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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 47.日本からの移民が禁止されたあと、アロハタワーや空港が現れます

1924年、新移民法が成立し、日本からの移民が完全に禁止されます

アメリカという国は、常に移民を受け入れています。新しくやってくることになった国の人々は、まず低賃金・重労働で働き、少しずつ地位を高めていきます。日本人から見たら同じに見えるのですが、イタリアやアイルランドからの人々も、最初は移民としてかなりひどい扱いやったそうです。

ハワイからアメリカにやって来た日本からの移民も、そんな存在の人々でした。が、大きく違ったのは、日系人は有色人種だったこと。当時は黒人に対する差別も今よりひどい時代です。有色人種はそういう存在でした。そんな中、悪いこともせずまじめにコツコツ働く日系人は、不気味やったのかもしれません。

それに加えて、当時の大日本帝国は勢力をどんどん拡大していました。第一次世界大戦の戦勝国になっていたため、国際連盟体制下の5大国に選ばれていました。その時の5大国は▼

・アメリカ合衆国
・イギリス
・フランス
・大日本帝国
・イタリア

1924年、アメリカ合衆国は、新移民法を成立させ、日本からの移民を完全に禁止しました。そんな勢いのある国からの移民はもういりません。

第44話で書かせていただいた日米紳士協約では、現在アメリカに住んでいる日系人の家族などを呼ぶことはできました。が、1924年の新移民法でそういうことも一切できなくなりました。

アロハタワーが完成したのは、日本からの移民がやってこなくなった後のこと

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1926年、ホノルル港にアロハタワーが登場します。港に10階建ての塔が造られたのです。現在はビルに隠れてしまうような高さですが、当時は10階建ての構造物なんかそんなにありません。突出して目立っていました。なんでこんなものが造られたのか?と思いますが、答えは簡単。塔の上には海上信号がついていて、灯台みたいな役割やったそうです。

ニューヨークの自由の女神がアメリカへやってくる移民を出迎えたように、アロハタワーはハワイへやってくる移民を迎える存在となりました。ただしそれは、日本からの移民が禁止された後のことです。日本からの移民たちはこのタワーを見てはいません。

アロハタワーといえば、わたくしがハワイへ上陸した2000年当時はちょっとした観光地でした。JTBのデスクなんかもあって、ツアーで到着したお客さんはまずここへ連れてこられていました。アロハタワー周辺は、アロハタワーマーケットプレイスという名前のショッピングセンターになっていました。歴史の話を聞いたのはその頃やったので、そうか、船がやって来ていた頃からこんなショッピングセンターがあったのか、と思っていましたが、それも大違い。上の写真を見ていただければ分かりますが、当時は現在とは全く違う構造です。

アロハタワーマーケットプレイスができたのは1994年のこと。めっちゃ最近です。

その後、しばらく賑わっていましたが、個人旅行者が増え始めてからここで買い物をする人が減っていきます。ここにデスクを持つ意味を感じなくなったJTBが去り、人の数はより一層減り続けます。

2011年からはハワイパシフィック大学の所有になり、2020年現在は、学生寮を持つ複合施設となっています。

1927年、ホノルルに空港がつくられます

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アロハタワーができた翌年に、空港がつくられています。現在のダニエル・K・イノウエ国際空港です。

・1927年 ジョンロジャース空港
・1947年 ホノルル国際空港に改名
・1951年 国際線運行開始
・1977年 リーフランウェイ完成(海に飛び出た滑走路)
・2017年 ダニエル・K・イノウエ国際空港に改名

最初はジョンロジャースという名前やったんですね。ジョンロジャースは人名です。1925年に、アメリカ本土からハワイまでの飛行を試みたアメリカ海軍の軍人さんです。

当時は太平洋を飛行機で飛行するなんてことはとんでもない挑戦でした。現在のようなレーダーがない時代に、海しか見えない空間を飛ぶわけです。命がけで挑戦して、そして、残念ながら途中で不時着してしまいます。不時着といっても海の上です。1週間以上漂流してなんとか助けられました。なので、ハワイまで到着していないのですが、この勇気あるチャレンジは称賛され、新しい空港に彼の名前が付けられました。

ジョンロジャースはもう一度挑戦しなかったんやろうか? 

気になったので調べてみました。なんと、彼は翌年、飛行機事故で亡くなっていました。飛行機の事故が珍しくない時代でした。そんな時代に太平洋を飛んだのです。すごい方です。

1977年に海に飛び出た滑走路、リーフランウェイが造られています。スペースシャトルの緊急着陸地点として造られたそうです。

1927年、ロイヤルハワイアンホテルがオープンします

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1927年、ジョンロジャース空港が出来たのと同じ年に、ロイヤルハワイアンが誕生しています。ピンク色の建物が有名なホテルです。

上の写真をご覧いただいたら分かりますが、この時、モアナホテルは両サイドに客室を増築し、上から見たら英語の「H」みたいなカタチのホテルになっています。が、ロイヤルハワイアンはそれよりもでかいです。

この時代にハワイへやってくる人々といえば、ちょっと裕福な人々です。彼らは何日もかかって豪華客船に乗ってやってきます。毎日海を眺めていたお客さまたちは、もう海は見たくないだろう、ということで、海が見えない(緑いっぱいの庭が見える)豪華な部屋がいくつも造られました。

現在はワンベッドルームのような部屋がいくつもありますが、それらは昔の部屋を区切って改造されたものやそうです。つまり、当時はツーベットルームみたいな部屋がいくつも並んでいたわけです。

もう一度書いておきます。ロイヤルハワイアンは、ワイキキに現存するホテルの中では3番目に古いです。

・1901年 モアナホテル(現モアナサーフライダー)
・1917年 ハレクラニ(この時は複数のバンガローを持つ宿泊施設)
・1927年 ロイヤルハワイアン

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1921年から始まったアラワイ運河の工事が終わったのはその翌年の1928年です。その年、ハワイは観光業で初の2万人以上の集客をし、ロイヤルハワイアンも大成功を収めました。

が、ロイヤルハワイアンを経営していた会社は、翌年1929年、大恐慌で倒産してしまいます。そして世界は第二次世界大戦へ向かって動き始めます。

。。。。つづく

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