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少なくとも100年すこし前 2022年8月28日週次投稿

週の半ばの記述のストレッチ、週次投稿です。
今回は散歩から派生した興味の対象のことを書いてみて、他にも何か思いついたら。



時間と体力にある程度制限のある習慣的な散歩では、それに伴って自ずと歩いて行ける範囲が限られる。

私の場合散歩のスタート地点は自宅で、そこから歩く範囲を同心円で俯瞰するとしたら、(GoogleMapに定規をあてて確認してみると)自宅から直線距離が長くて3kmくらいに収まるように見える。

俯瞰で見ての直線距離3kmは、蛇行をすれば3.5km少しくらいの移動距離だろうか、自宅から同心円の円周にふれるような往復の散歩をするとき、それは大まかに楕円形のような道のりになる。

散歩のはじめに大体あの辺りまでという念頭のイメージがあり、その方角へ向かうときの気分で道を選んでいく、そして帰りは同じ道を通らない、そういう組み立て方自体が結果的に楕円形のような俯瞰の道のりになる。
(近ごろはそれとは別のやり方で、はじめに念頭のイメージを設定しながらも、道の選択をしながらその都度念頭の眺めを上書きしていくような散歩になっていて、それは楕円形にならない。)


いつも通りの身支度を済ませて、休日でいつもより少し長めに歩く時間がとれる散歩をはじめるとき、北側の農地の奥の森のイメージが頭に浮かんでいた。

近所の住宅地の路地から国道を渡って、ふと、この国道が部分的に若干盛土の高架になって下に細いトンネルが通っている箇所があるのを思い出す。
この高架下の細いトンネルを通り抜けるときと上の国道の路面を横断するときの体感的な距離の違い。トンネルを通るときの距離の短さの印象の意外さ。

ホームセンターの広い駐車場と並行している送電塔の連なりを眺めながら、それにならって歩く。
真っ直ぐの道を進む時の正対の眺めがあり、自分が進んでいくにつれて左右の視野が巻き取られるように背後にまわって、また違う視野となっていきながらも同じ眺めが維持されている体感は、住宅地とマンションの間の下り坂に差し掛かると既に眺めが違っている。

下り坂で、視野がひらけた感じのするときとそうでないときの視覚的な条件の違いはどういうものだろうか。坂の傾斜の度合い、左右の建物とオブジェクトの密集やその高さと路面との角度、暗さの印象、等々から切り通しがつくる視野のことを思い出す。切り通しの坂か。

ゆるく長い陰になった路面の切り通しの坂の下では、ひらけた農地の眺めの後景に森の部分的な前面がわずかに目にはいり、遠くの山並みが更にその背景の地となっている。

森の入口の側にある看板の案内に以下のようなことが書いてあるのをiPhoneにとっておいた。

この地域は、関東ローム層に覆われた台地で水に乏しく、萱原と疎林からなる広大な原野であったといわれています。江戸時代に入ると、屋敷地、農地、平地林が一体となった新田開発が次々と行われ、緑豊かな武蔵野へと生まれ変わりました。

眼の前の密度のある森と整然とした農地がその辺りの地所を占める広大さと、案内に書いてある萱原、疎林、原野という言葉のギャップから、ふいにチェーホフの文章によく書かれるモチーフのことを思い出すことになった。

二百年、三百年後に生きる人たち、ぼくたちがいまこうして道を切り開いてやっている人たちは、ぼくらのことを、よく頑張ったとねぎらってくれるだろうか。
チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』光文社古典新訳文庫 P.12

少なくとも100年すこし前の文章にこういうことが書かれた。
そのとき自分が目にして体感していたのは、それより更に以前の時間に遡るスケールの対象だった。
それを武蔵野と呼ぶらしい、と。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。