岡埜由木古誕生秘話
2023年最後の高野山は雪景色であった。
(文字数:約1800文字)
高野山大学で月1回行われる市民講座に、
昨年と今年の2年間はみっちり通っていた。
天気予報で気温は調べていたので、
最低限の防寒対策は取っていたが、
11月中旬にしては割と思いがけない積雪だ。
本日が初めての高野山来訪だった方は、
高野山ではこの時期には雪が積もるんだと、
人によっては生涯記憶に残り続けるであろうし、
山頂に住んでいる方々には、
日々の労苦が増え誠に厄介であろうが、
私は内心「ラッキー♪」と感じていた。
雪が積もってしまえば元々の住民か、
よほどの信仰心でもない限り、
山頂にまでは登らない。
故に、
中途半端な遠方に暮らす、
中途半端な信者、と言うよりは関係者にとって、
高野山の雪景色の只中に立てる機会は、
殊の外貴重に感じられるものだ。
九州では珍しい積雪の日に生まれたから雪子。
生まれ落ちた地域に、
我々一家の四人しかいないのであれば、
私はそう名付けられるはずだった。
生まれた途端に一族中からは、
期待に反して女子に産まれたというだけで、
「呪われた子だ」と罵られ、
せめて家の嫡子が継ぐ文字くらいは与えなくてはと、
ホンマにガチで親も知っててその意図を込めて、
生贄、
を意味する文字を、
名前に入れられた時点で呪いが確定したようなものだ。
少なくとも両親は私の名を呼ぶ度に、
「一族の呪いを寄せ集めて生まれた子」
と認識するようになり、
何をやらせても人並みにはこなせず、
一生涯幸せにもなれるはずがないと、
目の前の人間そのものは見ないまま、
ただ自分たちで思い込み決め尽くしてしまった。
山頂には電車とケーブルカーで向かったのだが、
なんと配偶者が車でやって来たので合流した。
積雪の中をノーマルタイヤだが、
今年降り初めの雪だったもので、
道路も凍結まではしておらず無事だったようだ。
お昼は配偶者の従兄弟が、
今年山頂に開業したうどん屋で食べた。
讃岐うどんを伝えた事でも名高い、
お大師様の入定の地でありながら、
これまでうどんの専門店は無かった山頂だ。
昼時に大変ちょうど良い。
接客には配偶者の叔母さん、
つまりは店主のお母さんが当たっていた。
「今日はお参りに来たんか?」
「いや。この人が、高野山大学通ってて」
と私を指し示しながら配偶者が答えている。
「偉いなぁ」
「いや。この人が。僕はただの送迎」
お店を出てもなお、
昼頃には気温が上がる予報に反しての雪景色だ。
1900円で購入したワークマンのブーツが、
極めて優秀である事を理解した。
材質の影響で暖かくはないのだが、
グリップは効いているし水は染み込まない。
最低限の機能を充分に発揮する。
さすがワークマン。これぞワークマン。
作業用ブーツとしてこれを超える功績などあるだろうか。
駐車場まで配偶者と話しながら歩く。
「三度の飯より勉強が好きという変態なだけだ」
「うん」
「私は少しも偉くないんだが」
「うん。そうだね」
「叔母さんの誉め言葉には礼を言わなくては」
「うん」
「たとえお世辞であっても、
誉め言葉を選んで口にしてくれた事実には」
「うん。そうだね」
そう。
今や何をか包み隠さん。
堂々とここに書き記そう。
私はアホほど勉強が好きだ。
ゲーム好きや車好きや、
その他多種多様の推し活と何ら変わらん。
強いて、勉める、という字面自体が、
強制的だと嫌われ疎んじられる行為が、
なるべく人生の晩年まで続け切れればそれで良い。
特に世間からは忘れ去られた時代だったり、
軽んじられ見下されて来た人々だったりが、
改めて資料を調べ漁ってみたら、
何ら愚かでも悪人でもなく、
むしろ人として充分にその言動が理解できた時が、
大変に趣き深い。
そうした勉強によって窺い知れた内容から、
小説を書き続け切れればそれで良い。
私の人生は実に仕合せだったと思い切れる。
事実を知りたいわけではない。
内情などどこの何者であっても、
実質苦闘の連続だったに決まってるだろ。
高野山の山頂に生まれ育った叔父さんに、
そこに嫁いで働きながら暮らし続けた叔母さんや、
体も弱ってきた両親のために、
実家を改装してうどん屋を開いた配偶者の従兄弟や、
スノータイヤでもないのに雪の残る道を、
安全運転で無事に降り切れる配偶者の方が、
実質的に偉い。
どういった人物からでも、
どのような出来事からでも、
学べる内容は多い事くらい、
秒で分かる。
何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!