お笑い舞台

無名の車イス若手芸人がチケット100枚を手売りした話 vol.13

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(「日刊・寺田家について」簡単に説明します。)

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こんばんは!寺田家 ユースケです!

今日は、僕のお笑い芸人時代、車イス芸人時代の大失敗をお話しします。

大学を卒業して上京し、晴れて車イス芸人として活動することになった僕が出演することになったのは渋谷のとある劇場のお笑いライブ。

その劇場では、若手芸人が1軍〜4軍にまで分かれており、日々お互いの面白さを競ってしのぎを削っていた。

無名の新人であった僕の出番があったのは、4軍の芸人が出るライブだった。

約400組の芸人たちが1ヶ月の中で毎日20組ずつくらいに分かれて、月に1回の出番がある。そして審査員票の上位3組と、お客様票の上位3組が上の3軍(約40組)との入れ替え戦に出られるというシステムだった。

そして、若手芸人は会社にまず10000円を支払ってチケットを10枚買い、それを1枚1000円でお客様に手売りをするというもの。

無名の若手芸人ばかりの4軍ライブはチケットがなかなか売れず、劇場に50人のお客様が入れば上出来というような状態だった。

3軍に一刻も早く上がりたいと思っていた無名車イス芸人の僕は、必死に考えた。どうすれば、3軍に上がれるのか。

その時、僕はふと自分の車イス生活のことを考えてみた。

大学時代、学生交流会などの集まりに参加したり、初対面の人が多いところに参加した時、とにかく車イスは目立つのだ。100人立っている人がいる中での、車イス1人はとにかく目立つのだ。元気よく挨拶をすれば、必ず覚えてもらえることを思い出した。

「…そうか!これだ。」

閃いた。

車イスであることを武器にチケットをたくさん売りに行こう!!

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