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〆切のない原稿のために余白を残す

滞在している和室は、窓からの光を遮るのは障子だけ。夜が明けると自然に目が覚める。天気がよければ朝焼けがはじまり、やがて向島から朝日がのぼる。夜には、竪額障子のガラス越しに月を眺めながら眠ったこともある。自然に身体に添わせて寝起きすることに、静かなしあわせを感じている。

滞在4日目は、はじめて予定のある日だった。

初日に荷物を置いた後、坂を降りて行くと美容室を見つけた。尾道の山手でよく見かける3階建ての一軒家。ここでお店をしようと思うのはどんな人だろう? ただそれだけの興味で、翌日に予約の電話をかけた。なんとなく、静かな女性の声を予想していたら、男の人が出たので驚いた。

「3日後、午後14時30分以降なら空いています」と言われて、とっさに「15時でもよいですか?」とお願いした。

尾道駅前に、古い松竹の映画館を再生したミニシアターがある。駅から看板が見えたとき「このまちには映画館がある!」とうれしかった。プログラムを見ると、ちょうど『日日是好日』がかかっている。終演は14時40分――映画を見た後に美容室に行けたらと思ったのだ。

「じゃあ、それまでの時間は何をして過ごす?」

約束の時間に合わせて、いかに効率的に一日を過ごすか?という考え方が、もはや新鮮に感じられた。それと同時に、今までの気ままな自由さに水を差した気がしてやや億劫にも思われた。

こういうときはザ・観光地に行く方がいいかも?と、千光寺の参道を上がり本堂に手を合わせる。山道に落ちた松葉が、硬い階段に疲れた足にやわらかい。山頂にあったなつかしい感じの展望台に上ってみる。遠くまで、島影が重なり合っている。やまなみではなくしまなみ。「しまなみ」という言葉の意味が今さらながら腑に落ちる。

展望台の2階には、ザ・観光地な喫茶店があった。オフシーズンの午前中とあって、お客さんは誰もいない。

なんとなく持ってきていた文字起こし原稿を出して、インタビュー記事の構成をつくりはじめる。時計の感覚を持ち込んだとたん、ここでの生活に仕事の感覚も入り込んできた。それまではまったく手をつけられなかったのに。

原稿をつくるのはやっぱり楽しい。たった数日ぶりなのに夢中になってしまうくらいに。好きだから、仕事をしすぎる。好きだから、仕事しすぎでしんどくなっても気づけなかったのしれない。

お昼ごはんを食べたお店の本棚に、近藤雄生さんの『終わりなき旅の終わり さらば、遊牧夫婦』があった。ページを開くやいなや引き込まれ、読みふけっているうちに映画の時間がやってきた。間に合わない!

5分遅れで映画館にかけこむ。席指定はなく、暗いなかで空いている椅子を選んで身を沈める。映画について知っていたのは、樹木希林さんが茶道の先生であり、黒木華さんが習いにいくということくらい。しばらくして、黒木さん演じる紀子さんはライターさんだとわかりドキッとした。

映画のなかで、大学4年生の主人公は「書く仕事をしたい」と思っている。彼女と同じ年頃だったとき、書くことは好きだったけれど、「自分が書くことが仕事になる」なんて到底思えていなかった。こんなリノリウムの階段がある小さな映画館に通うことを好む、ぼんやりした学生だった。

踏み切りを渡って坂道のまちへ戻り、3階建ての美容室に行く。扉をあけると、映画のチラシや古いカメラが置いてあった。映画が好きなひとなのだろうか? 椅子にすわってわりとすぐ「あ、任せていいな」と思う。安心して髪を預けられる美容師さんがいるのは、良いまちの条件のひとつだと思う。その人にまた会いたい、また話したいと思えるなら、もう一度そのまちを訪ねる理由にもなる。すっきりした髪型は、自分へのよいおみやげになった。

美容師さんは、はさみをあやつりながら、この家でお店を開くまでのことを教えてくれた。その後、わたしが尾道に来てどんな時間を過ごしているのかを話した。「ネットで調べないルール」のことを言ったら「ああ、いいですね」と笑ってくれる。

軽くなった頭で2回目の喫茶店に入り、マスターと話していると「ふだんはどんなことを書いているの?」と聞かれる。「何を書いているのか」という質問は、「あなたは誰ですか?」とほぼ同じだなと思う。尾道に来てから、何人もの人に自分のことを話している。これは、ふだんの生活ではなかなかないこと。

わたしの話が終ると、今度はマスターが自分の話をしてくれた。「いろんな仕事をしたけれど、自分というリソースを一番生かせるのはこれやと思うんよ」。この日のふたつの会話でもらった言葉は、すごく長い響きを持っていて、これから何度も思い出すと思う。

たぶん、いつかわたしはこのときの会話のことを、もっとくわしく、あるいはちがうかたちに書くのかもしれない。それは、〆切のない原稿みたいなもの。言葉で受け取ったものを、言葉になる前の状態になるまでゆっくり待ってから書く、みたいなこともある。

うまく言えないけど、そういう原稿を書く余白を持っていたいと思う。

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