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食い物にされる恨み

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 2023年12月29日夜半から、
 夜明けの6時頃にかけて、
 しゃべり掛けられた記録の続き。

 なんだけども、

 そりゃ子孫代々末裔にまで、
 伝わっちまうわと思ってね。

(文字数:約4800文字)



リアル『シャイニング』

  私が物心付いた頃の、
  記憶にある限り最初の我が家は、

  山の頂上付近にそびえ立つ、
  螺旋階段にシャンデリアを備えた、
  豪華なお屋敷の、

  隅っこの一角、
  言わば使用人居住エリアだった。

  どこかの偉い人、すなわち、
  父が勤める銀行の頭取が、
  たまにしか使わない別荘を、
  管理するために私たち一家は暮らしていた。

  通常の家事育児すらも、
  涙のワンオペ時代である。

  保育園に通い出した姉の送り迎えに、
  広大なフロアのワックス掛けにと、
  母は大忙しなもので、

  私は使用人エリアの中でも、
  3畳程度の物置部屋。
  両親の本全てが詰まった本棚の前に、
  起きている時間のほとんどを座らされて過ごし、

  ほとんど常に静かだった。
  そばには誰もいなかった。

  泣いたとて誰も来てくれない。
  ようやく来たかと思ったら、
  「あらやだ。そんな事で泣いてるの?」
  と笑われるか叱られるだけで、

  「自分でなんとかしなさい」
  と基本ほっとかれておしまいなので、
  私はそう簡単には泣かなくなった。

  外に出て日の当たる場所で遊びたかったが、
  家にある家具も庭の草木に土すらも、
  自分たち家族の所有物ではない。

  何を触っても怒られるし、
  近寄る事すら基本的に禁じられている。

  あまりにも大人しくしていたので、
  ごはんを忘れられている事にすら、
  気付かれていない時もあった。

  思い出されたとしても、
  「外に出て遊ばないから、
   おなかすいてないのよね」
  で済まされる時もあった。  

  

リアル『犬神家』

  私が生まれる前までは、
  父のおばさんたち6人が、
  入れ替わり立ち替わりやって来て、
  何くれとなく世話を焼いてくれたそうだ。

  一族全員から男子だと、
  期待を遥かに超えて熱望されていた、
  私が女子で生まれた途端、
  誰一人訪ねに来なくなったばかりか、

  それまでをおばさんたち6人に、
  おんぶに抱っこでいた両親は、

  なぜいきなり負担が増えて、
  自分たちで捌き切れなくなったのかにすら、
  気付く事が出来ない。

  私は本棚の前に放置して、
  姉が我儘になってきたせいにした。

  おかげで姉妹仲は悪くないが。

  とは言え父は、
  母に似た姉がそれはもう大好きで、
  寄って来られると相好を崩した。

  ならばと私が近寄って行けば、
  顔をしかめて理不尽に怒鳴り付ける。

  それでも殴らないだけ自分は、
  優しい良い父親だと思っている。
  気に入らなければ妻も子供も、
  男は殴って当たり前みたいな土地柄だったから。

  「目に入れても痛くない」
  という文言の意味を、
  私は5歳以前に実感として把握していた。

  目に入れたくもない子供は、
  親にとって痛いのだ。

  「見とるだけで気持ちの悪か」
  と父が罵ってくるのは実のところ、
  私が父に似ているからで、

  つまり父は自分の嫌なところを、
  見せつけられる思いでいるからだ。

  故郷の集落で唯一の銀行員で、
  同世代で一番の出世頭で、
  誰もが父に相談すれば何とかなる、
  と思い込み、

  (何ともならん場合は覚えとれよ。
   お前は恩知らずじゃいけんな)と、
  妬みも含んだ薄暗い笑みを、
  顔を合わせる者皆が向けてくる。

  その人たち全てに愛想笑いを返すしかない。

  そうした全ての鬱屈を、
  自分に似た顔を見る度に思い出す。

  子育ては母親の仕事であり、
  お金をくれる夫に不満など述べてはならない、
  という、
  九州の婦女子教育を受けてきた母にしてみたら、

  夫から顔をしかめられ罵られる次女を見て、
  もちろん傷付いたことだろうが
  (何せ母にとってはその理由など分からない)、

  自分にも心当たりがある、
  閉じ込めて放っておくような育て方のせいだ、
  と思うよりは
  (そう思ったとしても間違いなのだから、
   結果としてそこは良かったのだが)、

  おばさんたちが訪ねに来なくなる以前、
  憎々しげに吐き捨てたように、
  この子は生まれつき呪われた子で、
  誰からも嫌われ笑われる子にしか育たないのだと、

  思い込む方がまだ、
  母自身のプライドだけは守り切れた。    


リアル赤ちゃん親

  家からほとんど出歩いていないのだから、
  脚力などは育っていない。

  家族との会話もほとんど無いのだから、
  本を読み続けて言葉なら知っていても、
  発声する習慣が無い。

  幼稚園に入った時点の私は、
  確かに結構な不思議ちゃんだった。

  お勉強は好きで成績は良かったし、
  時間に言いつけは守って掃除もサボらないが、
  動きが鈍くて声が変ならそれは気持ちが悪い。
  当然のようにいじめられる。

  両親に報告したとて、
  「お前は失敗作だからいじめられて当然」と、
  「仕方ないわね」と、
  夫婦揃って笑って済ます。

  今年の正月にも実家から、
  モチだのカマボコだの送ってもらえて、
  愛されてんじゃん文句言うなよと、

  これまでの私の記事を見かけた方は、
  それは思いもするだろうが、

  配偶者が私と結婚するために、
  わざわざ九州の両親を訪ね、
  父親も了承を与えた後になって、

  いきなり両親揃って大阪にやって来て、
  当時私が通っていた心療内科の、
  主治医に会っての開口一番、

  「うちの子結婚させて大丈夫でしょうか?」
  と訊きやがった事実を如何に思えと。

  「知らんがな」
  と明確に書かれた表情を、
  私は主治医の顔に初めて見た。

  もちろん主治医は両親に対しては、
  体良くお引き取り願って、

  診察室に残っていた私には、
  「あんたのとこ御両親の方がおかしいな」
  と言ってくれたのだが。

  「ですよね(#・∀・)」
  「患者さんの親にこれ言うのも何やけども。
   赤ん坊か。
   全部を人任せにして、
   人から言われたままやってきたやろあの二人。
   あかんわ。話してたら私まで調子狂う」
  「ですよねですよねっ(#;∀;)」

  後ほど詳しく思惑を問いただしたが、
  主治医が「結婚は無理です」と言ってくれたら、
  本気で結婚も破談にして仕事も辞めさせて、
  九州の実家に閉じ込めるつもりだったようで、

  そいつは俺の話も配偶者の話も、
  ろくに聞いちゃいねえし、
  まともに受け止めてもいねぇどころか、
  結婚を認めた自分たちの言葉にも、
  責任とか一切感じちゃいねぇって話だなと、

  私はいよいよもって両親を、
  縁合って近くに生まれ合わせただけの、
  他人だと思う事にしたわけだ。


ゴキブリの方がマシだとか言う

  実家で暮らしていた頃から、
  「食用のゴキブリが開発されている」
  といったニュースを見て、

  「あらやだ。ゴキブリの方が、
   あんたよりも役に立っちゃうのね」
  とか笑ってくる母親だ。

  それを聞いて隣でニヤつきながら、
  大きく頷いている父親だ。

  役に立ったとしてソイツは、
  食糧として、なんだが?

  悲しい以前に呆れ果て、
  もはや心も動かない。

  実の娘も家畜、
  の中でも食糧、
  つまりは食い物以下、
  にしか見ていない。

  ある意味では仕方が無い面もある。
  何せ自分たちが食い物にされてきた。

  自分たちが食い物にされてきたんだから、
  自分たちの子供も食い物扱いが基本だ。

  食い物にもならなきゃゴミとしか思わないし、
  その感覚を恥じもしない。

  自分たちは少なくとも若い時分には、
  周りから良いように使って頂ける、
  食い物にはなれていたわけだから。


親の苦労ぐらい知っとるわ

  状況が許していたなら、
  つまり易々と食い物にされていなければ、

  元来愛情深い女性だった母こそが、
  娘二人に十分な手間をかけ、
  心ゆったりと育てたかったはずだ。

  「竹本テツ(じゃリン子チエ)が理想だ」
  などとほざく父こそが、
  妻子を連れて大阪に移り住みたかったはずだ。

  それはそれでまた別の地獄が、
  口を開けていたかもしれないが、

  物心ついた頃から「失敗作」と言い聞かされ、
  ごはんもいつ忘れられるか分からない日常は、
  5歳以前の私にとって、
  相当な恐怖であり絶望だったに違いないんだ。

  今の私は当時の感情を一切覚えていない。

  どうやら自分ごときが感情を抱いたところで、
  声や表情に出して誰かに伝わるものとすら、
  思えていなかったようだ。

  思えば私の父方先祖も、
  村で唯一の行商人として、
  愛想笑いを浮かべながらやって来る村人たちに、
  貴重な現金を配り回る役目だった。

  親や先祖の悲しみくらいは、
  重々把握している。

  これまで私が、
  個人的な恨み言にしか読めない記事を、
  長々と書き連ねて来たのも、

  食い物にされ、
  またお互いを食い物にし合うような、
  家に絆に伝統なんぞは、

  私は継ぐ気が無いし、
  他の誰も継がなくて良いのだと、
  断言したいがためである。   


ここで一つの応用問題

 今年の年末年始は実に暖かかった。
 関東以南のほとんどの地域が、三月上旬並み、といった気候は地球環境としては、明らかに異常である。

 しかし国民全体からは特に不安の声などは上がっていない。
 冬であるのに暖かめで基本的に過ごしやすかったからである。
 人間という生き物は、自分たちの目の前さえ良ければ、自分たちの毎日が過ごしやすければ、地球規模の異常にも気付かず順応してしまう、愚かで自分勝手な生き物なのである。

 もっと謙虚になって地球の叫びに耳を傾けよう。
 地球の異常をもっと繊細に感じ取り、周囲にも「異常だ」と告げ知らせる勇気を持とう。

  ……といった文言を、
  今適当に思い付きで書いてみたんだが、

  私の記事の中で、
  私の文章であればこそ、
  「何言うとんじゃコイツ」
  とすぐさま鼻で笑って下さると思うが、

  テレビの報道番組等で、
  有識者とか紹介された方が、
  深刻な面持ちで似たような事を、
  発言されていたらどうだ。

  割と皆が危機感を、
  容易く覚えさせられ、
  異常を見つけては排除してこそ、
  良き国民と思い込まされている気がするんだが。

  先に挙げたような文章こそ実は、
  人を食い物にしている好例で、
  最大の問題点は、

  自分と自分たちが所属する集団は棚に上げて、
  (あるいは異常に気付き啓発した時点で、
   免責されたもののように思い込んで)、
  初めから愚かで怠惰だと決め込みながら眺めている、
  他人や他者集団にしか、
  反省と行動を促さない点だ。

  そもそも何をもって異常とするかの、
  根拠が一切示されていない。
  地球環境とか持ち出したところで、
  単に雰囲気だ。

  こうした文章を思い付き発してしまう側こそ、
  人を食い物にしてしまっている事実に、
  自ら気が付けなくてはならない。
  (もちろん私自身も例外ではない。)

  気が付いてそして抗わなくてはならない。

  人はどこにいる何者であれ人である。
  食い物にして良い人間など存在しない。

  そこに対して何かしらの反論が、
  頭から口から飛び出すようであれば、
  その反論の出所が、
  元々どこであったかを思い出してほしい。

  貴方の外側から忍び込んだ価値観のはずだ。


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