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美人との和解

私は月に一回、睫毛エクステサロンに通っている。以前は、毎朝のマスカラとアイラインで何とか睫毛を上げていたが、加齢により、そんなものでは、とんと上がらなくなった為、プロの手を借りることにしたのだ。

よく、巷で睫毛エクステサロンでの事故、つまりは衛生面での問題から、結膜炎だの、ひどいものでは失明寸前だのの事態が起きていると報道されているが、それはきっと、「1時間つけ放題」みたいなヤングが通うサロンの話だと思われる。妙齢の私は、エクステ自体を自社工場で生産し、完全個室でお姫様のように丁寧に扱ってくれるサロンに通っている。月に一度の贅沢だ。

このサロン、何がすごいって、施術者の女性たちの美貌。中国の天安門広場やロシアのクレムリンに、広い大陸から選りすぐりのイケメンが警備員として配属されるように、旗艦店であるこの店舗には、きっと最も優秀で、最も美しい女性たちが集められているのだろう。明るい日差しの差し込む店内では、黒い制服に身を包み、髪を団子にまとめた美人たちが、クルクルと働いている。全くこの集団なら、千石イエス様も、かの国の将軍様にだってご満足頂ける!と、自信を持って言えるレベル。私は施術者を指名していないので、毎度、違う美人が代わる代わる担当してくれる。「本日、担当させていただきます○○でございます」と、かしずかれる度に、「これから、この美人が2時間、私の睫毛に集中するのか」という心地よい興奮に包まれる。

ただ、中に一人だけイケ好かない美人がいた。その女性は、特に目鼻立ちが整っていて華やかで、メイクとかエクステで垢抜けたというのではなく、小学校の卒アルでさえきっと可愛く写ってるんだろうなという類の純正美人なのだが、接客としてはちょっと慇懃無礼で、私はなんとなく苦手だった。でも、もし私が男だったら、この人がデートの待ち合わせ場所(何故か想像は80年代で、表参道の富士銀前)に、ベージュのカシミアのコートを着て笑顔で現れたら嬉しくて卒倒しちゃうかも、っていう想像を掻き立てる女性でもあるっていうか。

さて、ある日のエクステ、私は15:15の予約だと思っていたのに、店側の認識は15:00、つまりは予約時間の認識違いが生じた日があった。涼しい顔で15:12に店に現れた私に、その彼女は、言葉だけは丁寧ながらも、明らかにいつもとは違う冷たい態度で、「(お前が遅刻したから)マッサージの時間は今日は短縮とさせていただきます」などと言うもので、これはおかしいと確認したところ、予約時間の認識違いが発覚。一応こちらは客だということで、その美人が間違えたってテイで「申し訳ございません」なんて言ってたけど、明らかに悪いと思っていない様子だった。私は私で、15:15の予約だと思っているから、その日はなんだか気まずく、心なしか、エクステも反り返った猛々しい仕上がりに…。それ以来、彼女が担当にならないといいなと思い、実際その後、何度かは違う美人の担当が続き、ホッとしていた。

しかし、今日、久々に彼女が担当になった。もう15:15事件はお互いにないものとして、彼女も完璧なアルカイックスマイルを浮かべて「担当させていただきます」って言うので、私も「よろしくお願いします」ということで、施術ソファに寝転がり、目を閉じた。いつもは、エクステのデザインのこと、つまりは必要事項しか話さないのに、今日はエクステをつけてもらいながら、何故か旅行の話になった。私が「先々週、軽井沢に行ったらもう紅葉していた」と言ったところ、美人は「紅葉ですか、そうか、そうですよね、もうそんな季節ですよね…」と声を落とす。そして、「いいですね。私、昨年、紅葉を見に行こうとしたらダメになっちゃったんです」と。「京都に住んでる相手に、紅葉を見においでと言われ、すごく楽しみにしていたのに、前の日の夜、相手に急な仕事が入ったと言われてドタキャンされちゃったんです」と。「友達」ではなく「相手」という言い方からして、きっと恋人もしくは好きな男の人だろう。どんな理由があるのか知らないが、この美人相手にドタキャンする男がいるとは。東京から行くんだから、お泊りだろう。私なんて、女だてらに、この人がカシミアのコート着て駆け寄って来る図を想像してニヤけてるっていうのに、ああ勿体ない。

「新幹線も指定席を取ってたし、鴨川沿いのレストランも予習済だったのに、どうしてって感じでした」と。「それは残念でしたね。でも、じゃあ今年こそ!」と明るく言ってみたけれど、「今年はもう、その人、京都にいないんですよ…」とのこと。

京都の紅葉は私も何度か経験があるが、名所と呼ばれるお寺なんかだと、将棋倒しになりそうなくらいの人々で押し合いへし合いだ。その中にはカップルも数えきれないほどいるけれど、美男も美女もほとんどいない。糸のように細い目をして、鼻が上を向いた女の子でも、彼氏と腕を絡めて紅葉を見てるというのに、こんなに美人が「恋人と紅葉を見る」と、前の日まで楽しみにしていた、その小さな希望が叶わないなんて、世の中ってつくづく不思議だ。「どんな美人にも辛いことは降りかかる」というのは、一般論としては励まされる話だが、私はなんだか腹立たしかった。

今日も完璧なアルカイックスマイルで「ありがとうございました」と綺麗にお辞儀をする彼女に、私は一気に親近感を覚えた。帰りの駅のホームで鏡を見たら、今日のエクステはとっても穏やかな角度で上を向いていた。いつか彼女が、素敵な思いで紅葉を見られますように。人の心配してる場合じゃないけど。

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