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ミーはおフランスが付け焼き刃

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 Pixivで公開してきた小説以外の文章を、
 noteに移して行きます。

(文字数:約1400文字)


 「次回までに調べて来るように」
 と前々回のシャンソン教室は、
 新しい楽譜を頂いた時点で終わった。

 家に帰ってから調べてみたら、
 アゴが外れそうなほど難しいやないか。

  『私の心はヴァイオリン』
  (1945年 リュシエンヌ・ボワイユ
   日本語版は越路吹雪)

 音があっちゃこっちゃに飛びまくって、
 ラストは1オクターブ急上昇せなならん。
 そんでフランス語の歌詞読んでみたら、
 鼻血吹きそうなほどセクシーやないか。

 ムリムリムリムリ。
 こげな色っぽさ、
 所詮は田舎出のおどんにゃ出されんばい。

 ……とばかりは言うてもおられんので、
 練習してみます。はい。

 今月はもう一曲、
 こっちは一応音を取ってもらった。

  『聞かせてよ愛の言葉を』
  (1930年 リュシエンヌ・ボワイユ)

 これもまた腰が砕けそうなほど難しいんだよなぁ。
 音が飛ばない点では簡単に思えるけど、
 その分滑らかに雰囲気作って歌い上げないかん。

 シャンソンのごたるもんば習いよってから、
 言うとも何やけども、
 おどんはこいまでに「恋」とか「愛」とかば、
 口にせんばならん所に生まれ出て、
 生きてはおらんもんじゃいけん、
 歌いながらにでん
 「いやー何ば言いよらすとやろこん人はー」て、
 自分で自分に歯の浮き上がる思いのすっごてあるとよ。

 (言葉数が多い割りに、
  内容は少ないのが我が故郷の方言の特色でして、
  その代わりに大事な話は一単語だけで、
  「後は察しろ」になるのが厄介。)

 こうした場面をどうにかしのいできた方法がある。

 場末だ。
 場末の女を気取るしかない。

 場末感はある意味素晴らしい。
 どんな男も女も人生も、
 薄明かりの中に包み込んでくれる。

 日の光の下では残念ながら絵にならない容姿であっても、
 安い酒の酔いや煙草の煙に紛らせて、
 とりあえずは何事か語らせてくれる。

 そんなこんなで教室の日になりました。
 では『聞かせてよ』行きましょうか。

   ♪私の魂を~(あらかわ・ひろし訳詞)

 「そこ音ちゃうで」

   ♪私のた

 「そこや。半音下」

 え。あ、ホンマやフラット付いてはる。
 ってか、え、
 ここ半音ってすっごく難しくないですか?

 「そうやな。難しいと思うで」

 魂。たましいの、『た』、
 って勢い良く出たいところを、
 私の、の、『の』から半音しか上がらないって、
 何ですかこの思いっきりバット振れない感じ。

 「だからムダにバット振られへんねんて。
  気ぃ付けて音取りや」

   ♪優しく揺すぶる~

 「そこの『す』も高すぎ」

 「『す』できちんと下がらんと、
  『る』が上がらんやろ。
  なんで『す』が高なるか言うたらな。
  『優しく』の『や』と同じ音や。
  『私の魂を』の『を』に引きずられて、
  若干上がってんねん。
  せやから魂の『た』の時点から、
  きちんと落とさな」

 あわわわわわ。

 「……ちょっと休むか」

 『私の心はヴァイオリン』
 こっちは場末感でどうにかなりそうな。

 「今は雰囲気とか気にせんと、
  きちんと音取りながら声を出せ」

 あ、左様でしたか。
 はい私の自主練付け焼き刃でございました。


2023年11月追記:
 この近辺でスタンダードナンバー、
 『ラ・メール』と、
 『さくらんぼの実る頃』も、
 習ったはずなんだが一行も記録されていない。

 両者とも好きな曲ではあるんだが、
 初めて歌う曲の難しさに、
 当時は意識に残らなかったのかもしれない。

 『ラ・メール』はとにかく海。
 しかし男性ボーカルであってほしい曲。

 『さくらんぼの実る頃』は、
 ジブリ映画『紅の豚』で、
 加藤登紀子さん演じるジーナが歌ってます。

 恋物語に見せかけて実は……、
 なかなか興味深い話が隠れています。

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