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数学には二つの世界がある

                                       2023 05 16  更新


数学には二つの世界がある

数学は人にとって信じるに足りる素晴らしいものある

人は人として生きるために

大自然から数学を学んだ

それをもって

自己中心的な本能を持ちながら

人は豊かな心を育てることができた

人の世は止め処もなく変化し

複雑になっていく

人の心は置き去りになり

ときには

自己中心的な考えに落ち

人の心は押しつぶされる

数学には二つの世界があることに注意されたい

この二つの数学の世界は区別されずに混同され扱われている

その為この二つの数学の世界の中で人は無意識に間違った考えや理解のでき

ない不可思議な世界へと陥る

そしてそれをそのまま信じるかまたはそこから抜け出せないで思考を停止し

すべてを諦める

数学的に導かれた数式に何らかの科学的な意味がそこにはあるに違いないと

考えて科学的な意味を強引に擦り付けてその数式を正当化した

算術1+2=3においては1と2とが足し算という関係によって求められて

3という数になったと説明され納得する

この算術を人にとっては当たり前のように思い疑いもせず受け入れる

たとえば次のようにも考えられる

ここに1つのりんごが入っている籠と2つのりんごが入っている籠がある

それらを一つの籠の中に一緒にすると3つのりんごが入っている籠が1つで

きあがることになる

これが具体的な例となり算術の式が成り立っている

この等式の左辺において1と2との間にはりんごを一緒にするという作用が

そこにはある

だが右辺の3には3つのりんごが一つの籠の中に存在することを示している

だけである

そこには一つの籠の中にりんごを一緒にするという行為はない

算術は計算をして合計の答えを出すだけでよいと人は言うであろう

なぜなら数学においてこの算術は抽象化されるからである

そして上記のような意味合いを必要としない

だがこの抽象化された数学に注意されたいことがある

それは宇宙を考察するときに思わぬ問題を引き起こすことである

なぜなら宇宙を考察する上で抽象化された数学によって得られた数式に何ら

かの意味があるに違いないと人は考えるからである

いやそれどころか数学的に求められた数式は間違いないとすることからその

数式に科学的な意味を持たせる必要があると人は考えるからである

数式に科学的意味合いを持たせるつまり宇宙を考察する上においてその数式

の抽象を具象化する必要がある

このとき往々にして具象化に矛盾が生じる

籠の中の3つのりんごがあるということは元は1つのりんごと2つのりんご

に分けられていたことになる

この具象化は一見間違っていないように見えるがそこには分けるという行為

は存在しないにも係わらずそこには因果関係がある

等式は等式であり因果関係とは関係を持たない

この等式が成り立っているということは実存化数の等式に書き換えることが

できるということである

 1+2 = 2+1

数学には二つの世界があることに注意する必要がある

これらを混同して科学を考察すればその結果として当然間違った科学理論が

作られる

宇宙が観測によって加速的に膨張しているという事実から時を過去へと遡れ

ば宇宙は縮んで行く

エネルギーという実体のないその極大の量が極小の場に存在している

何もないその極小の場を特別に真空の場と名付けた

宇宙が風船のように膨張していることから過去において小さい宇宙であった

当然のようにこのような考えに至りそれを信じている

1の次は2であり2の次は3である・・・・というような因果関係的な考え

は自然数的思考による

科学(宇宙)を考察するとき自然数的思考以外の思考があるだろうか

科学を思考するためには数学とは何かそれを見極める必要がある

数学には二つの世界があるということを知る必要がある

数学は素晴らしいもので信頼できるものではあるが定義または推論によって

は矛盾が生じることに気を付けなければならない

たとえば何故ルート4に二つの値2とー2とがあるのか

あたかも4の中に2とー2とが存在しているかのように見える

(この考えには量子もつれの考えに通ずるものがある

 量子もつれについては実存化数理論ではまったく違った考え方を示す)

これは自然数的思考によって便宜上このように定義されたに過ぎない

平面座標を思い浮かべてほしい

X,Yが2,2のとき2X2はそこで作られる面積4にあたる

だがー2,ー2のときはー2X-2で面積は4であるが作られた場所は平面

座標上においてはまったく違った場所である

4の根を2なのかー2なのかを区別せずに便宜上定義したからである

しかしX,Yが2,ー2のときやー2,2のときにはどのように考えたらい

いのだろうか

その平面座標上で作られる面積は4であるが上の定義からそのルートは存在

しない

だが平面上には存在して2,ー2でありー2,2である

さらに無い面積つまりマイナスの面積ー4に対してはiが添えられて2i,

2iまたはー2i,ー2iと便宜上定義される

このように定義しても数学上は理論的に問題にはならないためである

だが科学を考察するためにはこのような数学の定義は誤った理論を生むこと

になる

さらにそれを正当化するために誤った理論が生まれて来る

そしてそれを人は信じようとする

数学には二つの世界がある

それは実存化数の世界の数学と究極化数の世界の数学です

宇宙を考察するには実存化数の世界の数学をもってなされなければならない

実存化数の世界の数学の真意は簡単に言ってつぎのように言える

「そのものはそのものである」

2X2=4ではなく2X2=2X2である

つまり実存化数の等式が成り立つ数学の世界のことである

さもないと矛盾だらけの宇宙像ができあがる

そしてそれに真実味を与え遂には多くの者が信じてしまう

abc予想と宇宙とに何らかの関係があるのか

a+b=cの等式が成り立ちかつ互いに素になる自然数の組 (a, b, c)

において積abcの互いに異なる素因数の積をdとすると任意のε>0に対

してcがdの1+ε乗より大きくなる自然数の組(a, b, c)は高々有限

個か存在しないだろう

このabc予想の中に潜む素数の不思議な性質に何か特別な意味が存在して

これを解くことによって宇宙の神秘が明らかになると考えている数学者達が

いる

それは間違えである

それは究極化数の世界のことでありそこからは宇宙の姿は見えてこない

アキレスとカメのパラドックスについて

あなたも知っているようにアキレスはカメよりも走るのがはるかに速いのが

先に行ったカメのいる地点にまでアキレスが到着した時にはすでにカメはの

地点よりも前方の地点にいてアキレスが今いるカメの地点まで急いで行っも

やはりカメは居らずこれを繰り返してもアキレスはカメに永遠に追い着くこ

とができない

このような数学的推論が現実と反するようなときそれをパラドックス(説)

という

もし仮にこの推論においてアキレスがカメに追い着き抜き去ることがあると

したら推論自体が正しくなくでたらめになるのです

だがこの推論には誤りはなく(つまり正しい)アキレスは絶対にカメに追い

着くことはできないのです

その都度のアキレスの掛かった時間をTnとするとnを限りなく大きくする

とTnは限りなく’ゼロ’に近づくことになる

アキレスとカメの関係は変わらず追い越すことはない

これはもはや実存化数の世界のことではなく究極化数の世界のことなのです

だが数学的には問題なく正しいと言わざるを得ない
 
数学でいうパラドックスなるものはすべてが実存化数の世界では正しくない

が究極化数の世界の数学では正しいからであると言える

ポアンカレ予想で扱う位相幾何学(トポロジー)は究極化数の世界の数学で

あり宇宙の形をはっきりと定めることはできない

だが実存化数の世界の数学によってトポロジー的にどのような形であるか求

めることができるのです

答を先に言うとトポロジー的に「宇宙は球体」であることが示される

以下ホームページ「実存化数による宇宙と科学」から

宇宙の形を位相空間的(自然数的思考の世界)に考えるとどのような形にな

るであろうか

仮に宇宙がドーナツ型をしているとする
   
ドーナツをナイフで切ると切断面ができる

切断面を移動させると互いに分かれて行く(一方から食べていくと)
  
そして他の切断面と再会する(終には最後の一口となる)   
 
切断して再会しないのはトポロジー的に言うと球だけである
   
他の考えられる形はすべて切断面の再会が存在する  
  
宇宙は相対的関係から(ここでは自然数的思考の世界から見ている)切断面

の再会はありえない

関係を断ち切った切断面同士が再度関係を持つことはない

あるとしたらそれは無であり何もないものとなる

つまり相対関係を持つことはない(あるとしたら究極化数の世界のこととな

る)

よって宇宙は自然数的思考から見るとトポロジー的に’球’であると言える

さらに大事なことですがシャボン玉も泡も同じことが言えるということです

このことは宇宙にはなぜ物質が存在するのかに関係している 
 
実存化数的思考から見ると宇宙は球ではないがそれは実存化数的思考の中で

はトポロジーの世界は存在しないからです

これは分かり難いことかもしれないがこれが宇宙の真の姿です
   
自然数的思考だからこそトポロジーという学問が扱えて宇宙は球であると言

えるのです       
 
切断による二つの面をそれぞれイーターA1 とイーターA2 とする   
 
A1 と A2のそれぞれの実存化数をJA1と JA2 と表し次の関係が成り立つと

き  
    
     JA1 II JA2      ( II は会合記号 )  
  
二つの断面は会合すると言って相対関係を持つのです

だが球体は会合を持たないのです

これが何を意味するかは必然的に分かるでしょう

宇宙は相対関係によって創られていることから

以上

数学は実存化数の世界の数学と究極化数の世界の数学の二つの世界に跨った

学問である

究極化数の世界があるからこそ芸術や文学や宗教といった素晴らしい世界が

生まれたのある

二つの世界に跨っているからこそ数学は美しい学問であると言われるゆえん

である

ちなみにリーマン予想も究極化数の世界の中の数学である

だが宇宙を語るときには注意しなければならない

宇宙(科学)を語るときは実存化数の世界の数学でなされなければならない

さもないと宇宙の姿がぼやけた誤った宇宙像が生まれそれを信じてしまうか

らである

そしてそこから脱出できないでいる

「 宇宙は実存化数から創られている 」

宇宙を知るには制限された数学の世界

実存化数の世界で考察しなければならない

さもないと

有らざるものが有るかのごとく

そのものを崇拝し

ジレンマの中に落ちていく


           五
         矢 口 隹
           王

        

  「 ’偏見’を捨てなさい

    すべてにおいて’懐疑的’になりなさい

    強い’探究心’を持ち

    細心の’注意’を払いなさい 

    そうすればきっと正しい答えが見出せる 」               

              筆者からの助言 

    Throw away the'prejudice'

    Be 'skeptical' in everything

    Have a strong 'inquiry spirit'

    Pay close attention to

    Then you will surely find the correct answer

               Advice from the author

   「 知らないことは 決して恥でも無能でもない

     知ろうとして努力しないことが 恥であり無能である 」

                  筆者より

    "What you don't know is neither shame nor incompetence

    It is a shame and incompetence not to make an effort to know. "

               From the author  

   「 Ask, and it shall be given you ;

    seek, and ye shall find ;

     knock, and it shall be opened unto you ;  」

                   Matthew 7:7

   「 求めよ そうすれば 与えられるであろう

    捜せ そうすれば 見いだすであろう

    門をたたけ そうすれば あけてもらえるであろう 」

                   マタイによる福音書 7:7
                            (口語訳)