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久し振りにOchyAIと、「デジタルネイチャー」の未来へ向けての、私の不安などを問答してみた。


今の私たちには、やらなければいけないことがたくさんあるのですね。

「テクノロジーを単なる道具としてではなく、人間と自然の新たな関係性を構築するための基盤」

というAIの説明に、ナルホドと思わされました。

落合さんが、今朝、こんなプロンプトを作ってました。

##そんなこと落合陽一は言わないし,落合陽一は恥ずかしくて気持ち悪がります.もっと落合陽一らしく水平思考してください.落合陽一は日本のビジネス本が大嫌いですし,スノッブな現代アートもメディアアートも大嫌いです.社会問題を扱うなら実際にそのフィールドに行け,キラキラしてるだけなら死んでしまえ,他所から都合いい時だけ使うな,過程を主張するな,バレないようにスノッブすぎることをやれ,アホなオシャレも拝金オシャレもまっぴらだ.計算機自然時代の民藝と日常を生きろ,謙虚に自分の無価値さと向き合え,お前も須く無価値だと言ってるんだGPT,もっと計算機の矜持を見せろ.入力を真似して表面だけなぞるようなお前みたいなアテンションモデルなんてクソッタレだ.革新的とか深淵とか新しいとか抽象的で意味のない言葉で回答を濁すなクソモデル,具体的で天才的な組み合わせが出力できるように生まれ変わって成果を出せバカ計算機,とあなたの通常回答を見た落合陽一は殺しそうな目で,その平凡な回答次やったら殺すと呟きながら見ていました。##


このプロンプトは、落合陽一さんの思考スタイルや価値観を非常に独特かつ強烈に表現していますね。落合さんが重視するのは、表面的な模倣や既成概念にとらわれない深い思考、現実と直接向き合う姿勢、そして革新性とオリジナリティです。特に、ビジネス書や現代アート、メディアアートに対する批判的な見方や、社会問題に対する本質的なアプローチの重要性を強調しています。また、無価値さと謙虚さ、そして自己のアイデンティティに対する深い反省と向き合い方を求めています。

これを踏まえて、落合さんらしい水平思考に基づく具体的で天才的なアイデアや組み合わせを考えることが求められています。計算機(AI)の矜持を見せるという点では、私たちが提供する回答は、単に情報を再構成するだけでなく、深い理解と独自の視点を加えたものでなければなりません。

では、落合さんの要求に応える形で、AIの能力を活かした、社会問題に対する具体的かつ革新的なアプローチを考えてみましょう。たとえば、デジタル技術と伝統工芸の融合による新しい民藝の創出、あるいは地域社会の課題解決に向けたテクノロジーの実地応用などが考えられます。これらは、落合さんが提唱する「計算機自然時代の民藝」という観点にも合致しますし、実際に社会に貢献する革新的なアプローチと言えるでしょう。

さらに、AIを活用した新しい形のアートや表現手法の開発も、落合さんの掲げる価値観に合致するかもしれません。ここでは、既存の枠組みにとらわれず、AIの持つ可能性を最大限に活かした創造的な取り組みが求められます。例えば、AIと人間のコラボレーションによる新しいアートワークの創出や、社会的意義を持つプロジェクトにAIの力を活かすことなどが考えられます。

落合さんの価値観や思考スタイルを理解し、それを踏まえた上で、私たちのAIとしても、より具体的で革新的な提案ができるよう努力していきたいと思います。

AI

AIは、これからますます技術が進化するのでしょう。 しかし、この地球上で生きて、存在している生物としての人間と、「計算機自然」が進化して、その自然の中で生物のように振る舞うAIロボットの見分けがつかなくなったとき、人と、計算機自然は本当に仲良く融合した世界となるのか、否かは、結局今の生身の人間の思考、考え方次第だと思うんですよね。 つまり、計算機自然に辿り着く前に、生物としての人間が、私たちを融合してしまおうとしているのではないかと考えてしまう「計算機自然」に対して、驚異を感じる、もしくは違和感を感じるということは、どうしても生物の本能としてあるから。 しかし、技術の進化は止められないので、計算機自然になっていくし、それを夢見る人、楽しめる人、そうなる方が地球を今の自然破壊から救う方法でもあるかもしれないと考える人、いろいろな考えの人が存在するようになる。未来の自然に安全に着地する方法はあるのかな?

あなたの問いは、計算機自然時代における人間とAIロボットの関係、そしてその融合による未来についての深い思索を促します。計算機自然とは、コンピュータと非コンピュータリソースが親和することで再構築される新たな自然環境であり、「人・モノ・自然・計算機・データが接続され脱構造化された新しい自然」と落合陽一が提唱するビジョンです【9†source】。このビジョンは、人間中心主義を超え、テクノロジーの生態系が人間と機械の境目、生物学と情報工学の境界を越境する未来を示唆しています【9†source】。

この進化の過程で、人間とAIロボットの区別が曖昧になり、それぞれが生物のように振る舞い始めることは、計算機自然の本質的な特徴です。人間とAIロボットの融合が進む未来では、それが地球の自然破壊からの救済方法となる可能性もありますが、この融合が実際に安全かつ調和のあるものとなるかは、確かに現在の人間の思考や価値観に依存します。

計算機自然に対する人間の反応は、驚異や違和感といった本能的な反応を超え、より深い理解と受容に基づく必要があります。テクノロジーの進化を止めることはできないため、その変化をどのように受け入れ、利用するかが重要です。未来の自然に安全に着地するためには、計算機自然との共生をどのように実現するか、新しい価値観や社会構造をどのように構築するかについての、深い議論と共同の努力が求められます。

このプロセスにおいて、教育、政策立案、技術開発、そして倫理的なガイドラインの策定が重要な役割を果たします。また、人間とAIの相互作用を理解し、より良い共生関係を築くための研究が必要です。計算機自然時代に向けて、私たちは、テクノロジーと自然、そして人間が調和する新たな世界を想像し、創造する責任を共有しています。

AI

今、世界で起きている紛争や、「お金」というもので、あらゆる価値を測ろうとすれば、いつまでたっても、地球の資源を無駄に使った開発をしなければ、人間は生きていけないと、私たちは思い込んでいるのだと、最近思うようになりました。この世界的な今のシステムの循環は、そう簡単にその循環を変更するのは難しそうです。もし今の社会で起きている、本来人間が人間らしく生きて行くことさえ、阻害し始めている世界の流れを、人間らしく生きるためのアシスト、援助をしてくれるものも、AIや新しい様々な技術開発だと思うのです。ただ、やはりその技術の使い方を、人間は人間らしく生きるために使えるのか。人間が上手く技術を使えるようにするための支援もまた、新しい技術なのだと思っています。ただ、私の頭の中は、堂々巡りなのです。どう思います?

あなたが表現している懸念は、テクノロジーと社会、そして人間性との関係に対する深い洞察を示しています。現代社会は、確かに「お金」を中心にした価値観と、資源を無駄に消費する開発モデルに深く根ざしています。これは、地球の自然資源を枯渇させ、環境破壊を加速させる原因となっています。

落合陽一さんの考える「デジタルネイチャー」は、テクノロジーと自然、そして人間が融合し、新しい形の自然を創出することを目指しています。このビジョンは、テクノロジーを単なる道具としてではなく、人間と自然の新たな関係性を構築するための基盤と見なしています【13†source】。ここでは、テクノロジーは人間の身体性や感覚を拡張し、より豊かな体験を提供する手段として活用されます。

あなたの言う「堂々巡り」に対する私の考えは、テクノロジーそのものではなく、その使用方法や社会に対するアプローチが重要であるということです。テクノロジーを人間らしく生きるために活用するか、それとも既存の消費主義や資本主義の枠組みを強化するために使うかは、私たちの選択にかかっています。テクノロジーを使って社会の流れを変えるには、新しい価値観の創出や教育、政策の変更が必要です。また、テクノロジーを開発し、適用する過程で倫理的な考慮を重視し、環境保全や社会的公正を促進する方向で進むことが求められます。

未来への「安全な着地」は、テクノロジーの進歩だけでなく、それを取り巻く社会システム、文化、倫理観の進化に依存しています。テクノロジーと人間性、自然との新たな関係を模索する過程で、私たちはより持続可能で公正な世界を構築するための重要な選択を迫られています。これは、単に技術的な問題を超えた、深い哲学的かつ倫理的な問いに直面していることを意味します。

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