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三重県津市で、ちょっと変わったことを仕掛けている理由

先日、飲みの席で、とある中小企業の社長さんから「kaidanって、津市のコワーキングスペース(コミュニティスペース)の中ではハシリですよね」と言っていたきました。

で、その話の中で、「ハロウィンイベント」(2005年)も、「謎解きイベント」(2014年)も、「ボードゲームスペース」(2017年)も、津市ではハシリですよねという話になりました。
ボードゲームに関しては、もっと前からボードゲーム会をされている方はいたけど、雀荘ではなくドイツゲームなどで遊べるスペースを作ったのは、津市で初めだと思います。

「なぜ、それをやろうと思ったんですか?」という話になり、短めに話をしたけど、改めて僕の原点はそこなんだなと再確認できたので、その時の話に少し肉付けし(全部書くと終わらなさそうなので)、記録として残しておきたいと思います。

まず、僕はNPOで16年ぐらい働いているんですが、働き始めたきっかけは、簡単に書くと、たまたま職員を募集していたからです。
ただ、働き続けている理由としては、(1)多様な人が働くことのできる可能性があるのでは?という期待と、(2)人生を豊かにする上でいろいろと仕掛けられそうだな、ということです。
正直、(1)に関しては、最近、「ん〜。結構、排他的な空気感があるかもね」ということと、(2)に関しては、社会的企業(起業)も生まれてきたことから、NPOじゃなくてもいいかもねというのがありますが、まぁ、当時は(1)(2)のように思っていました。

で、少し僕の子ども時代の話をします。
僕は小学校6年生の時に、身長168cm、体重40kg、色が黒く、唇が厚く、眉毛が太く、なかなかに面白い顔と体型をしていたのでイジメの標的にされました。
ちなみにスポーツは中の下でしたが、勉強はかなりできる方でした。
体型が気持ち悪いとイジメられたり、見た目だけでバスに子ども料金で乗れなかったりで、結構理不尽な目に合いました。

話は変わって、僕には弟がいます。
弟は左利きで、小さい頃、右に矯正させられたり、いろんなもの(駅の改札や自販機の硬貨投入口など)が右利き用に作られているので、子どもながらかわいそうだなぁと感じていました。

話は戻って、小学校の時にイジメられていた僕ですが、イジメる側の中心人物が転校していったことと、中学に入ると成長がほとんど止まり、逆に周りの人たちがドンドン成長してきたので、身体的に目立つこともなくなったため、平穏な中学生活を送っていました。

そんな中学生活、最後の年、修学旅行前に、当時のイジメっ子の中心人物が地元に戻ってきて、同じクラスになりました。
これはまたイジメられるかなと思っていたんですが、意外なことに、そのイジメっ子が今度は周りから無視されるようになっていました。
修学旅行前に部屋割りを決める時、僕は仲が良かった友達が何人かいたので、その仲間と同じ部屋になったんですが、元イジメっ子は誰も同じ部屋に誘ってくれない状態となり、最終的に僕のところへ一緒の部屋に入れてくれないかと相談が来ました。
特に深く考えることなく、当時は「いいよ」と即答した記憶があります。
そして修学旅行の夜も楽しかった記憶があります。

他にもいろいろあったんですが、かなり端折って書いています。

僕の身体的特徴でイジメられた話も、弟の左利きの話も、イジメっ子の話も、子どもながらに、生活環境や社会環境によって大きく左右されるんだなぁと強く感じました。

そのあと津市内の進学校に進み、福祉系の大学に進み、その当時の環境、その瞬間の環境によって、才能があるのに評価されない人、認められない人は、世の中に山のようにいるということ知り、NPOで働くようになってから、そういう人たちの大半は「社会に適応できない人」という理由で一括りにされて才能が埋没していくんだなぁと感じるようになりました。

僕もNPOで働いた当時(2004年かな?)は、金髪、ジーパン、フード付きトレーナーで行政との会議に出ていたり、「IT時代が来ているんだから(当時はWinXPが出たばかり)WEB日記(ブログ)をNPOはドンドンやるべき」とか、「NPOもデザインが必須になる時代が来る」とか、「若者がガンガンNPOで雇用される時代になる」とか、「施設管理は人が管理しない時代が来る」とか、いろいろ言っていましたが、まぁ、「コイツうっとおしいな」と思われていたと思います。

話はズレましたが、NPOで働いていく中で、「たまたま今の社会システムには合っていないけど、環境が変われば才能が開花されたり、働くことができたりする人って、実は多いんじゃないか?」という思いが募ってきました。

それと同時に、僕の周りに、今の社会で上手く働けない人たちが集まってくる(?)ようになりました。
そういう人たちと話をしていて「もったいない」とも感じましたし、僕より若い人を見て、この子たちが生きる未来なのに、なんでこの子たちができる選択肢が既存の社会システムの中には少ないんだと感じました(東京は別かもしれませんが)。

もともと生粋の面倒くさがり屋なので、「よっしゃ。いっちょ社会システムを変えてやるぜ!」という発想は無く、また、人の幸せは、その人の性質に合った適度な選択肢が必要という思いを持っていたので、「とりあえず津市内だけでも、今の環境の中に選択肢が無いのなら、津市に無いものを取り入れて選択肢を増やすところから始める。それで雇用が生まれたらベストだし、雇用が生まれなくても何かのきかっけになればいい。他の人がやっていることはその人たちに任せておいて、まだ誰も津市でやっていないことを実験的にやってみたらいい。」という思いで、いろいろ手をつけることにしました。

なので、他の誰かが同じことをやり始めたら、基本的には辞めてもいいかなと思っています(辞められないものもありますが)。

ひとりひとりが働きやすい環境が実現するといいですよね。

そんな中で、広い意味でエンターテイメントって、いろんな技術や思いを持っている人が集合して働きやすい方法なんじゃ無いのと思って、本業やりつつ試していたりしています。

いやぁ、こんな簡単なことを書くのに長々と書いてしまってすみません。

で、こういう話をすると「あれ?川北、もしかして良い人?」みたいな印象を持っていただけるのですが、僕がこういう活動をしたいなと思う理由は2つあります。

1つは、僕より若い人がたくさん働いてくれた方が、僕が楽できるし、年金をもらえる確率が上がる。

2つ目は、僕が幸せになるためには、僕の周囲の人が幸せである必要があるのですが、僕の周囲の人が幸せであるためには、さらにその周囲の人が幸せである必要があって、さらにその周囲の人が幸せであるために…です。

いろいろ書きましたが、最初は、今の社会で働きにくいと言われている人たちに新しい選択肢を提案することからスタートしましたが、働く選択肢・関われる選択肢が増えると、イコール、多様な人たちが多様な働き方ができたて、その人の人生も津市も豊かになる可能性があるよね。
そのためには、いま津市にない選択肢を提案する必要があるよね。
みたいな感じになりました。

いろいろ実験的にやっていますし、一生実験している可能性もあります。
そしてみんな、もっと実験的にどんどんアクションを起こして行ったらいい。
選択肢は無限にあっても、行動は「する」か「しない」かの2択しかないんだから。

そして、僕がおじいちゃんになって、働けなくなったら、僕でもできる仕事を誰かに提案してもらえるといいなと思っています。

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