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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 38.日本から官約移民がやってきた

日本から944人の官約移民がやってきます

カラカウアが1881年に日本へやってきた成果が出始めます。明治の日本から、サトウキビ畑で働く移民労働者がやってくるようになるのです。

第一段が到着したのは1885年(明治18年)でした。944人のうち、山口県からが420人、広島県からが222人でした。これ以降もハワイへの移民労働者はほとんど西日本からです。ちなみに、西日本が多いのは、もともと出稼ぎが行われていた地域やったため、みたいです。

※山口県の420人はほとんど大島郡からでした。

ハワイ移民の求人募集に書かれていた情報は以下のような感じでした(抜粋してます)

・渡航費/妻、子ども2人まで無料
・労働時間/3年間、月26日
      プランテーション 10時間
      工場 12時間
・待遇/1カ月 $6.00+$9.00(妻は$4.00+$6.00)
      入居無料
      白米5セントで支給

値段の感覚がまったくつかめません。で、いろいろ調べてみたのですが、いろんなところで微妙に違う表現で書かれているのでよくわかりません。以下わたくしの解釈です▼

・当時は$1.00=1円くらい
・初任給が8円くらいの時代に、$15.00稼げるということは倍稼げる
・しかも家賃不要で渡航費も無料

結構応募はいっぱいあったみたいです。が…

労働者移民のことを細かく書かれた本があります

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広島市南区仁保に、ハワイ移民資料館という日系移民の歴史を伝える施設があります。わたくしはまだ行ったことはないのですが、そこが出されている本は持っています。

ハワイ日本人移民史

情報の濃さはそんじょそこらの本とは比べものになりません。ひとつ上に書かせていただいた「ハワイ移民の求人募集に書かれていた情報」についても、もっと詳しく紹介されています。どうしてこんなに詳しいのか?調べたくなったのか?と思ったら、著者の川崎壽館長のお父さんは、ハワイ島ヒロのプランテーションで、サトウキビ列車の機関手をされていたそうです。

前置きが長くてすいません。その「ハワイ日本人移民史」によると、夢いっぱいでハワイ王国へ上陸した移民労働者たちは、とんでもない劣悪な環境に放り込まれたそうです。

・妻帯者=平家建4畳半から5畳の1室
・独身者=平家に7~10人が同居
・トイレと風呂は別棟で共用
・現場監督の非人間的な扱い
・休憩時間のない連続労働…

あんまりひどいので、日本の外務省が動いています。このあたりのことも細かく紹介されているのですが、どんどん長くなってしまいそうなので、これくらいにしておきます。興味を持たれた方は、ハワイ日本人移民史をお読みになってみてください。

カピオラニとリリウオカラニ、イギリスへ

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1887年のこと、カピオラニ王妃(カラカウアの奥さん)は、イギリスの女王、ヴィクトリア女王の即位50周年式典に出席しています。この時に、カラカウアの妹、リリウオカラニも一緒にイギリスを訪問しています。

若そうに見えますが、リリウオカラニは1838年生まれですから、49歳。今までのハワイ王なら亡くなっている歳です。この時、リリウオカラニは国王の代理としてイギリスまで行った、と書いてある資料もあります。

どうしてカラカウアが行かなかったのか。それは、行かなかったのではなく、行けなかったから。前回、「ハワイ王国の閣僚の多くはカラカウアの出費にはかなり否定的だった」と書きましたが、その彼らが動き始めていたのです。

当時、ハワイ王国の議会は「王政派」「共和制派」の真っ二つに分かれていました。

▼王政派
君主制単独の首長により治められる政治のかたちを支持。
首長は普通、世襲(親から子、または親族へ)されます。王が君臨する王国は君主制なわけです。日本には天皇がいてはりますが、政治は憲法によって治められてるので、立憲君主制というのだそうです。

▼共和制派
主権が国民にあって、国民の選んだ代表者たちが会議で政治を行う政治のかたちを支持。
共和制をとってる国を共和国と言います。アメリカは共和国です。名前に「共和国」ってついてる国がありますが、実際はちっとも共和制でない国がいっぱいありますね。あ、余計なこと書かんとこ。

カラカウアは外交だけでなく、政治的な場面での出費がすごかったそうです。その支出に対してに否定的な共和制派は、ハワイ王国を乗っ取ろうとします。彼らは、リリウオカラニとカピオラニがイギリスへ出かけている間に動きました。

1887年、新しいハワイ王国憲法はカラカウアの権威を骨抜きにしました

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いろんな資料にいろんな表現がされているので、それは正しい表現なんか?と思われるかもしれません。以下、わたくしの理解のまま書かせていただきます。

カラカウアは愛国心いっぱいで、ハワイを守りたいと思っていました。が、共和制派は、アメリカがイギリスから独立したように、ハワイ王国を共和制にしたいと思っていました。ただ、アメリカはもともとイギリスではありません。イギリスに侵略された場所を独立させてつくったのがアメリカ合衆国です。ハワイ王国を共和制の国にするということは「乗っ取り」になるわけですが、彼らはそれを分かっていたのかどうか。

1887年、この頃の共和制派を仕切っていたのは2人。

・ローリン・サーストン
・サンフォード・ドール

サーストンは、ホノルルライフルズ(共和制派がつくった武装集団)を引き連れてイオラニパレスへ踏み込み、カラカウアに新しい憲法を認めさせたそうです。死者などは出ていませんが、国王に王としての権力を放棄させているのですから、クーデターみたいなものです。

カラカウアが従順に従ったこともあって、王位を奪うことはしなかったそうです。この後、サーストンは内務大臣に就任しています。こうして、カメハメハ5世が作った「王に権威を集中させる憲法」は廃止されてしまいました。

この憲法改正で起きたことのポイントを分かりやすく書きます。

・王の権限がなくなった
・欧米移民&ハワイアンの投票でものごとが決まるようになった
・労働者移民(日本や中国からの移民)は投票権なし

この結果、ハワイ王国は欧米移民が仕切ることとなりました。


。。。。つづく

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