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【小説】『規格外カルテット』6/10のb

(10回中6回目のb:約3300文字)


 元喫煙所からは灰皿が、すっかり撤去され、ベンチだけが置かれたままの人気が無いエリアが残された。タバコが吸えもしないのに2月の屋外でわざわざ休憩したい人もいない、と思いきや、昼休憩中らしい咲谷さんが一人で座っていた。
 近付いて行くと「食べる?」と、6粒くらいのチョコレートが並んだ箱を差し出してくる。
「じゃあ一つ」
 とつまんで見た粒は随分と赤い。口に入れながら隣に座って噛んでみると、酸味があるちょっと変わった味だ。
「どうしたんですか、これ」
「売れ残りのワゴンセール見つけて、買ってみたの。もったいないなと思って二つ三つ。ルビーチョコ、なんて出来てるのね最近は。知らなかった」
「ありがとうございます」
 振り向いてきた顔はなぜお礼を言われるのか、分かっていない感じだ。
「おかげでしばらくの間は、僕が担当しながらの様子見で」
「担当、したいの」
「はい」
「そう」
 思っていたよりもしんみりした様子でうつむいているから、明るく振る舞っていたけど咲谷さんも、そういった心配が無いわけじゃないのか、と考えた。
「皆見た目や格好に、引きずられ過ぎだと思うんですけどね。あの場で言えるような話でもないですから、黙っていましたけど、指導時間の半分は僕『ルミちゃん』って、彼女さんの話ばかり聞かされていますから」
「彼女、なの。それって」
 咲谷さんにしては妙なところを気にするな、と感じてはいたけど。
「まだ微妙なところ、かもしれませんけどまぁ言ってしまえば男女の関係ではあるみたいですよ。思春期のガキ、失礼、少年みたいにはしゃいでいます」
 うつむいてほとんど聞こえないほどの小さな声で、
「あの、バカ犬……っ!」
 そう届いたけれど意味が分からず、何だろうと隣を見ると、咲谷さんも隣から見返してきて、
「その、ルミちゃんて、私」
 と長い付き合いでもこれまでに見た事が無い、真っ赤な顔になって言ってくる。
「咲谷瑠美、だから」
 言葉としては聞き取ったけれども、内容の理解が追い付かない。実を言うと追い付かせるのもちょっと怖い。自分にとっての咲谷さんは、精神的にほとんど同性の、しかも先輩だ。
「咲谷さんは、その」
「そう!」
 さえぎる形で手のひらを向けられて、咲谷さん本人は、顔を押さえてうつむいて、自分からは、暗めの赤に染めた髪から覗くこれも赤くなった耳が見えている。
「そうだけど。そう、なんだけど……、そう、思い込みたかっただけかもしれないわ。変な話、やれちゃってんだもの」
「無理強い、されてはいませんよね」
 念のために確認しておくと、うつむいたままで首を振ってきた。
「されてない」
「つまり前々から彼の事は」
「知ってた。けど、プライベートでだけね。うちの利用者になってるのも、あんたが担当だってのも、昨日あの時初めて知って、ビックリした」
「何であんな言い方をしたかは、彼からは」
「知らないわよそんなの私だって!」
 いら立った声を出した口を押さえて、手を放すと目は合わせずに微笑んでくる。
「ごめん。知ってるわ。蜂須賀あんたの事が気になってて、どんな人か知りたかったって」
 考えて、と言うよりも様々な要素が思い当たって、ほとんど意識せず数回ほど頷いていた。
「だから、何て言うの元々ゲイだったのを私が、ストレートにさせちゃったのかなって。それでその、ビアンだった私も……」
 スト、と出かけた口が、下唇から噛むように閉じられる。
「正直、自信無くなってきた。こういう事に自信って付けるのも、おかしな話だけど」
 おかしな話に思うのも自分にはおかしく感じたけれど、そこを無理に伝えるよりは、黙って気持ちを聞いておく。
「自分の事、特殊みたいに思いたかっただけかな、とか、普通の女つまんないって、馬鹿にしてただけかも、とか」
 それは違うだろう、と思ったけれど、否定するよりは確認してみる。
「馬鹿に、してたんですか?」
「そうは、思いたくないけどだから、分からないのよ」
「単に、運のような感じがしますけどね。僕には」
「運?」
 意外な言葉を聞いた様子で顔を上げてきた。
「良い運か悪い運かまでは分かりませんけど、そうなっても良いような相手と、たまたま同じ場所に居合わせただけじゃないかと」
 しかしまた目を落として、うつむいていく。意外が過ぎてどうもすんなりとは、受け止め切れないようだ。
「意地、張ってるだけかもしれないよ。だったら今までの私の人生、あれとかこれとか、何だったのっていうか」
 そもそも意地を張っている時点で不自然に感じたが黙っておく。
「良い人だなって、思ってたけど無理だった彼氏とか、やっぱり男が良いかなって、あっさり出て行きやがった元カノとか、カミングアウトして以来顔も見ちゃいねぇ両親が、まぁ泣きながらの笑顔になって、『やっと治ったのね!』とか『ようやくまともになったか』とか、どんだけ喜んでくれやがるかと思うと!」
 咲谷さんの手にあった箱が、勢い良く潰れて残っていたチョコがはじけ飛んだ。食べられたのにもったいない、と思いながら立ち上がり、落ちていた粒を拾い上げる。
 ごめん、と差し出された箱の残骸の中に落としておく。
「腹が立つんですね」
 目が合わされたのでなるべくそらさないように、隣に座り直した。
「という事はやはりどこかに、無理が生じています」
 そのまま数秒ほど見合わせた後、咲谷さんの目は斜め上に、それから手元の残骸に移って、それを見ているうちにクスッと笑った。そうなればもうこちらからは、目を放しても大丈夫だろう。
「なるべく無理が無いように、過ごしてきた結果が、ごく普通に周りからは変わって見えてしまうだけです。分かります」
 そうまとめたつもりの舌先に違和感を覚えた。
「いえ。すみません。間違えました。分かりません」
 蜘蛛の巣でも絡み付く感じを取り払いたくて、叩き付けるつもりで、声に出していく。
「ただ、僕にはそう簡単に分かりませんし、そもそも簡単に、分かるようなもので良いなんて思わない。僕の感覚だけでものを言える話ではない、という事が僕には、分かっています」
「すげぇ」
 残骸を自分達が座っている中間に放り置いて、咲谷さんが笑ってくる。
「あんたってホント、絶妙だわ」
「絶妙に、何ですか?」
「は?」
「いえ絶妙、というのは、何かに付けて使う言葉で、単体では意味を持たないように思うんですが……」
 素朴にそう思って口にしたのに、思いっきり呆れた溜め息をつかれてしまった。
「そういうところだよまさしく。こっちは絶妙、としか言いようがないじゃない」
 自分ではどうも良く分からないので、流れの中には入り切れず、残しておいた話題に戻してみる。
「彼が、駐車場でどうしてあんな言い方をしたのか、僕の方ではまた違った心当たりがあるんです」
「何」
「今はまだちょっと。もう少し、確認してみないと」
「何なのよもう。ハッキリしないねアイツもあんたも」
 すると彼の方でも咲谷さんに本当の事情は話せていない。
「ただ彼は、『ルミちゃん』しか気にして見ていないと思います。恋愛対象としては」
 咲谷さんの横顔に、サッと赤みが指したけれどすぐ退いた。
「うううあんたからそう呼ばれるとゾッとするぅ……」
「僕も頭の中では別人みたいに切り分けています」
 とは言え『ルミちゃん』も彼の事は気に入っているらしい、と判断すると笑みが浮かんできた顔を、上げて見渡しただいぶ先に、いつからそこにいたのか考えるのも恐ろしい、出来る事なら今は幻であってくれと思いたい、茶色の三つ編みを両側に垂らしたワンピースが立っていた。
「みるさん……」
 自分ではそう簡単に動じない質だと思っていたけれど、それは今まで幸運にも、予想をはるかに上回る場合を知らなかっただけだと分かった。

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