、しっかりバズるとも言える。

問題はその中身を本当に理解できる人がどれくらい存在して、どれくらい制作者の狙い通りに伝わっているのかまで測定することが難しいということだろう。

普段の会話にしろ、文章にしろ、動画コンテンツにしろ、究極的に本当にその人が内容をわかっているか測定することはできない。人間は結局わかりあえないとか、そういう話になってしまう。

素晴らしい作品なら多くの人の胸に刻まれる。そういう作品は市場に何個もあるわけではないし、素晴らしい作品が世に出てない可能性もある。新海誠監督は、一人でずっと創作活動を必死に続けていたらしい。だが、そこにサポーターが居なければ、世に出ることはなく、全世界を感動させる作品は生まれなかっただろう。もしくは、生まれても誰も知らなかったかもしれない。

バズるといっても、そのコンテンツの内容が評価される場合もあれば、制作者のファンが集まる場合もある。人間というのは何を評価するかわからない。結果的にバズったところで、分析してみると何を評価したかは全く同じというわけではない。

ドラマなら脚本が良いのか、俳優が良いのか、監督がいいのか、ナレーションが良いのか、人が増えるほど評価が難しい。チームで作った作品になるほど、要素が複雑に絡み合う。

結局、バズるということは、あんまり興味がなかった人を引き寄せる何かが必要になる。逆に言えば、バズらなくても新参者がいないヘビーユーザーで固められたコンテンツもあるだろう。

世間一般ではバズっていないコンテンツは評価が低い。だが、ニッチな分野で的確にユーザーに刺さっている可能性もある。

人の興味は全て同じじゃない。カエルについて好きな人がいれば、普段からカエルに関心を持っている人にしか刺さらない。だが、ニュースなどで絶滅危惧種のカエルが取り上げられたりすれば、それをキッカケに多くの人がカエルに興味を持ち、前から販売していた動画や本が売れる可能性もある。

マーケティング、タイミング、企画、人やコンテンツの内容など、全てが一致して狙い通りにいく可能性は限りなく低い。だからこそベースのファンを増やしていく必要がある。

バズらないからといって、凡庸な作品というわけではない。バズったからといって、超画期的な自信作というわけでもない。

作者がやるべきことは、自分が信じる作品を生み続けて、世に出し続けることしかないかもしれない。

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