爆破ジャックと平凡ループ_10

如月新一「爆破ジャックと平凡ループ」#17-10周目 一番くだらねえクソッタレな人生

 十二月の風が、今度はなんだかやけに染みた。目の前のあかいくつバスに、もう乗らなくてもいいんじゃないか、という気さえして来る。

 別に、彼女を救ったから、どうこうということを期待していたわけではない。困っている人がいたら、助けたい、という気持ちに近い。そう思っていたのだが、俺はやはり、咲子さんを助けて彼女に優しくされ、感謝されたいと思っていた。

 それが、蓋を開けてみたらどうか。

 彼女を助けるために行動していたのに、彼女はバスジャック犯になり、昔のことまで引っ張り出されてなじり倒された。

「お客さん、乗らないんですか?」

 運転手に声をかけられ、俺はふーっと大きく息を吐き出すと、「乗るよ! 乗ってやるよ!」と大股でバスに乗り込んだ。

「あんたは、いつもぐるぐる同じルートを運転してるだけの仕事だ。楽でいいよな」
「声をかけてきたと思ったら、突然なんだよ、その言い草は」

 ふんっと鼻息で返事をする。今度は俺の好き勝手にさせてもらうから、覚悟しておけよ、という気持ちになり、どしどしと進む。

 バスが俺を乗せて、走り出す。
 まず、菜々子嬢と町山ペアの前に立つ。
 バスが揺れ、菜々子嬢のコーヒーがスーツの裾にひっかかる。

「すいません!」

 お前らが謝るべきことは、俺にコーヒーをかけたことじゃねえ! と怒りが湧いてきた。
 今の俺はぷっつんと切れてしまっている。

「お前ら、駆け落ち中なんだよな?」

 二人が緊張した面持ちで俺を見上げる。

「そのせいで、どれだけの人が迷惑すると思ってるんだよ。本当に駆け落ちじゃないといけないのか? もっと他に方法だってあったんじゃないのか? 誰かに迷惑をかけないようなやり方がよ」
「あなた、なにを仰ってるんですか?」

「俺は知ってんだよ。それも、宝物の指輪だけ持ってくるって泥棒じゃねえか。おまけに駆け落ちで船旅ってふざけるんじゃねえよ。なにもかもが金持ちの発想すぎるわ。なのに、なんでわざわざバスに乗ってんだ?。金持ちなら金持ちらしく、大さん橋までハイヤーで行けっつうの」
「それは、この街を見納めしたいからで。というか、なんでわたくしたちのことを知ってるんですか?」
「そのせいで、どんだけ俺に迷惑がかかったと思ってんだよ! 金持ちの世間知らずが、苦労したこともねえんだろ? もういいよ、お前らは、チクショウ」

 振り返り、シルバーシートに座る、四方山を見下ろす。

「勤続三十年以上かも知れねえけど、自分のことが百パー正しいって思ってんじゃねえよ。人にはそれぞれな、いろんな都合があるんだよ! 法律とかルールが全てだと思うなよ、この頭でっかちが!」

『お客さま、他のお客様のご迷惑になることはおやめください』というアナウンスが聞こえるが、そんなもんは無視だ。次だ次! と俺はくしゃくしゃ頭の探偵に声をかける。

「お前も、中途半端に夢を見るくらいなら、そんな仕事に就くんじゃねえ!」
「誰だお前?」
「お前はあいつら駆け落ちバカップルの尾行をしてる探偵だろ? 探偵なんて気取ってるけど、やってることは、浮気調査ばっかみたいじゃねえか。おまけに、幸せになろうとしてる二人を、金がもらえるから邪魔するってクソ以下だな」

 困惑した様子で、立花は怪訝な顔をしたまま俺を見上げている。

「探偵なんて格好つけて、結局は金なんだろ? 事務所は火の車なんだろ、知ってんだからな! 夢を叶えたふりしてるけど、世の中は金なんだろ? みっともねえよ!」

 今度は釣り人風の男に向き直る。目深に被っている帽子を取り上げ、放り投げる。

 じろり、と射すくめられそうな視線を向けてきた。
 だが、こっちはもう自暴自棄だ。なんにも怖くなんてない。

「お前のそのクーラーボックスの中身は知ってんだからな。すまし顔して座ってんじゃねえよ。まともに生きることの苦しみを知れっつうの! 自分は力があるから、なんでもどうにかなるとかって思ってんだろ? これからそうもいかなくなるから覚悟しておけよ! なんでも暴力で解決できると思うな! ざまあみろ!」

 今度はお前だ、と黒縁眼鏡のユーチューバー東雲に向き直る。

「お前もなにがユーチューバーだよ、楽して金を稼ぎやがってよ」

 東雲は珍しい光景だからなのか、スマートフォンを俺に向けている。

「俺を撮るんじゃねえ!」

 と腕を振り回し、スマートフォンを叩き落とす。

「そうやって、なんでもネタにして金を稼ごうって考えてんだろ? 風呂いっぱいのコーラーに入ってみたとか、しょうもねえ動画で稼げていいよな?」
「悪いけどおっさん、そういうのはもう言われ慣れてるよ。それのなにが悪いのか教えてよ。需要と供給。嫌なら見るな、だよ」
「需要と供給の話をしてるんじゃねえよ! 感情の話をしてんだよ! クソしょうもねえっつってんだ! お前もスーツを着て働いてみやがれ! 社会の苦労を知れ! 十年後もその動画で食ってけると思ってんのかよ!」
「おっさんこそ、どうなんだよ、リスクを背負って生きてんのかよ?」

「リスク?」

「そうだよ、リスク背負って生きてんのかよ? こっちは人生かけて、顔さらしてやってんだよ。あんたは会社の庇護のもと生活してるんだろ、結局日和ってるだけじゃん?」
「会社に入ったら庇護を受けれると思うなよ! クソみたいな上司と、クソみたいな仕事を、イヤイヤやってんだよ。ものを食わないと死んじまうからな! 金を稼ぐために、辛い仕事やってんだ。他人を不幸にしてるかもって思いながら働く気持ちも知らねえくせに、知った口を利くんじゃねえよ!」

 次! とバスの奥に座っている正義漢に視線を移す。

「お前も俺と同じで、いつかヒーローになれる瞬間が来るかもとか、特別なんじゃないかって思ってんだろ? でも、なんの準備もしてねえ奴の正義なんて、無駄でしかねえんだよ! お前は、大人しく席に座って怯えてろ!」

 あとは、最後の一人だ。
 視線を移すと、咲子さんがきっと俺を睨みつけていた。
 目頭が熱くなっている。さっきから、自分の呂律が回らなくなっているのがわかる。

「そんな目で見ないでくれよ」
「森田くん、気が狂っているようにしか見えないよ」
「そりゃあ、狂っちまうよ。同じバスに、何回だ? 十回も乗ってるんだぞ」

 咲子さんが、怪訝そうな顔をする。

「もう一体なんなんだよ。俺の人生ぜーんぶ上手くいかねえんだ。本当だったらさ、ミュージシャンになって、咲子さんと家族になってるはずだったんだ、それがどうだよ。空っぽだよなんにも手にしちゃいない」

 両手を広げ、スーツ姿の自分を見る。

「会社に行って、社会を良くしてるのかさえわからない、そんな仕事をして金をもらってる。やりたくもない仕事をしてるときの、時間を無駄にしている感覚が、もう嫌なんだよ。でも、ギターだってここ一年触ってねえ。全部計画通りにいかねえんだよ! バンドだってできてないし、結局つまらねえ! クソッタレの人生だよ! 本気出せばさ、俺にだってできると思ってたんだよ! 全部解決できるんじゃないかって思ってたよ!」

 目から、どぼどぼと涙が溢れている。どうしても止めることができない。唇がわなわなと震える。

「でもな、わかってんだ。わかってんだよ」

 そう言いながら、車内を見回す。怪訝な顔でみんなが俺のことを見ている。頼むから、そんな目で見ないでくれよ。

「お前らのことを散々バカにしたよ! どうしようもねえ、クソくだらねえっつったよ! でもな、一番くだらねえクソッタレな人生を送ってるのは、俺なんだよ! でも、どこかで俺にならすげーことできんじゃねえかって期待してたんだよ!」

 咲子さんの前で跪く。

「わたしにも、なにか言いたいことがあるわけ?」

 じっと怒った目で俺を見ている。

「俺はオーディションを受けなかったよ。でもさ、君の前でだけは、格好いい俺でいたかったんだ。落ちて慰められたくなかったんだよ、ごめんよ」

 直後、『次は日本大通り、日本大通りでございます』と運転手のアナウンスが響いた。

 扉が開く音がする。強奪するものを間違えた、間抜けな男が乗り込んで来る。

 超能力があれば、なんとかなると思っていた。
 だけど、なにもできなかった。だったら、肉弾戦しかねえじゃねえか。
 俺を人質にしてみろよ、と岡本につかみかかる。
 すると、胸に熱が生まれた。熱くて痛い。
 視線を落とすと、そこには銀色のナイフが突き刺さっていた。

 床にどさりと倒れる。誰かの悲鳴が聞こえる。だらだらと、自分の血が広がっていくのが見える。バスジャック犯と四方山と町山と正義漢が、もつれあっているのが見える。

 泣きじゃくり、どんどん霞んでいく視界の中で、誰にも聞こえないような小さな声が口からこぼれてしまった。

「俺を愛してくれ」

=====つづく
第17話はここまで!
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