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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 48.戦争の足音が聞こえてきます

1929年、ハワイアン航空の前身、インター・アイランド・エアウェイズ開業

1929年というと、世界恐慌に突入した年です。が、暗い話ばっかりではなく、イギリスではBBCがテレビ放送を開始しています。ハワイでも航空会社がスタートしています。

インター・アイランド・エアウェイズ/Inter Island Airways

この航空会社は、現在のハワイアン航空のルーツです。現在は日本まで飛んできていますが、当時はアメリカ本土までも行かない、ハワイ諸島の間だけを飛ぶ航空会社でした。それに、当時のメインの移動手段は船です。飛行機は、贅沢で優雅で、でもって感覚的には命がけな乗り物でした。

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これはもう少し後の写真ですが、なんと、潜水艦に乗り込むように、飛行機に上から入り込んでいます。

※ジェット旅客機が誕生するのはもっと後の1950年代です。

1932年、満洲国がつくられます

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日本からアメリカへの移民は出来なくなってしまいましたが、アメリカに住む日系人と日本との交流は無くなったわけではありません。ハワイやアメリカで生まれ育った日系人の子どもたちが、日本へ留学するということが1931年から始まっています。最初は少ない数でしたが、年々増え続け、1939年には約2000人が日本へ留学しています。そうさせた理由のひとつに、当時の日本(大日本帝国)の成長?があります。

当時の日本はかなり怪しい雰囲気になっていました。日清戦争、日露戦争で勝利をおさめたところまでは命がけでしたが、第一次世界大戦で勝ったあたりから、ちょっと暴走し始めています。

超簡単に説明します。

日露戦争の後、ロシア帝国に制覇されていた中国北部の土地は日清戦争の後、奪い返すことができました。その後、辛亥革命が起き、清は1912年に崩壊します。同じく、1917年にロシア革命でロシアも崩壊。ソ連が生まれ、中国北部で、中華民国(現在の中華人民共和国とは違います)国民党とソ連がウロウロ動いてがなんだか怪しい感じになっていきます。

それに対し、このエリアを守っていた日本の関東軍が、1931年に満州事変を起こします。満州事変は、中華民国軍閥長の張作霖が殺されるという事件です。ちょっとややこしいので書きませんが、興味のある方はwikipediaをご覧ください▼

満州事変について(wikipedia)

その結果、満洲国という国がつくられました。1932年のことです。1932年は、なんだかとんでもない年です。首相の犬養毅が殺されています(五・一五事件)

暗殺したのは昭和維新を唱える人たち。いろんな資料を読みましたが、彼らが何をしたかったのか、ちょっとよく分かりません。とにかく、彼らは意見を述べたり話し合いをすることはせず、いきなり首相を殺してしまっています。

1930年代は、幕末を生き残って新しい日本を立ち上げたみなさんはお亡くなりになられていました。悲しいですが、当時の日本は、現実を見て、しっかり判断するということができなくなっていたようです。

1936年、アロハシャツという名前が商用登録されます

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平和な話に戻します。ハワイで仕事をするようになった頃は、わたくしもアロハシャツを複数持っておりました。取材をしているうちに、アロハシャツについていろいろ知ることになります。やがて、考えすぎてアロハシャツを選べなくなり、数年後から全く着なくなりました。アホです。

アロハシャツが生まれたのは1920年ごろと言われています。いろいろ調べた結果、この説が一番正しそうです▼

・1885年の官約移民でやってきた人が移民契約後、お店を開く
・お店の名前は、ムサシヤショーテン(Musa-Shiya The Shirtmaker)
・1920年代、息子が家業を継ぐ
・いろいろ挑戦してるうちにアロハシャツを生み出す

こうして、アロハシャツが生まれたのは1920年代だったようです。日系人はマネをして着物のガラからシャツを作ってみたりして、いろんなものが生まれたようです。

こういう時に、頭が回るのが中国人です。商売に関しては特にそう。中国系移民のエラリー・チャンは、この「アロハシャツ」という名前を1936年に商標登録してしまいました。なので、1937年からしばらくは、「アロハシャツ」という名前はエラリー・チャンしか使えなかったそうです。ううむ、すごい。っていうか、ひどい!

というわけで、資料によっては、エラリー・チャンさんをアロハシャツの生みの親と書いてあったりしますけど、それは間違いです。でもって、ムサシヤショーテンがそんなことを始める前から、個人的に着物をシャツにしてる移民もいた!なんて説もあったりします。はっきりした記録がないのでなんとも言えませんが。データとしてはっきり残っているのは、

・1920年代/ムサシヤショーテン2代目がアロハシャツを売っている
・1936年/エラリー・チャンがアロハシャツという名前を商標登録した

ということでしょうか。

1940年、オアフ島は米軍拠点として拡大していきます

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世界はどんどん怪しい雰囲気になっていきます。

・1936年 日本とドイツがソ連に対抗するための協定を結ぶ
・1937年 日中戦争が始まる
・1939年 ドイツ軍ポーランドへ進撃し、第二次世界大戦が始まる

アメリカは、満洲国をつくったりして領域を拡大していく日本をうっとおしく思っていたようです。貿易制限をつくり日本を追い詰めていきます。いわゆるABCD包囲網です。

・A=アメリカ
・B=イギリス
・C=中国
・D=オランダ

これにより、日本はいろんなものを手に入れることができなくなりますが、一番困ったのは石油でした。現在の日本もそうですが、石油を失うということは動力を失うことになります。

アメリカ合衆国には共和党と民主党という2つの大きな政党があります。これは知っておいた方がいいので書いておきますが、アメリカと日本との関係が悪くなるのはいつも民主党の時代です。当時のことを書いた資料では、共和党は日本に対して交戦的じゃなかったと書いてあったりします。日本を追い込むような政策を連発しはじめるのは、フランクリン・ルーズベルト大統領になってからです。以下、フランクリン・ルーズベルトの任期です。

・37期 1933年3月~1937年1月
・38期 1937年1月~1941年1月
・39期 1941年1月~1945年1月
・40期 1945年1月~1945年4月
(在位が短いのは任期の途中にお亡くなりになられているから)

※ちなみに、日露戦争の時にポーツマス条約で動いてくれた大統領もルーズベルトさんですが、あちらはセオドア・ルーズベルトです。日本の書物などでは、セオドア・ルーズヴェルトとかセオドア・ローズヴェルトって書かれたりして、フランクリン・ルーズベルトと書き分けされてることがあります。2人は親戚やし同じ苗字なので書き分けるのは間違いです。

・セオドア・ルーズベルト 26代目大統領 共和党
・フランクリン・ルーズベルト 32代目大統領 民主党

なんと、2人は政党が違います。あ、脱線しすぎました。

とにかく、フランクリン・ルーズベルトは日本をどんどん追い込んでいきます。そして、ハワイに米軍基地を増やし始めます。上の絵に書いた数字は、基地が出来た年です。ルーズベルトになってから3つ(細かいものを入れるともっとたくさん)増えています。

ちなみに、ヨーロッパで戦争は始まっていましたが、アメリカ国内は反戦ムード一色でした。なのに基地は増やしてはったんですねぇ。


。。。。つづく


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