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ミーはおフランスをふりかえり

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 14日間2週間に渡って、
 Pixivからnoteに移してきた、
 2020年頃のシャンソン記事を、
 2023年の今振り返ります。

(文字数:約2400文字)



  こうして改めて振り返ってみると、
  私この先生から、

  そりゃ「変わってんなぁ」とは言われてたけど、
  基本的に面白がられて可愛がってもらえてたんだなと、
  有難いやら物悲しいやらで。

  「ひとやすみ」のつもりだった2020年4月から、
  連絡を取ってはいないのです。


理由その1:ただ単純に格好悪い

  教室を休む理由に挙げて、
  ホンマに当時の全勢力を注ぎ込んで、
  書き上げた小説が、
  一次選考にすら残らず、

  一次選考発表当日に、
  泣き叫びながら噛み破り叩き棄ててしまったもので、
  現在手元にも残っていない。

  つまり全勢力など注ぎ込むものではない。

  「一次選考にすら残りませんでした。てへ♪」
  と言いながら教室に戻る事が、
  当時の自分には有り得なさすぎた。

  ってか当時はしばらくの間真剣に、
  「この世から消えろゴミ人間」と
  自分を責め尽くして頭を殴り倒していた。

  「何も貴方の全てが否定されたわけじゃないよ」
  とは有り難くも良く聞く慰めだけれども、
  小説家及び賞レースに挑んだ人間にとっては、

  全てが否定されたんだよ。
  完膚無きまでに叩き潰されたんだよ。
  「ここをもうちょっとこうしたら」どころじゃない、
  本気でまさしく掛け値無しの全勢力だったから、
  自分に腹が立って反吐が出て致し方無いわけだよ。

  その原稿を叩き潰して、
  内容も冒頭の一行すらも、
  脳内から完全に消去しなくては、
  飯も食いたくない。
  立ち上がり息を吸う事すら、
  自分に許せないんだよ。

  だけどさぁ。今でこそ素で思えるけどさぁ。

  そりゃ気が狂ってるし、
  狂った奴の作品って、
  そりゃ読むの怖いよねぇ。


理由その2:パンデミックにより家計緊縮

  配偶者が勤める会社の、
  大きな案件も軒並み無くなって、

  私以上に配偶者が、
  顔色も悪くなり体調を崩した。

  1、2年はなだめたり励ましたりしていたが、
  3年目に入るといい加減で、
  私の側にも精神的経済的余裕が無くなり、

  離婚すら出来ない経済状況とは言え、
  どうにか家庭内でも別居を願うように。

  御詠歌の先生は、
  配偶者の菩提寺の御住職だし、
  ちょうどパンデミック直前に亡くなった、
  配偶者お父さんの追弔もあるから、
  そうすんなり抜けるわけにもいかなくてさ。

  世間が落ち着くに従って、
  小康状態になってはきたが、

  太極拳はやめちゃったし、
  シャンソンにも復帰できやしないなって、
  人生を生き抜くにあたっての優先順位が、
  誠に残念ながら下がってしまった。


理由その3:『パダン・パダン』の難しさ

  楽曲の難しさそれ自体に怯むはずはないんだけど、

  私の暑苦しいプレゼンにより、
  先生だけはどうにか「ははぁ」と、
  目を丸くしてくれたけれど、

  『パダン・パダン』を愛する人を、
  先生の関係者や、
  長年の生徒さんの中にすら見つけられなかった。

  「何か変な足音に追いかけられて怖い歌」
  「昔の恋の亡霊の足音って。
   一体何してきたのこの人w
   なんでアンタこんな曲が好きなのww」
  って感じで、

  正直『パダン・パダン』の日本語訳に関してだけは、
  未だ公式には適訳が当てられていないと信じる!

  かと思うと私同様のピアフ・マニアからは、
  「あの曲を歌うなんてとんでもない!
   あれはピアフにしか歌えない、
   ピアフしか歌ってはならない曲なんだ!」
  とお叱りを受ける事かまびすしい。

  加えて、

  シャンソン習いにきたって事は、
  今の若い人たちの音楽なんか好きじゃないよね?

  といった思い込みで、
  今の若い人たちへの不満トークに、
  参加させられる事もしばしばあって疲れた。

  私は米津玄師もYOASOBIもヨルシカも、
  パティ・スミスも泉谷しげるも好きだが何か?


根本的な大理由

  振り返ればしかしそれもこれも私が、

  まずは大前提として小説家、

  である事を、
  当時知り合った人々に顔を合わせたタイミングや、
  そもそも先生への自己紹介時に、
  明言しなかった事にある。

  出版も出来ていない、
  当時はホンマに誰にも読まれてすらいない、
  小説なんかを書いている事実に、
  誰が興味あんねん。

  と長く思い込んでいた事が敗因である。

  まずは自分が如何なる尺度で生きているか、
  明確に打ち出してこそ人間関係は構築し得る事を、
  当時の私は人格も三つに分かれており、
  失念どころか表人格以外は決して出すべきではないと、
  初めから完全放棄していたのである。

  「小説家です」
  とさえ初めに言い切っていれば、

  「『パダン・パダン』は表現者の業を表す曲だ!」
  「歌手としてはともかく表現者として、
   私ほどこの曲に相応しい者はいない!」
  とカイザー白髭のピアフ・マニアにも、
  その場で言い切ってやれたものを(そこかよ)。


  そんな感じで未だにどうにか機会があれば、
  『パダン・パダン』『群衆』の2曲は、
  私のものにしたいのです(増えてる)。

  あ。あと心の奥底にある欲を言えば、
  『THE GREATEST SHOW MAN』の、
  『THE OTHER SIDE』も、
  ぜひバーナム側で(そっちかい!)。

  その心は
  I’ll take you to the other side!
  (君を別の世界に連れて行こう!)

  共同経営者フィリップが切実に欲しい。   


何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!