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トイレットペーパー1m

先週のとある平日。履いていたスカートのウエスト部分内側から、上(外)方向へトイレットペーパーを1mほど飛び出させ、尻尾のようにヒラヒラさせたまま、夜中の繁華街を歩いてしまったようです。

一から説明します。春は人事異動の季節。その惨事は、部署の送別会の帰り道に起きた。ほんの直前まで、私はジーンとしたホロ酔い気分で電車に揺られていたというのに……。
忘年会や新年会、そして歓送迎会など、会社に於けるいわゆるオフィシャルな会合というのは、なかなかどうして味わい深いものがある。私は、そのような節目の会合に参加する度に「皆、どっこい生きている」という言葉を頭に思い浮かべる。特に、送別会では、昇進をしたり、望んでいた土地に海外駐在したり、重要なプロジェクトを任されて旅立つ、という立場で参加している者もいれば、その逆に、不本意な立場に追いやられることを、本人も周囲も分かった状態で座っている者もいる。そんなことは、組織に身を置いている以上は仕方のないことなので、後者の立場であっても、きちんとにこやかに参加をしなくてはならない。腹の中では、思うところが百万件くらい蜷局を巻いていたとしても、最後に挨拶を求められれば、「今までお世話になり、ありがとう。そして次の場所でも引き続き頑張るので、よろしく!」という趣旨のことをきちんと述べてこそ、一人前のサラリーマンだ。

そして、その挨拶を受けて、上に立つ者が締めの挨拶をする。「鈴木さんほど働かないくせに屁理屈ばかりこねる人材はなかなかいないので、今まで本当に鬱陶しくて持て余していましたが、この度、やっと引き取り先が見つかってホッとしています。これから先は、そうそう顔を合わせることもないし、知ったこっちゃないけど、まあ元気でやってください」と言えるはずもないので、こう言う。

「鈴木さんには、今まで本当によくやって頂きました。新しい異動先は、なかなか大変な責任あるポジションですが、鈴木さんならきっと活躍してくれることでしょう。引き続き期待しています」と。「責任あるポジションなんて部長もよく言うよ。有名な窓際ポジションなのに……」と参加者全員が思うのであるが、「そうだそうだ、頑張ってくださいね」という顔をして、これまた参加者全員が、割れんばかりの拍手をするのである。

それぞれが、積み重ねた時間をチクチクと色んな思いで振り返りながらビールを飲みかわし、最終的に「感謝と期待」を存分に表す挨拶の交換で締める――この、力ずくで美しい着地点に持っていく二時間強の「送別会」というものこそ、日本の様式美の極みなのではないかと思うくらいだ。そして、様式美といっても、単なる上っ面の様式美ともまた違うところが不思議。何はともあれ、縁あって同じ空間で同じ時間を共有したんだな、という事実はお互い間違いなく感じるし、なんなら「さよならだけが人生だ」という言葉の正しささえ感じてしまう――ということで、その日も私は、この暖かい様式美を味わいながら、電車を降りた。

「すいません、これ、大丈夫ですか?」最寄り駅から家までの道すがら、後ろから知らない女の人に話しかけられた。振り返ると、自分の腰の辺りからフワリと風に舞うトイレットペーパーが見えた。本来なら、真っ赤に頬を染め、「わ!私ったらやだ。教えて下さってありがとうございます」と言うべきところを、酔っ払いとは恐ろしい。私は何故かこう言ったのだ。「ええ、そうですね」……。女の人は、微妙な顔で黙って去って行った。

「ええ、そうですね」……何ソレ?
そんな意味不明な答えしか出来ない酔っ払いながら、私の頭は一点に集中した。それは当然、このトイレットペーパー、一体どこでこうなった?ということだ。私はついさっき、最寄り駅のトイレに寄った。そこで、何らかのミラクルが起きて、スカートからトイレットペーパーが1m程飛び出ることになったのならまだいい。この破廉恥姿は、道行く知らない人と、あの女の人にしか見られていないから。ただ、私は送別会の行われた飲み屋でも、二度程トイレに行ったのだ。もし、そこでトイレットペーパーを引っ付けていたのだとしたら……。私が、日本の様式美に思いを馳せて拍手している頃、私以外の皆は、私の破廉恥行為について、心の中で突っ込みを入れていたとしたら……OMG!!

翌日、参加していた女子2名に思いきって聞いてみた。「私、トイレットペーパー1m出てなかった?」と。二名とも即答で「出てなかった。万が一、飲み屋でそうなったのなら、その後に寄った最寄り駅のトイレでは、むしろ、取れてるはず!」との答えに、ホッと胸を撫で下ろした。
でも、どうしてそんなことになったのかは、未だ分からず。(私は、便座にトイレットペーパーを敷いてから座るタイプじゃありません)
酔っ払い恐るべし。

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