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酔える女は幸せ

雑誌はかさばるし、気になる記事だけスクラップするようなマメさもないので、読み終わったらすぐに捨ててしまうけれど、この記事が載っている号(約3年前発行の光文社「HERS」)だけは後生大事に本棚に入れておき、二日酔いで泣きたい「夜」に、何度も読み返している。そう、私の二日酔いは相当なもので、日中には絶対に治らない。前の晩02:00まで飲んだとしたら、翌日は打って変わって20:00就寝位の勢い=11時間睡眠位の勢いで寝ないと絶対に治らないけど、一晩寝ると絶対に治るので、また飲む、の繰り返し。自己嫌悪と疲労にまみれて20:00就寝をしようというその直前、私はかなりの確率でこの記事に目を通す。

この記事は、酒飲みである萬田久子さんと森久美子さんが、過去に飲み過ぎて失敗したエピソードを公開し合い、「でもお酒っていいよね。自分だけじゃなく、そこにいる皆の心を解放してくれるもの。後から、こんなこと言っちゃった!って後悔することもあるけど、自分を覆っているものが一枚、二枚と剥がれて行くのって快感!」みたいなことを語っている。「たとえ失敗したって、お酒を飲んで酔っ払うのって至福の時だよね」っていう確認にもなるし、私も50代になれば、このお二人が言うように、きっとお酒と上手に向き合うことが出来るに違いない、だから50代になるまでは、まだ上手じゃなくてもいいのかも!(冷静に考えると、少なくとも30代で正しく向き合えよと思うが)と思えたりもするという意味でのバイブル。ただし、いくら二日酔いの頭でも、雑誌を閉じる時に「でもな……極細の足にミュウミュウのキラキラした靴(写真右下に映っています)履いてシャンパン飲んでる萬田久子に励まされるのは、かなり違うかもしれない……」という判断力だけはあるので、微妙なところではあるのだけど。

一昨日の晩も、気分良くワインを飲みながら「このピザ、美味しい~」とか言ってたはずなのに、帰りに山手線を何度もとっかえひっかえ逆に乗って、永遠に最寄り駅に着かない(結果、小旅行レベルの時間をかけて到着)という初めての現象が起きた。そして翌日、死ぬ思いで会社に行くも、あまりに頭が働かず、お客さんより先に、当社側の一番偉い人にお茶を置いてしまうという、これまた初めての現象が起きたので、かなり凹んだ。お酒と正しく向き合うには、いまだ至っていない……ということで、また「HERS」を手に取ったところ、あるお酒の名前を唐突に思い出し、なんだかすごいノスタルジーに襲われた。

メルシャンの「ピーチツリーフィズ」……。どうしてこの名前を急に思い出したのか自分でも分からないけれど、早速ググッてみたところ、見覚えのあるピンク色の缶の画像。おそらく、私が初めて手に取ったお酒だと思う。

時は私が高校生の頃――渋谷のセンター街を私立高校に通う男女のチーマー(つまりは不良)たちが占領し、パーティを開いてお酒を飲んだりカラオケしたり、きっともっと悪いこともしていた時代だった。当時、私も私立の女子高に通っていたけれど、学校帰りにマックに寄るのが最大の不良行為、というキャパシティだった為、チーマー活動に誘われることもなく、日々おとなしく暮らしていた。それなのに、私は何故か、そういう不良っぽい子たちに「なんか、面白いよね」とか言われて好かれがちで、彼女たちのチーマー行為とは別枠で、一緒に過ごすことがあった。そしてある日、とうとう、学校でもトップクラスの不良のクラスメイト(センター街占領系)が、私の家に泊まりに来たいと言い出したのだ。

人生で、あれ程にテンパったことはないのでは?と思うほど、私の頭はグルグルした。その子は幼稚園からの内進生で、自宅は都心の一等地。クラスメイトでありながら、全く暮らしの水準が違うなという感じだったけど、どうやら彼女の両親は不仲で、いわゆる「金はあるけど、愛情がない」家庭に育った子だったのだと思う。私はよく、学校で両親の面白話を披露していたし、彼女は私のお弁当を見ては「お母さん、綺麗なお弁当作るよね」なんて言いながら、時折寂しそうな表情を見せていたから、いわゆる「普通の家庭」を見てみたかったのかもしれない。(彼女のお弁当は、お手伝いさんが作っていた)

いよいよ彼女が遊びに来るという日、学校から自宅のある最寄り駅まで二人で電車に乗っている時点で、「不良と仲良くしてる!」という非常事態による緊張感の為、私の頭は破裂しそうだった。なのに、最寄り駅に着いた時、彼女はサラっとこう言い放った。「お酒、買って行こうよ」……。え……。私の凍り切った顔を見て「大丈夫。お父さん、お母さんが寝てから、2人になった時に、飲も」――やっぱりチーマーと個人的に仲良くなろうなんて、私には百年早かった……という後悔が激しく私を襲ったけれど、もう後には引けない。いつもとは全く違って見えたコンビニに入り、おそるおそるピーチツリーフィズを手に取った。

その晩、母親の手料理を食べ、順番に風呂に入り、両親が寝た後、私はなるべく音を立てないように台所からコップと氷を持って来て、カバンに隠しておいたピーチツリーフィズを注いで彼女に渡した。でも、どんなに勧められても、私はその日、頑なに飲まなかった。そして、彼女が寝息を立てると同時に、これまたそーっと、ピーチツリーフィズの缶をすすぎ、カバンの中にそっと仕舞い込み、翌日、駅のゴミ箱へ捨てた。

そんなわけで、「お酒を飲むのは不良のすること(その前に未成年は犯罪だけど)」という強烈な思い込みから、私は大学に入ってからも、ほとんどお酒を飲まなかった。人の迷惑を顧みず、やたらとハイテンションになる友達を見ては、「どうしてここまで自分を見失えるんだろう」と呆れるやら、羨ましいやら。

就職してからも、20代の頃はどうにもこうにも、周りの目が気になって、楽しくお酒を飲むということが出来なかった。昼間は従順なサラリーマンが、酒が入ると、そこにいない上司の悪口を言いまくる、その豹変ぶりがショックで、「人間て恐い……」と思っていたのだから、本当に甘ちゃんだった。今では、悪口を言われている上司もそのまんま本気で嫌われているわけではないし、人の上に立つということはそう甘くはない=有名税としての悪口だって言われるのものだ、ということも理解している。そして、酒場ではああだこうだと騒いでも、翌日の朝には、何も感じていないフリをして、会社としての利益を淡々と上げて行く日本のサラリーマン・OLっていいじゃないか!という境地に達している。そして、心の底から「お酒、美味しい!楽しい!」となって、記憶がなくなるまで飲んで、「いいなあ、そこまで酔っ払ってみたいよ」なんて、本心なのか嫌味なのか微妙なコメントを、人様からもらうようにまでなった私。成長。

問題は、死の苦しみ・二日酔いだけ。



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