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4. 筋肉の槍になった男

ある朝、体にドロドロの液体にでもまとわりつかれたかのような違和感を感じとり、目を覚ました。
最初にぼんやりと天井らしきものを確認し、それからカーテンの隙間から日差しが漏れているのを見て取り、
「ああ、もう朝か。」
ようやく意識が回りはじめた。
朝起きたときのいつもの習慣で、スマートフォンを触ろうと手を伸ばそうとしたときに、あることに気づいたのだ。
「ん?あれ?手が動かない。」
まるで全身をラップでぐるぐる巻きにでもされたかのように全く手が動かないのだ。
というより、そもそも手を動かそうとはしているが、手の存在がどこなのか見失ってしまっていると言うほうが正しいかもしれない。
おいおい、身体のどこに何があるかなんて赤ちゃんでもわかるのに、それがもういい大人が全くわからないなんてことがあるだろうか。
身体の地図でもないことには、見つからないとでもいうのだろうか。
警察署に行って、
「すみません、僕の身体の内の『手』が居ないんです。朝起きたら行方が分からなくてなっていて、困っているんです。」
なんてことは、口が裂けても言えない。
マリファナでもキメてるのかと疑われてしまうではないか。
人は、理解できない事が起こると恐怖を感じる。みたいなことを偉い学者さんが言っていたような気もするが、それは必ずしもそうであるとは限らない。
僕の場合、もちろん理解はできない。
だが、自由奔放な僕の思考は、理解できないことは置いてきぼりにして、こんなことを考えていた。
「朝立ちの具合はどうなっているだろうか。」
もし、万が一にも女性読者もしくは、センシティブな読者がいたのであれば、本当に申し訳ない。
たぶん、地球に巨大隕石が衝突する最後の日の朝でも、僕はこんなことを一瞬でも考えてしまうと思う。
どうしようもない状況に置かれると思いのほか焦らないものだ。
あと、言い訳するつもりはないが、下品さも使いようであると思う。
まぁ、上品さの欠片もない僕のような人間にこんなことを言われてもなんの説得力もないと思うが。
いけない、話が逸れてしまった。僕の悪い癖だ。
こんな台詞を吐けるのは、二枚目の俳優だけだ。佐藤健に、吉沢亮に、櫻井翔に、綾野剛に、山田孝之に、それから、反町隆史。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズン。ドラマ『GTO』のエンディング曲だっけ。
言いたいことがあるだけマシだろう。
母いわく、僕は反町隆史に顔が似ているらしい。あくまで母がそう思っているだけなのだ。
さて、迷子になった話を連れ戻してあげよう。
そう、僕はある朝、目が覚めると、自分が筋肉の槍に変わっているのを発見したのである。
身体が細長くなって、頭の辺は右半分と左半分とで分かれ頭頂部にかけてぐるぐるとらせん状に絡まっており、二叉槍になっているのである。
身体は、完全に棒状と言っていいだろう。
不思議なことに、材質は筋肉そのもので、もちろん肌色の皮膚で覆われているのである。
毛の存在はわからない。
全体像は、ちょうど『ヱヴァンゲリヲン』に出てくるロンギヌスの槍といった具合なのだ。
なるほど、そりゃあ『手』なんてものがあるはずもない。
だって、筋肉の槍になっているのだから。
もはや、人間ですらなくなって、大学のレポートや、バイトや、人間関係での悩み、将来、就活、その他すべてのことを考える必要は無くなったのだ。
僕は、この出来事をすんなり受け入れてしまっていた。
なんて気楽なんだろう。何にも悩まされないことは、こんなにも幸福なのか。
僕以外の悩める人たちも皆、筋肉の槍になればいい。
見た目で優劣がつかない。白だの黒だの黄だの、美しいだの醜いだの、高いだの低いだのと。
なにも考えなくて済むのだ。
絶望も無く、苦しみも無く、明日学校や会社へ行く面倒もなく、将来にも悩まず、差別もない。
筋肉の槍となった僕たちの役目など何も無いから、存在しようがしまいがどうでもよくなって、最後は思考力も失って、ただの槍となる。
これで、すべてがハッピーエンドということだ。
そうは思わないだろうか。

現実逃避はこのくらいで十分だろう。
さて、ことの真相を告げることにしよう。
まず、昨夜の出来事に遡る。
僕は、バイトが終わる時間が23:00過ぎなのである。それから徒歩20分近く歩いて家へ帰るのだ。
帰宅してすぐに筋トレを始めるのが習慣になっているのである。
最近始めたばかりなので、腕立て、ダンベルカール、それから、最後にプランクを行っている。
この日は、つい調子に乗ってしまい、腕立ての種目にダイヤモンドプッシュアップというものを取り入れてみたのだ。
やってみると、これが結構きついのだ。
ちょうど二の腕側の筋肉がパンパンに張って、これは次の日は、筋肉痛が確実と思われた。
それから、ダンベルカールを行い、プランクをやり終えた頃には、上半身は、鉄の鎧をまとっていた。
そして、0時を過ぎには、床に就いた。
そして朝、目が覚め、寝床から起き上がろうとしたそのとき、身体があまりにもだるく動かすのも億劫だったのだ。
手を動かそうにも、まるで巨大な芋虫のようで、もはや自分の『手』では無くなっていたのだ。
しばらくして、ようやくスマートフォンを掴み、電源を起動させると、身体に衝撃が走っ 
僕は、完全に寝坊していた。
最初は、目を疑った。理解ができずに、遅刻してしまう恐怖に身悶えしたのだ。
「ありえない、高校1年生の頃、皆勤だったこの僕が!」
それから、筋肉痛の痛みなど忘れ、飛び起き、歯を磨くのも、寝癖を直すのも諦め、人前に出れる格好をして、急いで駅へ向かった。
結果は、もちろん遅刻だった。
講義室の扉を開け、異様な者でも見るかのような視線が槍のように僕の身体に突き刺さり、ようやく席についた。
これで、ひと安心だ。
読者の皆様、ただ遅刻した話をこんな長々と妄想混じりで書いてしまったこと。
大変申し訳ない。
序盤に書いていたことは、僕が友人に遅刻した理由を聞かれた際、語った白昼夢のような言い訳である。 
もちろん信じてはくれなかった。

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