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これも、赤い糸

もしも私が将来、平均寿命まで生きられるとして、もしも病院で息を引き取るとして……その時に私のお世話をしてくれる予定の看護師さんは、まだこの世のどこにも存在しないであろう不思議……について考えた。

一から説明します。3年前のこの時期、祖母は102才、病院で亡くなった。私は今でも、生ぬるい病院食の残り香がいつも抜けない廊下の匂いと共に、祖母の担当だった看護師の女の子のことを、折に触れて思い出す。

彼女は当時25才位だったと思うけれど、祖母に接する姿には、「仕事だから仕方なくやっています」という雰囲気は微塵も感じられなかった。「お熱、計りますね」「今から、点滴の針を交換します」――彼女は、必ず祖母の目を見て、次に行う作業について、面倒くさがらずに告げてくれた。
ベッドで寝ているだけの限りなく死に近づいている人間であっても、決して軽んじない、バカにしない。若い生のエネルギーを「ぶつける」のではなく、惜しみなく、迷いなく、明るく「分け与える」という姿勢に、私は見舞いに行くたびに、頭が下がる思いがした。
そして、余計なお世話ながら、こんなに若くて可愛いのだから、もっと楽で華やかな職場も用意されているだろうに、もうすぐ亡くなる老人たちの中で、嫌な顔ひとつせず、一日中薄暗い病院の建物に閉じこもっている彼女に、有り難さを越えて不思議な感じさえ抱いたものだ。

祖母が亡くなったことを、夜中の電話で知らせてくれたのも彼女だった。数日前まで「ダイジョウブよ、私、まだ若いので!」という冗談を言って笑わせていた祖母が目を開かなくなった。それでも、「あと数日は大丈夫だろう」……そう思って見舞いを昼間で切り上げ、さてそろそろ寝るかと思った頃の電話だった。つまり、祖母がこの世を去る時、一番最後にそばにいたのは、私たち家族ではなく、彼女だった。その時、私はふと、冒頭に書いた巡り合わせの不思議について考えたのだった。

彼女と祖母の年の差は推定77才。つまり、祖母が77歳の時に彼女は生まれた。それからどんどん育って、いつの時点かで看護師になりたいという意思を持ち、そして看護学校に行き、卒業をして、祖母のいた病院に配属になった。そして、102年もの長い祖母の人生の、一番最後にそばにいた人になった。これはただの「偶然」に他ならないのは分かっているけれど、究極の、説明のつかない「巡り合わせ」という気がする。

「高校球児が、自分より年下になった」という衝撃を覚えたのも、遠い昔のこと。気がつけば、高校野球の監督すらも年下になり、今や年上なのは高野連会長のみ……みたいなことに。これから私もどんどん年を取って行くわけだが、人生の終わりの瞬間にそばにいる人が、家族や友人という、「今知っている人」とは限らない。

私の残りの人生、平均寿命まではざっと40年(102才までは生きない予定)。私の最期を世話をしてくれる看護師さんが25才だとすると、現在その子はマイナス15才。まだ、全く姿形はないけれど、あと15年後にこの世に産まれ、看護師になることが決まっている。ああ、なんて不思議なんだろう。
だけど、今から宜しくお願いします、と言っておきます。

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