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ベートーヴェン、ピアノソナタ第8番『悲愴』のフレーズ構造、第1楽章その3(mm.51–88)

(この記事の分析は音楽のフレーズ構造の4つのパターンに書いた考え方に基づいて行われています。)

(小節をm.1などと省略して示します。複数をまとめて示す場合はmm.1–4という風に表記します。)



mm.51–66



mm.51-55

mm.51から、いわゆる第2主題が始まります。

この第2主題は、次の譜例のように、まず4小節で1つの基本的なグループをなしています。ただし、最後はウラを取る形の末尾がm.55にはみ出していますが、これはアナクルーシスをフレーズの小節数に数えないのと同じようにフレーズの小節数には数えません。

後半のウラを取る形は、前半の最後の末尾と重なって始まります。これはワリコミの一種で、直前のウラシャに由来する末尾のはみ出しと、次の強拍からのスタートが重なるものです。ズレを正しているワリコミなので、私はとりあえず「正配置ワリコミ」と呼んでいます。

冒頭の2つ連続したまとまりを為すウラシャは、次の譜例のような1つのウラ複シャに統合されます。

このウラ複シャの骨組みになっているのは次のようなウラを取る形です。このウラを取る形を更に装飾したものが上のウラ複シャであることになります。

上のウラを取る形は、さらに次のような標準形を骨組みとしています。あるいはこの標準形を装飾したものが、上のウラを取る形であると言っても同じことです。そしてこの標準形が存在していることは、mm.51–54の4小節が1つのまとまりであることと同義となります。

同様に、mm.51-58の8小節をひとまとまりにしているのは次のような標準形ということになります。


mm.55-58

冒頭はさっきと同じ形に見えますが、m.56の動きがさっきよりも、より次のウラを取る形に所属するように感じられます。

ですから、これはウラシャとして解釈するよりも、次の2小節に所属するものとして、複斜拍子として解釈するのがいいでしょう。そして、m.57は正配置ワリコミで始まるので、この複斜拍子は3音からなるアナクルーシスになります。


mm.59–66

m.59からm.66はリズム的にはmm.51–58と共通です。

ただし、m.51からm.66の16小節がひとまとまりに感じられるのは、次のような標準形があるからです。ですからこのレベルで見ると、mm.59-66は、mm.51-58に対してウラの位置にあることになります。

mm.51–66は、m.59から同じメロディーを同じ和音で繰り返すという点では「ペリオーデ」によく似た構造を持っています。しかしそこからは調性的には変ホ短調から離れて行ってしまいます。



mm.67–88


m.67からは、m51からのフレーズを移調して繰り返すように始まります。しかし、繰り返しであるという理解は次に述べる理由によって修正しなくてはならなくなります。


m.75からの変化

変化が起こるのはm.75からです。m.75にはここまでに出ていない新しい要素が出現しています。そしてm.76は先程も出た形で、3音のアナクルーシスになります。これまでの通りであれば、m.75は新しい4小節グループの開始となるはずでした。しかし、m.75は新しいグループの開始というよりも、直前のグループを延長するかのように感じられます

この結果、フレーズ構造の組み換えが起こります。つまり、先程述べたm.67–74が冒頭の繰り返しであるという解釈を修正し、次の譜例のように、m.72にアナクルーシスを持つ新たな4小節グループを考える必要が生じるのです。

このように、ベートーヴェンはしばしば「3回目の要素の途中から変化を出す」というパターンを使います。グラーヴェの冒頭もそうでした。

m.67から8小節グループが始まる流れだったのに途中から割って入った別の構造があって小節数の規則的な進行が乱れる場合のことを、私は「(強い)ワリコミ」と呼んでいます。↓にリンクした記事に詳しい説明を載せてあります。


上記のようなずれの結果、最後のmm.81–88がぴったり8小節に収まることになります。


m,72のアナクルーシスからm.88までを通して聴いてみましょう。非常に規則的な16小節構造を形成していることが分かります。


さて、m.73から解釈の「組み換え」が必要であるということを述べましたが、これはベートーヴェンとして比較的珍しい、分かりにくいやり方であったのではないか、と思われます。というのは、聴き手はどうしても、m.67からの8小節がグループであるかのように聴こうとしてしまうからです。そして、m.73から解釈の組み換えが起こることを、初めて聴く人は予想ができないことはもちろんのこと、何度聴いてもやはり、mm67–74を8小節グループとして聴こうとしてしまうのです。これをもっと分かりやすく聴かせるためには、m.72付近で、解釈の変化が必要であることを知らせるシグナルが必要になります。ベートーヴェンは楽譜に何も指示してはいませんが、ここは演奏者に委ねられていると考えるべきなのではないでしょうか?


カテゴリー:音楽理論





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